Ⅲ
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扉の前で暫し躊躇した後、意を決したように顔を上げ、ノックする。
「はい」
中から訪いを受け入れる返事が聴こえ、一度大きく息を吸った後、ノブを引く。
「どうしたの、オトハ」
部屋の中で執務に精を出していた様子のエニシを見て、再び気後れしたかけたが、後ろ足で踏みとどまり、一歩、部屋の中へと足を踏み入れた。
あの頃は、こんな弱い自分じゃなかった。いつの間にか立場が逆転し、エニシに引っ張られている。別に、それが嫌なわけじゃない。でも、今聞いておかなければいけないことだった。
声を掛けはしたが、オトハを放ってまだ仕事を続けている様子のエニシを見据え、オトハは言葉を発した。
「エニシ、この国に、私は必要?」
唐突な問いに、エニシは暫し言葉を失う。呆然と口を開け、オトハを眺めた後、慌てて立ち上がってその肩を抱いた。
「何言ってるんだよ! オトハがいなきゃ、一番の目的が果たせないじゃないか! 必要も何も、絶対いなきゃ困るよ!」
「そういうことじゃないの」
オトハは首を振り、掴んできていたエニシの手をゆっくりと剥がした。
「最後の仕上げに必要だったら、その時に呼んでくれたらいい。私は、この国が目的を達成するための工程において、必要かを聞いてるの。役割を担いたいのよ」
オトハの言葉に当惑したようなエニシが、必死に頭を働かせながら、とりあえず、思うがままを呟く。
「目的は勿論重要だけど、そもそも、僕はオトハと一緒に居たいんだ。そっちが先であって、オトハがいなかったら……」
「その気持ちはありがたいわ」
エニシの混乱を遮り、オトハが噛んで含めるように理由を告げる。
「でも、私は私としての理想と目的があって魔術師を目指したし、今ここにいる。それなのに、最後のためだけに安全な場所で皆が頑張ってるのを見てるだけなんて耐えられない」
愕然としながら、エニシは右往左往しつつ、どう答えていいものか頭を抱えた。
「でも、もし君に何かあったら、この計画そもそもが、根底から覆されてしまう。それは最も避けなければいけないことで、だからこそ、我慢することが今のオトハの役割で――」
「だから! そんなことわかってるの! それでも、嫌なのよ!」
オトハの叫びに、エニシは困惑を隠しきれない。オトハは溜息を吐きながら、言葉を紡ぎだした。
「わがままを言ってるのも、わかってる。エニシの言ってることが戦略としては当然で、正しいことだって。でも、そうじゃないの。私たちは、何のためにこの国を立ち上げたの? 〝魔〟によって可能性を潰されない、全ての人に〝魔〟への扉を開くために、この国はできたんじゃないの? 私の可能性はどこに? 私の魔術は、何のためにあるの? 私だって、戦いたい!」
彼女の叫びは、エニシを震わせた。震わせたが、しかし、新しい国の惣領として、やはり戦略の肝を、そう易々と危険に晒すわけには、やはりいかなかった。
「オトハ、君の力は、目的を果たした後、更に必要になる。今はそれで、我慢してくれない?」
「それはいつ⁉ いくらこの国の勢いが凄くたって、世界を変えようという目的が、そんな数年で達成できるの? 今今、政府に負けて帰ってきたところなのに、よくそんなことが言えるわね!」
エニシが黙ってしまう。オトハも気づいたようで、はっとしてから、小さな声で「ごめん……」と謝った。
「いいんだ。オトハの言う通りだよ。いくら言葉で負けてない、想定通りだと言っても、負けは負けさ」
エニシは窓の外を眺め、先日の戦いで負傷をした様子の人々が多い風景を確かめた。
「予想の範囲内だったとはいえ、全世界が〝魔〟の既得権益を手放したくないと反対してきてる。それをすべて覆して、僕らは目的を達成しなければならない。それを考えると、今の状況じゃ遅すぎるくらいだと思う」
「だったら……!」
「それでも、続けていかなければならないし、蒔いた種は、必ず至る所から芽吹くはずなんだ」
確信している、というよりはそう信じている、という風情で、エニシは窓の桟を掴んだ。血管が、浮かび上がる。
「だから、やっぱりオトハは前には出せない。その代わり、やってもらうことを考えるよ。それじゃあ、駄目かな」
エニシは真剣だ。だからこそ、オトハも本気で、彼と向き合う。
「嫌。だったら、私はここを出る」
そう告げて、踵を返した。
「オトハ!」
エニシの焦った声が追ってくる。しかしオトハは振り向くことなく、エニシの元を去っていった。
〝小さな魔術師〟の領土であるトラルドの〝魔獣〟内は、広大であり、未だエニシたちも全容を把握できていない。あるところには奈落の底まで続くのでは、という滝があり、あるところには宙まで突き抜けているのでは、という果てが見えない山がある。
その中で、原始の獣たちが棲んでいるのでは、と噂される森の中を、オトハはひとり、俯き加減で急ぎ足で歩いていた。
自分が大人げないのはわかっている。それでも、自分の運命は自分で切り開きたいし、自分が評価されるのがただ偶然、いや、血筋のお蔭で、生まれ持っていただけの才能のみ、というのが許せなかった。
あの事件があってから、オトハも自らの力不足を恥じ、自分の力で大切な人を守れるよう学んできたのだ。今は、それをエニシと共に理想を実現するために使いたいと思っている。その「共に」は、一緒に、という意味であり、エニシに利用されて、という意味や、ましてやおんぶにだっこで、という意味なんかではない。
自分の力で、自分の未来を手に入れたかった。
勿論、そんなものは幻想で、生きている限り多くの人と助け合いながら、自分の力だけじゃなく、運にも左右されながら、人の未来は決まっていくのだと思う。だけど、せめて実感だけは、そうありたいじゃないか。
エニシが自分のことを考えてくれているのはわかるし、戦略としてもそうするのが正しいというのは先刻から百も承知。それでも、オトハの十八歳という若さは、それを心から納得することをまだ許さなかった。
その若さゆえの熱を冷ますため、常に快適な温度が保たれている世界の中を、ひとりで黙々と進んでいく。
と、その視界の先に、人間の両足が見えた。こんなところに誰が、と目を上げる。その先に居たのは、苔むした石の上で、木漏れ日を浴びて微笑を零す、七賢のひとりだった。
「随分と怒っているようだ」
木漏れ日を浴び、その金髪を鏡のように光らせながら、男はオトハの前に立った。
「うちの不肖の弟子が、何か失礼なことを言ったかな?」
エニシの師であり、七賢のひとり、エイス・ワイス・トラルドはその立場を誇示することなく、柔らかな表情でオトハを気遣う。
「彼はあれでいて、なかなか強情なところがある。よければ、私が話を聞こうか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
オトハは首を振り、その恩情を固辞した。
「これは、私ひとりで悩んで、私ひとりで答えを出さなきゃいけない問題だと思うんです」
「そうか」
トラルドも押しつけがましいことはせず、頷くと少し身を引く。
「君がそう思うのなら、結局、それが一番いい。自分が納得しなければ、どんな答えだって意味はないからね。ただ……」
そう言いながら、七賢は後ろ姿を見せつつ木漏れ日へと向かっていく。
「自分ひとりの問題だと思っているのなら、それは違う、ということだけ伝えておこうと思ってね」
「? どういうことですか?」
先ほどは肯定をしたのに、その直後に言を翻すトラルドに首を傾げると、トラルドは金髪を揺らし、優雅に笑った。
「ひとりで答えを出すことと、その問題がひとりのものであるか、は別のことだ、ということだよ。悩むのなら、存分に悩めばいい。ただ、君が悩んでいる問題が、他人は関係ない、自分ひとりのものだと思うなら、それは傲慢だ、ということだ」
「傲慢?」
少々気分を害したように眉根を寄せるオトハを落ち着かせるよう笑いかけながら、トラルドは続ける。
「その通り。世界の理の中で偶然君に降りかかったこと、血脈の中で、多くの先人の努力の先に君がいるだけのことを、君が特別だから、と悩むのは違う、ということだ。わかるかい?」
禅問答のようなトラルドの問いに、オトハは戸惑いを隠せない。トラルドは木漏れ日の中、ゆっくりと歩を進めながら言う。
「この能力を生まれながら手にしただけで、特別なことをしていないのに丁重に扱われるのは違う、と思っていないかい?」
オトハは、トラルドの真意を推し量っているのか、恐る恐るというように頷く。
「それは、違う。君がこの能力を手にしたのは先人たちの賜物だし、その結果であり、必然と言ってもいい」
「必然……」
「だから、そのことに君が引け目を感じる必要もなければ、責任を感じる必要もない。それらは皆、先人たちの責任だ」
オトハが、俯きながらも言われた言葉を必死に咀嚼する。
「そういう意味で、君は、それを捨ててもいいし、有効活用してもいい。すべて、君の自由だ。ただし」
「ただし?」
「使うのならば、出し惜しみせず、存分に使うことこそが、先人への感謝を示すことになるだろう」
トラルドは木漏れ日を抜けて、森を歩き出した。導かれるように、オトハもそれに続いていく。
「君は、この時代に〝小さな魔術師〟が生まれ、今まで姿を見せなかった〝七賢〟が続々と出てきたことは、偶然だと思うかい?」
トラルドの不意の問いに、敢えて目を瞑っていた問題に直面させられたオトハは、そのかわりに今、大きく目を見開き、慎重に言葉を選んだ。
「……それこそ傲慢かもしれませんが、私という魔術師や、エニシが現れたから、ではないでしょうか。その登場が偶然なら偶然ですし、トラルドさんが仰るように、私たちの存在が必然なら、これもまた、何かの結果であり、必然なのかもしれないな、と今は思います」
「うん。君は賢いね」
森を抜けると、静かな湖畔に出た。湖は、鏡面のように静かに水を湛えている。
「今という時機だけを言うならば、これは偶然だ。だけど、大きな時間の流れの中で、こうした出来事が起こったのは、偶然ではない」
トラルドはゆっくりと、湖の縁に沿って進んでいく。
「君たちの地位になりたい人は、沢山いる。必然だからといって、努力をしなければ、その座はすぐに奪われてなくなるだろう」
オトハも、その歩みに合わせ、後ろについていく。小さな自分の掌を、握り、開き、じっと眺めた。
「つまり、全てを受け入れて、その上で、どう振る舞っていくか、が重要だ、ということですか?」
「そう簡単に答えを求めてはいけない。優等生の悪い癖だな」
トラルドは教師のように嗜めると、踏みしめるようにしながら歩を進めていく。
「私は君に選択肢を与えたいと思っただけだ。生得的なものだとしても、それは先人から連綿と受け継がれたものであり、それを使うことに躊躇などしなくても構わない、というね」
言いながら、頭を掻く。
「まあとはいえ、こうして選択肢を持たせようとしている時点で君を少なからず僕の思う方へと追い込んでいるわけだが」
苦笑するトラルドに、オトハも釣られて笑みが零れる。
「ほんとですよ。もう、ほとんど覚悟を決めてたのに」
「覚悟?」
「はい。ここを出て、世界を回ってみようかと」
「それもいい。それが君の選んだ道なら、必ず君のためになる」
トラルドが、ふわり、と中空に飛んだ。
「だが、もう少しだけ話させてほしい」
杖を湖に向け、その水をそのまま上へと持ち上げる。水は形を保ったまま、滴りそうに震えながら漂っている。
「時の流れの中で必ず起こるとわかっているからこそ、僕たちはこの長い時間を待ち続けることができた。だがそれは同時に、いつ起こるかはわからない、という常に気を張りつつ待たねばならない、拷問を受け続けることも意味する」
「そんなに私たちを、っていたんですか」
「重圧をかけるようですまないね。だが、その通りだ」
「でも、トラルドさんは積極的には〝小さな魔術師〟には関わっていらっしゃらないじゃないような……」
「この魔獣を提供している時点でそんな風に言われる筋合いはないと思うが」
意地悪く笑むトラルドに、オトハも恐縮する。
「仰る通りです。でも、皆、そう言うものですから」
「はは、冗談だよ。その通りだ。私はまだ、エニシや君が、本当に私たちが望んでいた人物なのか、品定めをしている」
「品定め……」
「そう。長く待ち続けたせいで、逆に簡単には信じられなくなっているんだな」
浮かべた湖に手を差し伸べ、くるり、とかき混ぜる。その渦はすぐに姿を消してしまった。
「小さな流れや動きも、見つけることができないと掻き消えてしまう。だが、それを見つけ、見守り、育てることができれば」
再び掻き混ぜて作った渦を、今度は杖で増幅させた。その渦は周囲へと広がり、遂には湖自体が大きな水の竜巻のようになった。
「世界を変えることも、夢想ではなくなってくる。私たちはそれを探して、実は色々なところに現れていた。今ここに集まり始めているのは、それだけこの〝渦〟が周りを巻き込み始め、大きくなり始めている、ということなだけさ」
水の竜巻を空へと放ち、龍のように駆け上った竜巻は、空で再び球となり、弾けた後、湖へと降り注がれた。元の形へ収まった水は、まだ水面を波立たせて入るものの、もう徐々にその静けさを取り戻そうとしている。
「同時に、動き始めてしまったものは、小さな力ではそう簡単には止めることができない、とも言えるが」
「……私もその渦の中に、既に入ってしまっているんですね」
「すまないが、そういうことになる」
トラルドは頷くと、オトハの後方、森の中へと目をやった。
視線につられ、オトハも振り向くと、そこにはライオンのように茶色い髪を広がらせた、爽やかな笑顔を浮かべた男が手を挙げて立っていた。
「どうしてここに⁉」
「君に用があってね」
頑強な肉体と親しみやすい口調。誰もが兄のように慕いたくなる、政府側の魔導士。〝太陽の七賢〟レオン・バーナビー。
「いいのか?」
レオンがトラルドに訊く。
「よくなければ、お前をここに入れないよ。ここは、私の魔獣の中だ」
「そりゃそうだ」
肩を竦め、それで話を終えると、改めてオトハに向き直って、言った。
「こちらに来ないか、コトノハ・オトハ」
「えっ⁉」
「〝小さな魔術師〟が君の力を引き出せているとは到底言い難い。私たちの許なら、最初から世界を敵に回すこともなく、君の力を存分に発揮できる」
「でも、世界政府は人が皆魔術師になることには、反対しているんじゃあ……」
「確かに、色々な派閥はある。だが私は、少なくとも技術である限り、誰もが享受すべきだと考えているよ」
「だったら、何で……」
「何で、君たちと協力しないか、かい? それは、性急すぎるからだ。急に誰もが魔術師になって、無秩序に力を乱用したら、今の世界の枠組みはどうなる? これは、無計画にやるべき事柄ではない。ちゃんと世界的に、足並みを揃えて、安全に飛び立つべきことだ」
差し出された手をじっと見つめた後、ちらりとトラルドを見やった。トラルドは頷き、「渦はもう、回り始めている」とだけ告げる。
「私がそちらにいけば、〝小さな魔術師〟は見逃されますか?」
「こちらに危害を加えない限り。全人類の魔術師化は君がいない限りできないのだから、君がいなくなれば、その活動は止めるだろう。そうなると、ここを潰す理由もなくなる。魔術師を集めて国を造ることに関しては、ちゃんとした手続きを踏めば承認されるよう交渉しよう」
レオンの言葉を噛み締めるよう、目を瞑って深く息を吸った後、オトハは答えた。
「お世話になります」
「こちらこそ。よろしく頼むよ」
ふたりの手が、繋がれる。
「それじゃあ、私たちは行くが」
「どうぞ。良い旅を」
選別とばかりに湖の水を瓶に入れ、オトハに放る。
「物語は、動き始めている。また迷ったときは、それを見て思い出すといい」
何か邪魔立てされると思ったか、レオンは少し目を細めたが、気が変わる前に、とそのまま姿を消した。
ふたりがいなくなった湖畔で、既に鏡面へと戻った湖へ目を戻し、トラルドはどこか遠くを眺めるような目で呟いた。
「渦となっても、水の形は器に縛られる。だとしたら、水を変えるには、どうしたらいい?」
石を拾い、それを投げ入れた。
ぽちゃん、と波紋を広げ、石は沈んでいく。
「器を変えるか、それとも」
トラルドは踵を返し、湖を離れた。
石が、湖の底につく。湖の底面が、先程の一連の流れの粒の落下によって所々凹み、形を変えている。
と、石から紫の煙が噴き出し、それは徐々に徐々に、だがしっかりと、水の色を底から変えていく。
やがて、誰もいない森の中に、紫の水を湛えた湖が誕生した。
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