Ⅳ


「そんな馬鹿な!」

 エニシが声を張り上げ、やり場のない感情を思い切り机に叩きつける。

「落ち着け」

 腕を組んだミカドが冷静に告げるが、エニシがその言葉に従えるとは到底思えない。

「オトハが⁉ だって、オトハは僕と、この国を造るために、オトハだってそれを信じてくれたから、卒業後すぐについて来てくれて……」

「どんな否定の理由を述べようが、実際起こってしまったことが覆ることはないよ」

 その事実を告げに現れたトラルドが、柔らかい口調でエニシを諭す。

「トラルドも、どうして止めてくれなかったんだ! オトハがレオンと一緒に行ったって、トラルドはそれをどこで見て、何をしてたんだよ!」

「私かい? 私は若者の意思を尊重して、次の時代を切り開いてもらいたいだけだからねえ。だから、レオンが入ってくるのも止めなかったし、彼女の決断を見守っていたよ」

 それは実際、何もしなかったと言っているようなものだ。エニシが頭を掻き毟り、腕を振り回す。

「オトハがいなかったら、僕らの目的は……」

「そもそも、レオンはどうやってオトハの存在を知ったんだ?」

「儂と同じように推測したんだろうよ。同じ七賢じゃ、それくらいできよう」

 エルドルトとヒラグモの掛け合いを背中で聞きながら落ち込むエニシの肩に、セレナが手を置く。

「別に、できないわけではないでしょう? 他の方法を探しながら、魔術師だけの、しがらみに縛られない国を維持し続ける。それだけでも、充分に意味があると思うわ」

 セレナの慰めも、今のエニシにはまだ届かないようだった。急に力をなくし、椅子に沈み込んで俯いたまま、顔を上げようともしない。厳しい表情でフレイレが続ける。

「実際、彼女がいなければ計画は倍以上の時間が掛かります。まずはその見直しをするべきかと」

「傷心のエニシにいきなりそれは酷なんじゃない?」

 久々に登場した感のあるジャンが口を開くが、すぐさまミカドがそれを遮断した。

「そんな個人の事情に構っていられないのが、国という共同体を預かる者の責任だ。少しの間であれば代わってやることもできるが、大きな決断は、やはりお前がしなければならない」

「……わかってるよ」

 頭を抱えたまま、か細い返事だけをかろうじてし、エニシが言う。

「ミカドは、各国でオトハの同等の能力を保持する者がいないか調査。フレイレはオトハがいない状況での計画達成への想定地図を。エルドルトとヒラグモは国内での研究施設を稼働させるために必要なものと時間を計算して」

「私たちは?」

 嫌そうに顔を見合わせるヒラグモとエルドルトを無視して、セレナとジャンが前に出る。

「ジャンは国内の警備を最優先に、戦いに備えた部隊の再編制を。セレナは……僕と来てくれるかい」

「ええ、喜んで」

 包み込むような笑みを向け、セレナは立ち上がって先に出て行ってしまった。ふらふらと立ち上がったエニシが、それに続いていく。

 黙って出ていくのを見送った五人だったが、姿が見えなくなると同時に、ジャンが口を開いた。

「大丈夫かな、エニシ」

「ふん」

 鼻息だけでミカドが返す。

「何だよ。だって、エニシにとってオトハは生きる意味、みたいなもんでしょ?」

 頭の後ろで腕を組み、立ち上がって後方へと移動していたミカドを顧みる。ミカドは冷たい視線を送ってから、溜息交じりで答えた。

「そんなにやわな人間についてきたつもりはない」

「……そりゃあ、そうだけど」

 唇を尖らせながら、ジャンも立ち上がる。

「お主らがそう思うなら、そうなんじゃろう」

 ヒラグモが腰を反らしながら口を挟んだ。

「下手に心配をするだけ無駄じゃ。本当にこんなところで駄目になるようなら、早々に切り捨てて新しい頭目を立てるか、ここを去ればええ」

「お前……!」

「ほれ、行くぞ。主は元魔術学校勤務なんじゃろう? 何を調べるかは教えやるから、必要なもんを教えるか、揃えい」

「こら、坊主、待て。儂に指図をするな。儂がやる。おい、こら――」

 さっさと出て行くヒラグモを追って、エルドルトが肩をいからせながらついていく。

 フレイレがそれを眺めながら苦笑しつつ、誰ともなしにフォローを入れた。

「まだ去らない、という意味で、まだ見限っていない、期待している、と暗に言っているのでしょうが」

「わかり辛いお爺ちゃんだね」

 ジャンが同調して、互いに笑い合う。

「どうなるかわからんが、信じてきたんだ。今はできることを、できる限りやるとしようか」

 ミカドが纏めて、皆、持ち場へと去っていく。

 放っておかれた形のトラルドが、誰もいなくなった会議室を見回して、満足したような息を吐いた。

「いいんじゃない?」

 部屋に降り注ぐ陽光と同じ色の髪をなびかせながら、金髪の魔導士も、部屋を出て行った。


 何故かセレナに先導されるように、エニシとセレナは奇遇にもオトハがトラルドとレオンと出会った森を歩いていた。

 人々の喧騒も消え、彼らが葉を踏む音だけが響く。

「オトハと同性のセレナだからわかることがあるんじゃないかと思って」

 そろそろいいだろう、というようにエニシが口を開いた。

 だが、セレナは答えないまま、どんどん先へ進んでいく。

 首を傾げ、眉根を寄せながら、エニシは少し駆けて後を追い、続ける。

「何が悪かったんだと思う? ぼくは、オトハをできる限り守るつもりだったし、彼女に不自由をさせたつもりもないんだけど……」

 ぴたり、と止まり、エニシが思わずセレナの背中にぶつかりそうになる。

 至近距離でセレナが振り向き、一瞬その近さにエニシが戸惑うが、表情を見て凍った。

 あのセレナが、氷のような目つきでエニシを睨んでいる。

「不自由? 貴方、まだそんなことを言っているの?」

「え、いや、それは……」

「彼女は、もっと責任を負いたくて、貴方に直談判したんでしょう? 貴方の言う自由って何? 貴方の庇護の元、制限された行動の中で、嗜好品や遊びに不自由しないこと? 違うでしょう!」

 叱責され、エニシが縮こまる。

「私たちが求める自由は何? 〝魔〟が使えるか使えないかで未来が制限されないことじゃないの? どうしてそれをあの子自身の問題として考えられないの! 彼女は、責任を負う自由が欲しかった。貴方と共に戦うと決めたのだから、隣に立ちたかった。それがどうしてわからないの!」

「でも、彼女の安全を守ることが、何よりも大切で、それはわかってくれと――」

「いい、エニシ」

 言葉の途中でセレナの両手で頬を挟まれ言葉を遮られたエニシは、「ふぁい」と間抜けな返事をする。

「目的のために、経過を軽視しては駄目。結果より過程の方が大切なことはままあるの。その結果を得てからと、その結果を得るまで、どちらがより長い? そして、同じ結果を得るなら、少しくらい遅くたって、危険だって、共に充実することが、生きる上では何より大切なの。わからない?」

「それは――」

「私たちは、だから貴方の許に来た。もしかしたら、元居た場所で反対勢力を説得しながら進めた方が、目的の達成には早かったかもしれない。それでも、同じ志を持つ皆と、世界をより良くしていくことをしたかったから、同調したの。彼女は、貴方と共にいることを選んだ。それが、幸せだと思ったから。彼女の意思も、尊重してあげて」

「僕は、彼女が大切だ」

「ええ、そうね」

「だから、安全な場所に居てもらおうと思った」

 セレナは、どこか遠くへ視線をやっているエニシの顔を、じっと見つめた。

「だけど、いつしかそれが、不安から守るために、危険から遠ざけ、彼女を拘束しているだけになっていた」

 こくりと、セレナが頷く。

「オトハを、信用しきれていなかったんだ」

 膝から地面に頽れる。頬を挟んだまま、セレナの髪がエニシの額に優しく垂れた。

「今なら、どう?」

「……必ず、彼女と共に、戦うと、誓う」

「そう。なら、いいんじゃない?」

 セレナが手を放し、服を翻して先へと進んだ。

「あら」

 セレナの驚きの声に、エニシがゆっくりと立ち上がり、しかししっかりとした足取りでそちらに向かう。

「これは」

 湖が、紫に染まっている。

「何かあったのかしら」

 セレナが首を傾げるが、エニシは紫の湖をじっと見つめて動かない。

 何を思い立ったのか、掌を向け、詠唱を行う。

「エイス・ワイス・トラルド、クラッセル」

 湖の水が回転しながら浮き上がる。その底に、何かを見つけたエニシが、飛び上がり、水の中からそれを抜き取る。

 すると、回転しながら水が透明を取り戻し、徐々にその動きを止めた。

「それは、何?」

「多分、トラルドの。この成分と同じ水がある場所に、道を開いてくれる。今いるここ、魔獣と同じような原理だね」

「どうして色が?」

「さあ」と首を傾げながら、「わかりやすくするため?」と自問自答する。

「趣味は悪いからなあ」

「そんなもの?」

 言いながらも、セレナの口調は優しくなっている。

「でも、やっぱり弟子思いなのね。こんな助けを準備してくれて」

「この水が、オトハの場所に繋がると?」

「それ以外ないでしょう。こんな不自然なものをこんな状況で準備するなんて」

「だったら、最初から僕とオトハを言葉で諭してくれればよかったんだ」

「動いて、実感しないと、わからないこともあるでしょう」

 返事をしないのは、重々身に染みているからだろう。

 石を再び湖に放り入れ、紫へと変わるのを見届けてから、力強く踵を返した。

「行こう、セレナ。ありがとう」

「どういたしまして」

 目を瞑って、わざとらしく礼で返すセレナを後ろに、瞳に輝きを取り戻したエニシが進んでいく。

 ずんずんと草を踏みしめ、掻き分けていくが、徐々に我慢できなくなったように、その歩みを早め、やがて走り出す。

 そして遂には飛び、〝小さな魔術師〟の政治機能が集まる中枢の空へ向かった。

「ミカド! フレイレ! エルドルト! ジャン! ヒラグモ! ごめん!」

「なんだなんだ」

 エルドルトが、のっそりと幕舎から姿を現す。

「やっぱり、僕にはオトハが必要だ! 迎えに行く!」

 苦笑しながら、ジャンが指笛を鳴らしつつ煽る。

「ミカド、フレイレ、戦略を!」

「パターンがいくつかある」

「一気に敵中心地までは飛べる!」

「でしたら、Fですかね」

 ふたりが既に分かっていた、というように戦略を照らし合わし始める。

「流石、頼りになる」

「儂の知恵を授ける良い機会かとも思うたが」

 横に、ヒラグモが土中に乗ってやってきた。

「それはまた、帰ってきたら是非!」

「できるかのう。お主の気まぐれにつきおうとったら、腰を据えて研究などできる気がせん」

「できるよ! 七賢のこれまでの知識を皆に行き渡らせるようにできるなんて、それこそ多くの人に自由をもたらす!」

「ふん、調子のいい」

 鼻で笑いながら、土柱をひょいと飛び降りる。しかし、そう言うヒラグモも、気分が悪いわけではなさそうだった。

「ジャン、戦いに行ける人数は⁉」

 その質問に、ジャンは黙って後ろを親指で示す。

 目をやると、大勢の魔術師が、既に勢ぞろいしてエニシを見上げていた。

「皆……」

「全員、準備済みじゃい!」

 エルドルトが、叫ぶ。

「ありがとう! よし、行こう!」

 戦略会議も、作戦伝達も無しに、勢いに任せてエニシが飛び立つ。

 だが、それに疑問を呈す者も、止めようとする者もいなかった。この熱と勢いこそが、彼らを突き動かすものなのだろう。

 先頭を飛ぶエニシの横に、ミカドが並び立つ。

「中心地へ飛ぶ方法は」

「トラルドが中継地点を用意してくれた。多分、オトハか、連れて行ったレオンか」

「レオンだと厄介だが……。まあいずれにせよ、すぐさま戦闘になるか。フレイレ、セレナに治癒部隊の稼働準備と、ジャンに先発部隊を三十名ほどで編成させてくれ」

「了解」

 共に来ていたフレイレが、伝達を始める。

「オトハを取り返し、先方に十分な衝撃を与えたらすぐさま撤退するぞ」

「わかってる」

 前方を見据えたまま答えるエニシの顔には、笑みが浮かんでいる。

「本当にわかっているのか、怪しいものだ……」

 こめかみを押さえながらミカドが嘆くが、エニシは口の端を上げてそれを受け流した。

「僕らだって、準備をして、不意打ちをすれば、同じように圧倒できることを示してやるんだ」

「どうやって来たのか、相手はわからないだろう。神出鬼没に好きなところに現れることができる、となれば、各国へ与える衝撃は計り知れない」

 ふと、不思議そうにエニシがミカドを眺めた。

「どうした?」

「ミカドは、僕がこんなにすぐオトハを取り戻しに行く、って意見を変えるってわかってたの? それに、突入法も」

「お前に彼女が必要なことなど、端から見ていれば一目瞭然だ。代わりなど、いるはずもない」

「……恥ずかしいなあ」

「奪還方法は、正直正面からは厳しいという見方から、彼女の手を借りるなどの方法はないかと考えていたに過ぎん」

「数ある可能性の中から、成功確率の高いものを選択し、時間に間に合わせて戦略を練られる。ミカドさんだからこそ、できたことです」

「考えるだけなら誰でもできる。実現できるところまで環境を持ってこられるのは、フレイレのお蔭だ」

「ふたりがいてくれてよかったよ」

 持ち上げ合うふたりにエニシは笑い、後ろを振り返った。

「勿論、皆もね! ありがとう!」

 ついてくる者たちが、手を挙げ、それに応える。心意気を受け、再び前を向くと、更にスピードを上げ、湖へと一直線に向かった。

「さあ、行こう!」

「敵も馬鹿ではない。各国の優秀な頭脳が集まっている限り、私と同じような可能性は既に考えて対処しているだろう。罠が待っている可能性、そして突入後すぐに戦闘に入ることも十分考えられる。決して気を抜くな」

 ミカドの注意が全員に行き渡り、気が引き締まる。

「大丈夫、皆がいれば何とかなる!」

「能天気な……」

 溜息を吐きながらも、ミカドももう諦めたように笑っていた。本質はミカドだって同じなのだ。だからこそ、この場にいる。フレイレも、セレナだって、同様に。

「行くぞ皆! 声を上げろ!」

 原始的だ。だがその人間的なものが、今の高揚する彼らの気持ちには一番合っていた。

 雄叫びが、国中に谺する。

「オトハ、待ってて!」

 風を纏い、誰よりも早く、エニシは紫の湖へと、その体を、一目散に沈めていった。

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