第49話 壺



 仕事先の知りあいから壺をもらった。古伊万里だかなんだかの、とても高そうな壺だ。高さは五十センチ近く。朱彩の花模様が美しい華麗な古美術品だ。ふたがついていて、両サイドに持ち手のある形だ。


 ずいぶん高級そうな壺だが、たいした理由もなくくれたので、文緒はいぶかしんでいた。取引先と言っても、さほど親しくもないし、つながりも薄い。

 たまたま、同僚の学生時代の先輩だとかで、いっしょに飲みに行くことになった帰り、家がすぐ近くだから寄ってくれと言われ、玄関先でその壺を押しつけられて、持ち帰るのにひどく苦労した。


 しかし、家に帰ってからよくよく見ると、とてもキレイな品物だった。安物の贋物のようには見えない。有名な釜の名工の作品とかそんなものではないかと思う。


 文緒は気をよくして、その壺を床の間に飾った。見栄えのいい壺はこぢんまりとした和室をいっきに豪華に見せてくれた。


 だが、それからというもの、文緒は壺のことが心配でしかたなくなった。会社に出勤すれば、泥棒が留守宅に入って壺を持っていくんじゃないかと思い、近所のコンビニへ行くだけで、このあいだに自宅が火事になったらどうしようかと案ずる。果ては入浴中に同居の親がウッカリ割ったらと思うと、うかうか風呂にも入れない。


 こんなことではダメだ。

 なんだかよくわからないが、この壺は人を堕落させる。そばに置いておくと腑抜けにされる。

 もしかしたら、取引先のあの人も、それだからこの壺を文緒に押しつけてきたのかもしれない。


 いくらか心残りな気はしたが、文緒は思いきって壺を人に譲ることにした。貰ってくれそうな人の心当たりもないし、見知らぬ人にあげても気味悪がられるだろう。古美術商にでも買いとってもらうのがいい。


 そう決心したのだが、ふと、これまでにまだ一度も壺のなかを見たことがなかったと考えた。なかの彩色はどんなだろうと、よせばいいのに、ついつい蓋を外してしまった。


 そっとなかをのぞくと——


 女の生首がころがっていた。

 文緒を見あげてニッコリ微笑んでくる。ものすごい美女だ。


 誰かに壺を譲ろうなんて気はキレイに霧散していた。

 二階の自室に持ってあがり、誰にも盗られないよう押入れにしまいこんだ。そして夜中になると、こっそり蓋をあけて、美女をながめた。


 会社にも行かなくなった。

 食事もしない。

 風呂にも入らない。

 かたときも、大事な壺から離れたくない。

 親に泣いて懇願されたけど、部屋から一歩も出ない日々が続く。


 だが、疲労しきっていたのだろう。

 ある日、気絶するようにうたたねしていたときだ。窓が割られ、何者かに壺を盗まれた。


 文緒は嘆き悲しんだ。

 しかし、十日、二十日、半年と日が経つにつれ、だんだん、壺を思う気持ちが薄れていった。

 やはり、何か妖しい力にあやつられていたのだろう。


 すっかり普通に戻り、新しい勤めさきに出勤するようになったころだ。

 以前の職場のあの同僚から電話がかかってきた。


「辻浦さん。聞いたか?」

「何を?」

「A先輩が亡くなったんだよ」

「えっ?」


 Aとは文緒に壺をくれた、あの男のことだ。


「亡くなった? なんで?」

「辻浦さん、Aさんから壺をもらってたよな?」

「うん。まあ」

「あれによく似たやつをほかにも持ってたのかな? Aさん、壺をかかえて餓死してたって」

「…………」


 いったんは文緒に渡したものの、やはり離れがたかったのか。

 Aの気持ちもわからなくはない。

 それほどに魅力的だった。


 Aの死後、あの壺の行方はようとして知れない。

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