第23話 呪い



 目覚めると、いちめん真っ白な世界だった。

 雪? いや、違う。これは——




 *


 ふもとからずいぶん歩いてきた。

 文緒はもうクタクタだ。

 でも、目的地の間近までは来ているはずだ。


「このへんのはずなんだよなぁ」と、友人の沢木がスマホをのぞきながら言う。


 あたりは鬱蒼うっそうと木々が茂る山林。ハイキングコースとも異なる完全な獣道だ。今にも草に侵食されそう。


「なあ、こんなところに、ほんとにあるのか? それ。もう引き返そう」

 文緒は言ったが、沢木が聞かない。

「なんだよ。ここまで来たのに。あとちょいだって」

「ほんとに?」


 すると、そのとき、とつぜん、人の声がした。


「もし、そこのお二人。おまえさんがた、どこへ行こうとしてるのか?」


 あまりにもとうとつだったので、文緒はとびあがるほど驚いた。

 見れば、大木の陰に人が座していた。高齢の小柄な男だ。顔中にしわが刻まれ、茶色くひからびたような皮膚のせいで、木と同化して見えた。じっさい、声をかけられるまで、文緒は老人を木のこぶだと思っていた。


「こ、こんにちは……」


 とりあえず、恐る恐る挨拶をするが、老人は応えない。

「どこへ行くのか?」と、くりかえしてきた。


 沢木が陽気な声を出す。


「じいさん、グーグルマップって知ってるかな? このさきに雪みたいに一面、白い場所があるんだよ。日によって見えたり見えなかったりするんだけど。こんな時期外れに雪でもないだろうしさ。調べに行って、ユーチューブに動画あげるんだ」


 文緒も沢木も同じ大学の学生だが、沢木は趣味でユーチューブに動画をアップしている。焼肉おごると言うから手伝いもかねてついてきたが、こんなに苦労するなら、よしておけばよかった。


 沢木の返答を聞いて、老人は半眼になった。


「悪いことは言わん。そこは呪われた地だ。行かないほうがいいぞ」


 文緒は沢木と顔を見かわす。

「呪い?」

「呪いだって? どんな呪いだ?」と、沢木がたずねた。


「聞きたいか?」

「ああ。聞かせてくれよ」

「よかろう」


 老人は語りだした。




 *


「かれこれ、三百年は前の話だ。当時、あの呪われた地は村だった。山中の小村だ。村人の多くは農業で暮らしていたが、平地のように実り豊かではなく、皆、貧しかった——」


 老人の口調はなめらかで、低い声には変に迫力がある。なんだか催眠術のような……。


 聞いているうちに、だんだん眠気をもよおしてくる。半分、夢を見ているのか、老人の語る言葉が映像で目の前をチラチラした。


「あるとき、その村に旅の僧がやってきた……」


 文緒の脳裏に、よろよろと林のなかを歩く僧形の男が浮かびあがる。薄汚れ、ぼろぼろになった僧服。やつれて頬骨が目立つ。長いこと、ろくに食っていないのだろうとわかる。


 僧侶はよろめくように歩いていくと、ようやく村に辿りついた。そこで民家の前に立ち、一軒一軒、托鉢たくはつしてまわった。切れ切れの念仏が一昼夜続いた。

 しかし、村人は誰も戸をひらかなかった。とても貧しい上に、その年はとくに不作だった。他人に施しをしてやるゆとりなど、どの家もなかった。


 念仏がとだえたので、安心して外へ出てきた村人は、村の中心にある井戸の前で倒れている坊主を発見した。いなくなったのではなく、動けなくなっていたのだ。でも、まだ息があった。

 あわてて逃げだそうとする村人たちをひきとめ、僧侶は懇願した。


「お……お願いします。食い物をください」

「他人にやるぶんはないんだ」


 僧に足をつかまれた男は懸命にふりはらう。僧侶も必死でとりすがった。


「では、ほんのひとかけらの塩でかまいません。もうずいぶん塩辛いものを食べてないのです」


 村人たちはため息をついた。

 村人だって僧侶を哀れだと思う気持ちは持っている。でも、ほんとに余分な食料もなければ、塩もない。こんな山奥の村だ。塩は町まで買いに行かなければ手に入らない貴重なものなのだ。


「悪いが塩はうちだって少ないんだ。あげられない。塩を買う金なんてないんだよ」

「ほんのひとつまみでも? ほんのひとつまみ塩をなめるだけで元気になれるのです……」


 弱々しく頼みこまれ、男はひるんだ。が、乱暴に僧侶の手を払いのけた。僧侶は土の上に倒れたまま、しばらく動かなかった。

 村人たちは僧が死んだんじゃないかと思ったが、そのうち、かすれた声が聞こえてきた。


「そうか。そうか。ほんのひとかけらの塩も恵むことができないほどに貧しいか。哀れよなぁ。私があふれんばかりの塩を恵んでやろうぞ」


 その声があまりにも不気味だったため、村人たちはあわてて逃げだし、各自の家にかけこんだ。

 次に村人たちが見たときには、僧侶の姿はなくなっていた。今度こそ去ったと、村人たちは深く安堵した。


 ところが、その夜、どこかから念仏が聞こえた。

 村人たちは寝入っていたが、その声は井戸のなかから漂っているようだった。


 翌朝。

 村人たちが目覚めると、村は真っ白になっていた。白い雪が村全体を覆いつくしている。それはそれは幻想的で美しい景色だ。

 冬でもないのに雪が積もったのかと大人は怪しみ、いぶかり、子どもたちは、はしゃいでかけまわった。


 だが、それは雪ではなかった。

 日が昇ってもいっこうに溶けない。


 地面につまずいた子どもが、とつぜん大声をあげた。

「おっとう。これ、しょっぱい!」


 そう。雪だと思われたものは塩だったのだ。あふれんばかりの塩が村を侵食していた。

 知恵のない者は「これで塩を買わずにすむ」と単純に喜んだが、なかには青ざめる者もいた。

 ほどなくして、村の田んぼや畑が全滅した。稲や作物は一つ残らず枯れはてた。塩害だ。

 人々は食うものに困り、次々に倒れ、餓死した。


 やがて村には誰も生きた者がいなくなった。

 それでも夜明けごろになると、村の井戸から海水が噴きあげてくる。そして乾いて大量の塩となる。

 今でも、ずっと。

 そこは呪われた地……。




 *


 老人の話を聞いて、文緒は気分が悪くなった。もう行くのはやめようと言うのに、沢木が聞かない。


「面白ぇよ。呪いだって? あるんなら撮ってやろう。これで、おれも人気ユーチューバーの仲間入りだ!」


「案内して進ぜよう」と、老人が言いだす。

「おお、じいさん。ありがとな!」


 沢木がついていってしまうので、しかたなく文緒も追った。

 しばらく草深い山野を進んでいくと、やがて、目の前がひらけた。かつて村だった痕跡はほとんどなかったが、かすかに石組みや用水路らしきものの跡が残っていた。


「なんだ。普通の廃村だ」


 沢木が不満を口走ったときだ。

 文緒は背後からガツンと衝撃を受けて、そのまま意識を失った。




 *


 目が覚めると、あたりいちめんが白かった。純白の世界だ。あたたかな陽気のなか、キラキラと陽の光を反射している。


 雪景色?

 いや、違う。

 文緒は白いただなかに倒れていたが、冷たくなかった。

 それに、なんだか異様に喉がひりつく。体が痺れて動かない。


 眼球をキョロキョロさせて周囲を見ると、井戸のようなものがすぐそばにあった。井戸端に沢木が倒れている。


 その姿を見て、文緒はギョッとした。死んでいる。いや、ミイラ化している。衣服を見なければ誰だかわからない。塩漬けのニシンだ、と文緒は思った。


 それにしても喉が痛い。

 目がまわり、息が切れる。

 またもや気絶しそうだ。

 自分もほどなくして、沢木のようになるのだろう。


 井戸の底から、かすかに笑い声が聞こえた。

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