第五章 奪還
Ⅰ
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紫の水が泡を立てながら高速で後方へと流れていく。先は見えない。本当ならもう底についていいはずなのに、暗いままだ。
それでも先へ、先へ、風を纏ったエニシは鋭く潜ってゆく。
徐々に周りの色が消え、暗闇に押し潰されてゆく。ここは本当に水の中なのか、それとも。
ふと、その暗闇の中に、過去が浮かぶ。オトハと共に戦った白い獣。そして、ヒルコ。トラルドの登場。別れ。そして、出会い。テン。〝小さな魔術師〟が生まれ、艱難辛苦の日々。どうしてここまで辛く苦しいことしなければならないのか。少し、その速度が弱まる。
と、後方から淡い光と、声が届いた。はっきりとは聴こえない。だが、ここにいる、俺たちがいる、と励ましてくれる。
顔を上げ、上を見た。ぼんやりと、明かりが見える。
「辛くて、苦しいかもしれない。それでも、これがやりたくてやってるんだ。楽しいんだ。邪魔をするな!」
飛び上がる。もう、方向感覚などない。ただ、こちらだと光が呼んでいた。
光を抜ける。
水が飛び散り、降り立った場所は、石畳だった。その足の感触を確かめながら、前を見る。
目を丸くしたオトハが、石造りの部屋の中で椅子に座っていた。
「お待たせ」
手を差し出す。
その手をまじまじと見て、首を振りながらオトハが言う。
「待ってなんかいない。私から出て行ったの」
「迎えに来たよ」
オトハの言葉など聞いていないかのように、エニシは手を差し出し続ける。
「来られても、困る。私はここで、諍いの必要のない、緩やかな形で、私の目標を目指すわ」
「あの日から、待たせてごめん」
会話が噛み合わない。泣きそうになりながら、オトハはエニシを睨んで叫ぶ。
「どうしてそんな自分勝手なの⁉ 私は、もう決めたのに!」
「今まで僕は、オトハを付き合わせてただけだった。今日は、違う。あの日の約束通り、一緒に、世界を変えよう。その約束を守りに、会いに来たんだ」
「何よ、今更」
「君が、隣に居なきゃ、駄目なんだ」
「私じゃなくたって――」
「さあ、行こう」
掌が、オトハの前にある。
――取れない。この手を取ったら、貴方たちは――
「何をしているんだい」
オトハの居る場所は、独居房のような場所だった。〝小さな魔術師〟たちの潜入を防ぐため、ここを選んだのだろう。そして柵の前には、彼女をここに連れ込んだ当人のレオンがいる。
「おや、君は」
一瞬目を丸くした後、意地悪く口の端を歪め、呟いた。
「来たか――」
「え?」
オトハが聞き返すと同時に、エニシの出てきた場所、石の中から溢れるように魔術師たちが飛び出てくる。
「きゃあ!」
人の氾濫に押し出されたオトハの腕を掴んだレオンが、後退しながら指示を出す。
「敵襲だ!」
「オトハ!」
エニシが手を伸ばす。だが、オトハが戸惑い、伸び切らなかった分の空白が、ふたりの間を引き裂いた。
「あれ、もしかしてタイミング悪かった?」
ジャンが気まずそうにエニシに問う。エニシは首を振って、勢揃いした三十人に向き直って告げた。
「戦おう。戦って、矜持を示して、取り戻すことにこそ、意味がある」
「おう!」
力強い応えに頷いて、エニシが駆け出す。
道の両側に、待ち構えていたように魔術師が十人。
「やっぱり、準備していたみたいだね」
「だけど、数が少ない。優先順位として低かったか、それとも誘導した先に何かあるのか」
エニシとジャンは、それぞれ話をしながら敵の待ち伏せをものともせず得意魔術で弾き飛ばしていく。
「とにかく、今は追おう」
見失わないよう全速力で駆けるが、待ち伏せを適宜排除しながら、レオンもオトハの腕を引きながら、なので、距離は空かずとも詰まらない。
「どこかに誘導されてる感じがする」
「でも、こちらに他に手がない以上、行くしかないんじゃない?」
「それもそうなんだけど……」
言いながら、懐から顔を出した白い魔獣に声を掛ける。
「テン、行ってくれる?」
無垢な魔獣はこくりと首肯し、懐から飛び出すと廊下を駆けていった。
「どこに?」
「手は打っておかないとね」
「なるほど」
ふたりは時に背中合わせに、時に並び立ちながら、後ろの味方を率いて立ち止まることなく進んでいく。
やがて、大きな扉が現れ、その先に広い中庭が見えた。レオンは、そこの真ん中を突っ切っていき、建物の中に姿を消した。
「これは、流石にまずいだろうねえ」
「でも、レオンほどの魔導士が、こんな単純な罠を仕掛ける? 自分がここで迎え撃った方が早い気がするけど。それに、テンから連絡もあった」
ジャンの警戒を余所に、エニシがずんずんと進んでいく。
「ああもう」
止めようとしたが、手の届かないところにさっさと行ってしまったエニシに、頭を押さえつつ、ジャンも続く。
陽光が差し込むガラスの扉を潜ると、一気に開けて眩いほどの空間が広がった。
「さて」
中庭の四方は建物に囲まれている。全方位に魔術師を配置し、窓から魔術を打てば、ハチの巣状態でエニシたちを仕留めることができるだろう。
だが、静かな白い床の中庭は、エニシの足音を響かせるだけで、周囲に人の気配すら感じさせなかった。
周囲に目をやりながら、ゆっくりとエニシが中央へ歩んでいく。
「エニシ、上だ!」
後方からジャンの叫びが聴こえ、首を反らし、真上を見上げる。
竜に乗ったレオンが空を飛び、周囲に兵を引き連れて待っていた。
「撃て!」
業火が空から降ってくる。
逃げ場がなく、中庭が炎で埋まる。
かに見えた。
だがその炎は、四方の建物から出された魔法陣の盾によって、エニシの頭上で防がれていた。
「かかったね」
建物の四方には、ミカド、フレイレ、セレナ、ヒラグモの四人が東西南北に分かれて仲間を率いて立っている。セレナに抱かれたテンが、声を上げて喜びを表現した。
「お前らの考えなんぞ、お見通しじゃあ!」
エルドルトが叫び、その姿が屋上にあることに気づく。
「おおおおおお!」
炎を受け止めている魔法陣を、繋がった右腕で引っ張り上げる。
「纏めて返してやる!」
ゴムのように、炎をそのまま弾き返した。
「レツケル!」
竜に命を出し、それに反応した竜が炎を吐く。拮抗するが、自らが出したものだ。他の魔術師たちの力も乗っている分、分が悪かった。
炎が、レオンたちを呑み込む。
「よし、さあ行こう!」
エニシが飛び立ち、ジャンたちが続く。ミカドたちも、建物から飛び出し、それに従った。
全員がエニシの後ろに付き従い、彼を先頭に、炎に包まれた集団の前に立つ。
やがて、炎が後方へ消えると、ほぼ無傷のレオン軍団が現れた。レオンの腕の中には、オトハもいる。
双方、睨み合う形で対峙する。
一歩、エニシが前に出て、訊いた。
「どうして?」
レオンが受けて立つ。
「どうして、とは?」
「わかってるでしょ。どうして貴方たちにオトハが必要なの?」
「ふん。それに、どうしてこの少人数で迎え撃ったか、か」
苦笑交じりに応え、レオンはエニシを見下した。
「聞かないとわからないのか? 答え合わせを求めるなら、敵に対して親切を求め過ぎだ」
「確かに」
エニシが頷いて、手を挙げる。
「結果が全てだしね」
「わかってるじゃないか」
レオンも呼応して、手を掲げた。
「エイス・ワイス・トラルド」
ふたりの視線が、絡み合う。
「クラッセル!」
「エレメント!」
共に、手を振り下ろし、強大な風が、莫大な炎が生まれ、相手に向かっていく。
ぶつかり、絡まり合い、避けながら、互いに蝕み合う。
やがて、無傷のふたつの集団が現れ、双方共に笑った。
「なかなかやるじゃないか」
「そっちこそ」
そして、すぐさま構え、また魔術を、魔導を、放った。
互いを包み込み、徐々に後方の魔術師たちが脱落してゆく。
まるで我慢比べの様相だ。
「いつまで持つかな?」
「そっちこそ、こんなに早く決着がつきそうだけど、大丈夫?」
口の端を歪めながら、次の矢を放つ。再び衝突し、更に脱落者が出る。
「ジャン!」
「はいさ」
列から飛び出して、独自に雷を呼び出した。
「アキニイ・イブ・ドロッタ・クライシー、ドレイブ!」
「小手先ばかりだ」
レオンは吐き捨て、二股に分かれた炎を導き、ジャンに巻き付かせ、後列の者たちをまた削ぎ落していく。
「セレナ、フレイレ、エルドルト!」
焦げたジャンをセレナが介抱しつつ、四人が並び立つ。
「アキニイ・ドロッタ・イヴ・クレイシー、ドレイブ」
「ユー・リンチン、ガンナー」
「アイーダ・クロエ、フォグス」
「レオン・バーナビー、エレメント!」
四人の詠唱が重なり、エニシの魔術に乗って、うねるようにレオンに向かう。
レオンから表情がなくなり、無表情で腕を振るう。
炎が〝小さな魔術師〟側の魔術を呑み込み、通り過ぎていく。
「何を考えている? 君に乗る魔力が少なくって、特に相乗効果もなく、見るも無残な結果が導き出されるばかりじゃないか」
ボロボロになりながら、エニシは不敵に笑い、更に声を上げた。
「ミカド! ヒラグモ!」
列からふたりが進み出て、〝小さな魔術師〟の幹部が集う。
「ユアン・アレクサンドル、バング」
ミカドが唱える。
「ツチミカド」
ふたりの魔法が加わり、六色の魔法と大きなエニシの風がレオンに放たれるが、遂にレオンは魔法壁だけでその攻撃を逸らしてしまった。
脱落者は出るが、レオン自身は無傷だ。
「自分の無能を呪え」
怒ったように言ったレオンが振るった炎は、〝小さな魔術師〟たちを完全に包んだ。炎が去って後、残ったのは幹部のみ、それも焼け焦げた痛ましい姿だ。
「よくそれで彼女を取り戻そうなどと思ったな」
レオンがオトハを懐に引き寄せ、嘲笑う。
「終戦だ」
レオンが竜の首を撫で、共に〝魔〟を溜める。
「喰らえ」
竜の咆哮と共に、今まで見たこともないような眩い炎が直線的にエニシたちを襲う。
エニシが風の防御壁を張るが、瞬く間に彼を覆い、姿を見えなくした。
「クラッセル!」
鼬の最後っ屁よろしく、風の槍が飛んできて、レオンの周囲の兵を突き刺した。
炎と煙が空に消えてゆき、空に残ったのはエニシとレオン、そしてオトハとレツケルの四名となる。
「……一対一になれば、どうにかできると思ったか? この七賢に」
レオンはオトハを放り投げ、これまでで最大の、太陽のような炎の球を頭上に作り出した。
「これに耐えられて、私を倒せるようなら、君がこれから七賢だ」
空にレオンの炎球が光り輝く。
「七賢に、随分誇りを持ってるんだね」
レオンが放とうとした正にその時、エニシがぼそりと呟いた。
その言葉が気に障ったのか、動きを止め、レオンが応える。
「当然だろう。この地に、〝魔〟を導いた七人だ」
「だったら、そのヒラグモが、こうも簡単に脱落すると思う?」
エニシの問いに、片眉を上げる。
「君に〝魔〟を注ぐことにより、無駄な力を使ったのだろう」
「それに、そんな七賢に対して、僕が無策に一対一を挑むとでも? 僕たちもちゃんと、尊敬してるよ。伝説で語り継ぐくらいには」
言いながら、エニシは指を鳴らした。
「僕はね、だから言ったんだ。しっかり対策をして、こちらから乗り込めば、同じように勝てるって」
下から、強烈な風が巻き起こる。
「何だ⁉」
レオンが見下ろすと、中庭に集結した脱落したと思われていた〝小さな魔術師〟の面々が、一匹の小さな白い魔獣に〝魔〟を注いでいる。
「貴方が僕らをあそこに閉じ込めようと思ったなら、裏を返せば貴方もその射程内にいる、ということだ」
レオンが竜を促そうとするが、いつの間にか周囲に結界が張られている。
「逃げ場はないよ」
言い捨てて、オトハに目をやる。
「オトハ、行こう。必ず、僕が理想を叶える。だから」
「だから?」
オトハが聞き返し、エニシが唾を飲んだ。そして、手を差し出す。
「一緒に戦って」
オトハがレオンの腕からすり抜け、空に飛び出した。
「テンちゃん! 行くよ!」
オトハが腕を掲げ、詠唱し、その手をテンに向ける。
「ヤオロズ、百九十九番、解夏!」
テンの体が光り、竜と同じほどに大きくなる。
ひと声叫び、飛び上がった。上下双方からの圧が、仕切られた空間の中から逃げることを許さない。
「クラッセル!」
同時に、エニシが上空から風を纏って挟み込む。
鋭い爪が竜を切り裂き、エニシの纏った風がレオンを刻む。
「これが、僕らの実力だ」
レオンに囁くと、エニシは落ちてゆくオトハに追いつき、抱きかかえ、テンの背中に乗った。
「さあ、帰ろう」
「うん!」
オトハが、エニシの首に縋りつく。
「ねえ」
「何?」
誰にも聞こえないよう耳元で囁かれ、エニシはくすぐったくなりながらも問い返す。
「私が帰りたくない、って言ったら、どうしてた?」
「知らない」
「知らない?」
「僕にはオトハが必要だから。それだけ!」
「何それ!」
笑いながら、再び抱きしめる。
「みんなが待ってる」
下では、〝小さな魔術師〟の面々が思い思いの表情で手を振っている。
安堵、喜び、呆れ、次の対応への思案。人それぞれだが、皆、エニシとオトハの帰還を心から喜んでいる。
「オトハ」
エニシが、その表情を眺めながら呟いた。
「何?」
オトハが、小首を傾げる。
「大好きだ」
「な……っ」
「言ってなかった気がして。大好きだから、一緒にいてほしい。大好きだから、大事にし過ぎた。大好きだから、オトハの思うようにできるよう、これからは助ける。大好きだから、同じ理想に向けて、一緒に歩いていきたい」
オトハが絶句し、顔を赤くしている。
テンが地上に着いて、先にエニシが降りた。
「なんだか、ただこの告白をするために、大規模な戦争にまでなっちゃった感じがするね」
「なにい?」
エルドルトが聞きとがめて眉根を寄せるが、エニシは勿論気にしない。
「でも、結局これが一番大事なことだし。オトハを幸せにする、その手段が、この理想を追うことなんだよね。だから、皆も、これからも、よろしく」
爽やかに言い置いて、エニシはさっさと帰り道に向かう。
苦笑しながらミカドやフレイレが続き、エルドルトもぶつくさ文句を言いながらも後に従った。
ひとり、テンの背中に赤らめた顔を埋めていたオトハが、顔を上げてそれを確認する。
「何を言われたの?」
「きゃっ!」
いつの間にか後ろにセレナが控えていて、オトハの心臓が縮みあがった。
「べ、別に何も……っ!」
「生粋の人たらしよねえ、エニシ君。まあそこがいいところなんだけど」
「セレナさんは何か……?」
「うん? 別に、ねえ?」
意味深な笑みを浮かべ、セレナがテンの背から飛び降り、皆の後に続いた。
「ちょ、ちょっと! セレナさん!」
オトハも降りると、テンのを見上げ、「ありがと」と首を撫でてやりながら「凍冬」と告げた。瞬間、小さくなり、オトハの腕の中に納まる。
「待ってください!」
そのまま抱きかかえて、セレナの後を追った。
〝小さな魔術師〟が誰もいなくなった中庭に、爽やかな風が吹く。
むくり、と芝生の中から体を起こした人物がいた。傷だらけの、レオンだ。
「ああ、私だ。大丈夫、もう帰っていったから、ゆっくりでいいよ」
無線で告げて、ふう、と息を吐く。
「ま、今日のところは、あの青さに免じて許してあげようか」
そう言って、傍らの竜の首を撫でながら芝生に寝転がった。
中庭から見上げる四角い空に、透き通った青と白い雲が浮かぶ。
「好きな人の、幸せねえ」
口から零れた言葉は、そのまま空に吸い込まれていった。
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