第四章 綻び
Ⅰ
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「この戦いが、本当に儂らが目指すものなのか!」
エルドルトが気炎を上げ、円卓を叩いた。
アルフェン、キムの玉座の間であった場所。外の天気は悪く、雨が窓を叩いている。ヒラグモが割った窓は、勿論綺麗に修繕されていた。
「綺麗事を言うでない」
エルドルトを制したのは、糾弾されている本人・ヒラグモだった。エルドルトが、更に激昂する。
「キムを引っ張り出せたなら、後は置いていけばそれで済んだはずじゃ! あそこまでアルフェンの者を殺さずとも、そして儂らに犠牲を出さずとも、アルフェンは手に入った!」
「それが綺麗事だと言うておるし、そんなものは机上の空論でしかない」
背もたれに身を預け、ふんぞり返ったヒラグモが冷めた目でエルドルトを見つめた。
「何ィ⁉」
「そもそも、儂がお主らに壊滅的な打撃を与えなければ、キムは出てこんかった。流石に一国の元首じゃ、そう簡単には儂を信じてはおらんよ。奴を信用させる意味で、儂は本気で戦わねばならんかったし、油断させる意味で犠牲者は必要じゃった」
「だが……!」
「そして、アルフェンの方の数も減らさんと、その後が面倒じゃろう。放置しておいてここに攻めてくるならまだしも、他国に行ってその地を荒らしては、その責任をなすりつけられる可能性もある。それを考慮して、敵の数を減らしながら作戦を遂行した儂は、褒められはせよ、貶される覚えはないのう」
「しかし、何も知らず犠牲にされた方の身にもなってみろ!」
「セレナの魔術によって死者は出ておらんのだろう。それに、それほどまでに大切で高邁な理想だからこそ、主らはここに身を投じたのではないか。味方なら、わかってくれよう。それに、アルフェンの方は、あそこまで心を喪わされたなら、殺してやった方が彼奴らのためというものよ」
「そんな馬鹿な話があるか……っ!」
絶句するエルドルトに冷えた視線をくれたヒラグモは、呆れたようにその矛先をエニシへと向けた。
「キズナ・エニシよ、主はどうじゃ。ここは、主の理想のために集まった共同体。主が掲げる道筋が、正しいということになる」
全員の視線がエニシに集まる。両手を合わせ、考え込むように額に当てていたエニシは、ひとつ頷くと、その顔を上げ、言った。
「今回は、やり過ぎだったように思う」
その言葉にエルドルトが当然、と大きく首肯し、ヒラグモは落胆したように首を振った。
「でも、僕らにとってこの国の奪取が戦略として大きかったこともまた、事実だ。それを成功させたのは、間違いなくヒラグモの策略と力。だから、それは間違いではなかったと思うし、深く感謝してる。ありがとう」
ヒラグモは眉間に籠めていた力を解き、反対に今度はエルドルトが肩をいからせる。
「だけど、これを機に犠牲者は極力出さない方向に変えていってはくれないかな? 僕らの理想は、全ての人間を魔術師にすること。そして、〝魔〟の恩恵を受けて、ひいてはそれが世界から争いや貧困をなくし、平和に繋がることだから」
「……少しは犠牲を受け入れんと、大きなものを手に入れることはできんぞ」
「それでも、できることをやりたいんだ」
「……好きにするがよい」
ヒラグモは鼻息ひとつ吐くと、つまらなそうに椅子に背を預けた。その姿だけ見ると、拗ねている少年にしか見えない。
エルドルトは勝ち誇ったようにその姿を眺め、改めてエニシに問うた。
「それで、これからどうするんじゃい。形を持った国は手に入れた。それで、どうなる」
「世の中に目に見える形で僕たちが現れたことは大きいと思ってる。その影響と、それを受けての各国の動きは、ミカドに予測してもらった」
エニシに促されて、ミカドが立ち上がる。
「少なくとも、この数日のうちに我々を非難する声明が連合国から出るだろう。だが、その裏で接触を試みてくる国も、数国あるはずだ。そこで牽制し合いながら、まずは政情の安定と体制の確立を図りたい。フレイレ、頼む」
「その辺りをまとめてみました」
フレイレが指を鳴らすと、参加者の目の前に文字が浮かび上がった。このふたりが、〝小さな魔術師〟の実質的な頭脳なのは、疑いようがない。
「現在、情報統制されているこの国は、国主が遠征先で行方不明になり、我々も大きな騒ぎを起こすことなくこの城を奪い取ったので、その情報自体が国民に届いていません。ですので、国民はまだこの状況を把握すらできていないでしょう。ヒラグモ氏の指摘にもありましたが、洗脳に近い形で心を喪わされているので、統治が我々に代わる、と言っても大きな反響は正直期待できないでしょう。それより、その治療が必要なくらいかと」
「僕らは、統治をするつもりはないからね。それは言っておいて。あくまでも、皆が自由に生きていくために、その前段階で預かっているだけだから」
「わかっている」
ミカドの断言にエニシも頷き、先を促す。
「それでも、理想の実現のために国という形を作った以上、安定しない限り先にも進めません。ですので、ジャンには引き続き公安としての役割を担ってもらいたいと思っています」
「りょうかーい」
手を挙げて気楽に返す。この軽さが、今の会議には救いのようだった。
「セレナは、民衆の治療に当たって頂ければ」
「かしこまりましたわ。よしなに」
柔らかく了承の意を示し、フレイレとミカドがほっと息を吐く。我が強い集まりだ。何かが気に障って従ってくれないことも考えていたのだろう。
「儂は、どうすればええ」
「エルドルトの部隊は先の戦いで半減している。まずはその補充を進めよう。それに、エルドルト自身も先の戦いで負傷しているだろう。今は休め」
「そんなこと言うてられるか! 儂らのせいで、儂らのために犠牲になった奴がおる。そいつらのためにも、理想の実現までは止まることなど、休むことなどできん!」
エルドルトの啖呵にミカドは苦笑しながらもフレイレに顔を向ける。フレイレは頷いて、手配をしましょう、と応えた。
「ヒラグモ氏も、よろしければご一緒にいかがですか」
「何じゃと⁉」
「エニシ、彼の今回の戦いの功績を見ても、一軍を率いて頂くのは我が国にとっても有益かと」
「部隊と人事に関してはミカドとフレイレに任せるよ。必要だと思うなら、やって。ただ……」
ちらりとヒラグモを見て、エニシが言う。
「いるかな?」
「いらんな」
遂先程、ひとりでアルフェンを壊滅に導いた男であり、伝説の七賢だ。足手まといの部下がいる方が、邪魔だろう。
「なるほど」
「こんな男に味方を率いらせるなど、気でも狂うたかと思うたわ」
エルドルトが憤慨しながらヒラグモを睨みつける。
それを受けたヒラグモが、涼しい顔で付け足した。
「だが、この男が選ぶんでは、同じような暑苦しい短慮の者しか集まらんかもしれん。それを危惧するなら、助力してもええ」
「ああ、それは――」
「いらん!」
一瞬考慮しようとしたようにも見えたが、即座のエルドルトの否定に頷き、フレイレがヒラグモに告げる。
「今回は、大丈夫そうです。部隊によって、特色をつけていきましょう」
「ふむ。ま、それならええ」
ひらひらと手を振るヒラグモをまだ恨めし気に睨むエルドルトを放っておいて、エニシが円卓を叩き、立ち上がった。
「そうと決まったら、早速アルフェンの人々に状況を説明しよう」
そう、微笑んで皆を見回した直後、
――アルフェンの民に告ぐ。現在、貴国は〝小さな魔術師〟を名乗るゲリラ集団に占拠されている。
「何だぁ?」
空から降るように聞こえる宣言に、エルドルトが間抜けな声で首を傾げた。
「やられた」
深刻な顔でフレイレが呟き、ミカドはすぐさま動き出している。
「ジャン、動ける人間を集合させ、再編を。セレナ、軽症者の治療を頼めるか」
「ええ」
「フレイレ、水煙でできる限り煙幕を張ってくれ」
「かしこまりました」
「ヒラグモ、エニシ、先頭に立って――」
言葉短かに性急に指示を送るミカドだったが、間に合わなかった。
突如として、大きな音が宮廷内に響き渡り、床が激しく揺れた。
「何じゃあっ⁉」
まだエルドルトだけが混乱している。
「阿呆も、阿呆なりに働く気があるなら付いてこい」
「何ぃ⁉」
「何しか言ってないよ」
ヒラグモに続いて、エニシがエルドルトの肩を叩き、横を通り過ぎてふわりと浮いた。そのまま、駆け上がるように天井近くの窓を開け、ふたりが外へと出ていく。
窓が開くと同時に、先程より大きくなり、より体に響くように空からの声が届いた。
――貴殿らを救うべく、今より連合国世界政府軍が城を総攻撃するが、怯えることはない。貴殿らに危害を加えることがないのは勿論、賊軍を城より一歩も出さず、貴殿たちを守って差し上げよう。
「宣戦布告が遅いって」
エニシが城の屋根に立ち、空の先に目をやった。
雲霞のような影が見える。
「あれが全て、兵士か」
隣りに立っていたヒラグモが呟く。
「そうみたいだね。大層なことだ」
「おい、一体何なんじゃ。どういうことじゃ」
エルドルトも、遅れてやってきた。
「僕らが想定していたよりも、世界は僕らを危険視していたみたいだ」
「何ィ?」
エニシが苦笑しつつ続ける。
「アルフェンの僕らへの攻撃は無視してたんだから、そのために準備した軍じゃないだろう。アルフェンと戦って、僕らが勝つことまで想定した上で、そうなったらすぐに世界の秩序を乱すものとして制裁を加えるべく、待っていたんだ」
「じゃあ儂らは、政府軍の掌の上で踊らされた、というわけか」
「まあ今のところは、そうなるね」
「今のところは、で済むか?」
「済ませなきゃ。ここで彼らを追い返せば、逆に彼らの思惑を超えられて、世界へ政府をも上回る力を持つと発信できる」
「そうなれば、より儂らの言っておることがただの夢物語ではない、実現できるかもしれない、と世の中に受け止められる、か」
エルドルトが意気揚々と拳を掌に打ち付けた。
「まあ向こうも、もし負ければそうなることは百も承知じゃろう。ここで出てきた以上、勝たなければ沽券に関わり、世界政府としての統率力は全て崩れ去る」
「つまり、最高最大の戦力で来てるだろうね」
大軍の姿が、徐々に近づいてきて輪郭を持ち始めた。竜などの魔獣部隊もいる。
「今のところ、水煙を張り巡らせて一旦目くらましをしている! 今のうちに敵に近づいて、まずは奇襲をしてくれるか!」
下から、ミカドが声を張り上げた。先程の先制攻撃以降、ここに魔術が届いていないのは、そのためだったのだ。
「よし」
「よかろう」
ふたりが同時に飛び立つ。
「おい、待て待て」
エルドルトが慌てて後を追うが、その頭上に、黒い雲が音を鳴らして現れた。
「まずい。エルドルト、早く!」
「おう?」
狙ったかのように、雷鳴が轟き、光の束がエルドルトを包んだ。
「エルドルト!」
エニシが思わず叫ぶ。閃光により視界を遮られ、どうなったかが見えない。
煙が立ちこめ、静寂と雨の音だけが響き渡る。
「おう、やってくれるじゃないか」
だが、傷ひとつついていない、頬の辺りを少しだけ焦がしているエルドルトがぴんぴんした顔を見せると、ほっと息を吐き、改めて敵の大軍へ目をやった。
「三人でどれくらいいけるかな」
「別に、儂ひとりでも構わんが」
七賢者らしく、傲岸なことを呟く。
「老人が勘違いをしちゃあいかん。魔術は年を経るごとに進化しておる。過去の魔術師なんぞ、今の五芒星がひとりでもおったらいちころじゃろう」
「ほほう」
ふたりが、大軍が近づいてくるというのにそれを余所に睨み合う。
「わかったわかった。そういうのは後にして。今はとにかく向こうに僕らと戦うことに利益がない、と思わせること。ヒラグモも、ひとりだったら負けはしなくても足止めされるかもしれない。しっかり……とは言わないまでも、最低限の連携は取っていこう」
「ま、主が言うのなら、頭にだけは入れておこう」
「ふん、この偏屈がき爺が」
「脳味噌筋肉髭達磨」
また衝突しそうなのを、間に入って押し留め、エニシが大軍を睨みつけた。
「さあ、目にもの見せてやろうじゃないか。権力に媚びうる魔術師なんて、魔術師じゃないってことを、わからせてやろう」
ふたりが頷き、エニシに続いて改めて敵軍に目を向ける。
「さあ、出撃だ」
一方宮殿内では、この状況をどうにか覆そうとミカドが各所へ連絡を取っていた。過去の繋がりや知り合い、伝手なども含め、国としての連絡先なども交渉を試みるが、どこも話し合いに乗るつもりはないらしい。
「実際問題、私たちがアルフェンに負けていたら、それはそれで厄介な存在と見られていたアルフェンを潰すいい口実を得たと、どちらにしろ攻める準備をしていた可能性はある」
「つまりどう転んでも、国際社会として、この地を獲らなければ報奨なども含めて、面子が立たないわけですね」
フレイレが部隊編成に追われながら相槌を打つ。
――これから三人、間もなく二人、もう少し時間が掛かるけど五人、合計で十人は復帰できるわ。
魔術がセレナの声を届ける。
「助かる! 三人はジャンの元へ、二人も遅れてそちらに合流。残る五人はこちらに寄越してくれ。揃い次第、私とフレイレで率いる」
――了解。でも、私は?
「そこで待機だ。わかるだろう? 待つ暇もなく負傷者が運ばれてくる」
――そうね。
溜息と共にセレナの気配が去った。ミカドは空中に浮かんだ地図と顔を突き合わせ、相手の陣容を読もうと目を凝らしている。
「駄目ですね。どこも返事がない」
フレイレが肩を竦めて送ったメッセージの状況を報告した。
「後は、如何に戦い、講和に持ち込むか、だな」
「勝てませんか」
「……恐らく」
ここで楽観的な意見を言うのは容易い。だが、軍師というものは状況を冷静に分析した上で、最善の策を採るもののことを言う。
「とにかく、敵の陣容が知りたい。五芒星は来ているのか。各国がどれほどの力量の魔術師を派遣してきたのか。兵の数は。情報がなさすぎる」
窓の外を見た。
三人が、空に浮かんでいる。その向こうには、黒い雲のように敵の影がある。
「始まるか」
ミカドの呟きと共に、エルドルトの太い腕から眩い炎が飛び出した。
エニシが更に高く飛び上がり、風の礫を降らせる。
ヒラグモは反対に地を這うように飛び、両脇から鋭利な土柱を続出させる。
巨大な敵に、たった三人という極小が当たる、無謀な戦いが火蓋を切った。
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