Ⅵ


「右、防御陣全力展開! 左、押し返せ! 中央、何をやっておる!」

 エルドルトが叫ぶ。それに応えて、部下が叫び返した。

「無理です! 強すぎます! 右、防御陣もろとも破壊! 左、中央突破されました!」

「ええい、儂が出る!」

〝小さな魔術師〟がアルフェンに侵攻されている。作戦としてはこの侵攻で兵士のいなくなった脱け殻の本土を叩く方が本隊なので、残っている魔術師は少ない。しかも、ヒラグモという潜入者がいるので、どこかでうまいこと手を抜いてくれるだろうという読みがあった。

 それなのに、アルフェンの攻勢はこれまで以上の凄まじいものだった。ヒラグモが、全力で助勢をしているのだ。このままでは、本当にアルフェンに陥とされかねない。

「畜生め! 本当にあの小生意気なガキは信用してよかったんじゃろうなあ⁉」

 腕まくりをしながらエルドルトが漏らした。

「ガキ、ですか……?」

 副官が怪訝に聞き返し、エルドルトが忌々し気に頭を振る。

「ガキじゃあないんだが……! ああ面倒くさい! いいからつべこべ言わずについてこい!」

 二の腕の筋肉を隆起させ、エルドルトが〝小さな魔術師〟に繋がる扉を開いた。

 外では、空中の各所で小規模の爆発が起こり、バラバラと人影が地上に落ちていっていた。

 その戦場の中央で、周囲からの攻撃を涼しい顔で受けている美少年の横顔があった。

「子供……!」

 副官が、息を呑む。

 少年の周りには見えない丸い障壁のようなものが張られているのか、攻撃はすべてその前で掻き消されている。

 少年が何かを呟き、人差し指を振る。

 巨大な土の塊が龍のように蠢き、周囲で警戒していた魔術師たちを呑み込んだ。

「魔術……! では、今のは詠唱⁉ あの少年は、魔術師⁉」

「黙っておれい」

 エルドルトが低い声で唸り、雲の少し広い場所に出た。こめかみに血管が浮き出ている。

「レオン・バーナビー……」

 拳を握り、更に筋肉を膨張させる。

「エレメント!!」

 振りぬいた腕から巨大な炎が飛び出し、エルドルトの怒りそのままに熱い奔流がヒラグモへと向かっていく。

 ちらり、とヒラグモがその炎を見た時には、既に彼を炎が覆い隠していた。そのまま彼を通り抜け、放たれていた土の龍をも焼き尽くす。

 その土は、土から人へと形を変え、先程の魔術師たちと同様、雲の下へと散っていく。

「鬼畜か……!」

 エルドルトが歯の隙間から軋んだ声を発した。

「あれは……どういうことですか?」

 副官の問いに、エルドルトが応えた。

「魔術とは、基本等価交換。〝魔〟の力を借りつつ、この世にある、空間に存在する〝素〟を利用し、我が身を通して顕在化させるものじゃ。しかし、こんな空中に土などあろうはずがない。〝素〟として存在しても、少量よ。では、あれほどの魔術を発生させようとしたら、どうすればよい?」

「……?」

 眉根を寄せる副官に、エルドルトが吐き捨てた。

「代替品を用意するのよ。それが、人間じゃった、という話じゃろう」

「そんな……!」

 絶句する副官を尻目に、エルドルトは飛び上がり、警戒していた魔術師たちを自らの元に集め、陣を敷いた。

 いつものように、奇襲を仕掛けられるほどの人員は残っていない。この陣営でアルフェンの攻勢をしのがねばならないのだ。そのための、哨戒作戦だった。

「小僧、何を考えとるかしらんが、儂を怒らせたことを後悔しろ……!」

 聞こえているのか、ヒラグモは口の端を歪めつつ、攻撃を続けた。

「右陣、エレメント。左陣、バングを儂に注げい」

 エルドルトは怒りそのまま、指示を送った。

 魔術師には、その魔術を顕現させるのに何パターンかの種類がある。

 ひとつには、エニシのように空気中の〝素〟を操ってこの世に顕す者。繊細な技を使う者に多く、セレナやミカドもこの部類に属する。

 もうひとつが、自らの体や世にあるものを依り代に〝魔〟をこの世に顕現させる者。それが、エルドルトであり、ヒラグモであった。

 その他に、オトハのような他者の〝魔〟に影響を与えたり利用する者がいるが、それはまた別の機会に説明を譲ろう。

 その、自らの体を依り代にするタイプは、他者から〝魔力〟を供給されることで、その力を大きくできるという特徴があった。

 今まさに、エルドルトはそれを行っているのである。

「何で守らせておるか知らんが、そのしゃらくさい盾を破ってやろう……!」

 エルドルトが奥歯を噛み、まず左腕を振るった。

「レオン・バーナビー、バング!」

 鋭く尖った光がヒラグモの周囲を守る膜へと突き刺さる。

「おおおおおお!」

 その字の如く剛腕を膨らませ、エルドルトが振りぬくと、ぴしり、と亀裂が走った。

 ヒラグモが意外といった風に眉を上げる。

「そうら!」

 今度は、右腕を交差するようにぶち抜いた。

「レオン・バーナビー、エレメント!!」

 先ほどのすべてを呑み込むような炎とはまた違う、細く、だがしなやかな炎がヒラグモの膜に突き刺さっている光に巻き付きながら駆け上っていく。

「燃やし尽くせい!」

 そのまま、皹から中へと無理矢理押し入るように炎がその舌を侵入させていく。

「もっとじゃ!」

 後ろを煽り、味方からの魔力を更にその剛腕へと貯め、光と炎に注ぎ込む。

「喰い尽くせい!」

 パキッ、と確かな音をさせてヒラグモの膜が割れた。同時に、炎が彼を包み込む。

「よしっ!」

 汗だくのエルドルトが魔法を止め、腕をだらりと下げる中、後ろの仲間たちは握り拳でその成功を祝った。だがエルドルトだけは、厳しい視線でその炎の行方を見守っている。

 然り、その視線の先に浮かんでいたのは、傷ひとつない、燦然と輝く美少年であった。

「悪くはない。悪くはないが、まだまだ甘いのう」

 ヒラグモは得意げに笑うと、その人差し指を振った。

 また、後方の雲に隠れて陣を敷いているであろうアルフェンの魔術師が人柱となり、ヒラグモの土魔法が空からエルドルトたちを襲う。

 空に土はない。それ故に、その矛盾を超えたものは、普段よりもその威力を増す。

「くそうが! エイリン、儂の〝魔〟を使ってあれを防げ!」

「そんな! 何故私が!」

「さっきの二発で腕が使い物にならん」

 エルドルトがからりと笑って、だらりと力の籠らない両腕を副官・エイリンの背中に当てた。

「頼んだぞ」

「まさか……。かしこまりました」

 流石、〝小さな魔術師〟に参加し、副官に抜擢されただけのことはある。すぐに覚悟を決め、詠唱を始める。

「広がれ、エイス・ワイス・トラルド、クラッセル!」

 およそ物事において、技というものは段階を踏むごとに複雑になり、繊細となってゆく。そのため、初めのもの、初歩のものこそが基礎であり、極めればそれが最も大切であり、要となる、ということはよくある。

 魔術にしてもそうであり、それを丹念にやり続けたのが、エニシといえる。

 つまり、この、トラルドが招いた風の〝魔〟であるクラッセルは、初歩として風を起こすことがあり、そこから風の形を変え、操ると進歩していく。それ故に、風を起こして攻撃を防ぐ、という技は、単純でありつつ、純粋にその注がれる〝魔〟によって威力を左右される明快な魔術であった。

 その魔術を、エルドルト、そして味方の〝魔〟を受け、放った。この場面で選ぶものとして最適であり、彼の賢さが窺える。

 ドンッ

 鈍い音が響き渡り、彼らの前に厚く張られた風の盾に、土の塊がぶつかった。上から、重力を味方につけて、その重さで押し潰そうとしてくる。

「うおおおおお」

 収斂し、広がる風はぶつかってくる土を弾き飛ばすが、後から後から際限なく土は押し寄せた。

「まあ、よくはやっておる。だがしかし、そういう力勝負になれば、物を言うのは純粋なる〝魔〟の量になるぞ? まだ繊細さや技に頼った方が、活路はあったように思うが……」

 ヒラグモが指導するかのように呟き、目の前に人差し指を立てて見つめた。

「その人数と髭もじゃで、儂に敵うかな?」

 すい、とその人差し指を引いた。

「アマノイワト」

 ずん、とその場に巨大な岩が現れた。

「さて」

 指を振る。糸が切れたように、岩が真下へ落下した。

 ガツンッ

 土を後方から押し、〝小さな魔術師〟軍の風の壁を押す。

「ぐっ」

 冷や汗を掻きながら、エイリンが歯を食いしばる。

「ほれほれ」

 風は土を弾き飛ばすが、徐々に岩が近づいてくる。

 そして……土が全てなくなった、と同時に、岩が風を雲散霧消させ、陣も蹴散らすように直撃した。

 声にならない声を上げ、魔術師たちが落下していく。

「ふん」

 それを鼻息ひとつで見送り、ヒラグモは振り返って呼び掛けた。

「お待たせし申した。〝小さな魔術師〟を献上仕る!」

 雲の切れ間から、まだ大勢残っている大軍団に囲まれ、キムがゆっくりと浮かんできた。

 これまで、まったく前線に、いや戦場にも出てこなかったこの男が姿を見せ、流石の兵士たちも緊張の色を隠せない。大局が決まるまでは宮殿に居たようだが、ヒラグモの圧倒的魔術を伝えられ、転送魔術ですぐに飛んできたらしい。

「凄まじいな」

「これくらい、褒められるほどのものでもない」

 ヒラグモが面倒くさそうに肩を竦め、雲の上にぽつんと置かれた扉を指した。

「あそこを抜ければ、〝小さな魔術師〟じゃ」

 キムが、たるんだ頬を緩ませ、舌なめずりをした。ずっと、弱小魔術国としてアルフェンに閉じ込められてきた。しかし、あの移動要塞ともいえる国を手に入れられれば、この虐げられてきた立場も大きく変わるだろう。

 ぐい、とその足を踏み出した、その時。

「キム総統!」

 唯々諾々と従い、声を荒らげることなどない部下が、大声を張り上げて待機陣から飛んできた。

「何事だ、騒々しい。記念すべき我が一歩に加わりたいのなら、黙ってついてくればよい。今日の我は期限が良い。特別に無礼も含め、許そう」

 これから待つ未来を想像し、やけに饒舌になっている。

 だが部下は、その慈悲に感謝で首を垂れることもなく、注意された大声も止めず、跪いて必死に訴えた。

「我が国が、我が国が……!」

「我が国がどうした。どうなるか、楽しみか」

「奪われました!」

「阿呆、奪うのは我々だ」

 まだ、上機嫌に目をすがめて扉を眺めている。だがしかし、やがて言われていることの重大さに気づき、キムはそのすがめた目をそのまま険しいものに変えて、部下を見た。

「……何? 奪われた、だと?」

「はっ! 恐縮ながら、総統の不在を狙い敵が攻めてきた模様! 一瞬のことで、抵抗もままならず瓦解させられたと……!」

「我が出たのは今の今だ。一国を、一体どうやって、そうも容易く……。有り得ん。我の〝小さな魔術師〟編入を阻止しようとする偽報ではあるまいか」

 キムが部下を疑い始めたその時、横で溜息を吐く音が聴こえ、キムは顔を向けた。

 ヒラグモが、首を振って呆れている。

「どうした」

「どうしたも何も、まだわからないかね。主は、見事に謀られたのよ」

「どういうことだ」

「だから、少しは想像を働かせればいい。何か、お主に都合のいいことは起こっていなかったか? 人間、自分に都合のいいことは本当だと信じ、都合の悪いことは信じない、という癖がある。少々、目がくらんだのう。まあそれだけ、儂の力が眩い、ということでもあるじゃろうが」

「まさか、貴様……!」

 キムが、すかさず詠唱を始めた。だが

「遅い」

 ヒラグモは指を振り、キムを護衛していた魔術師たちを使って、自らの魔術をキムにぶつけた。

「ツチミカド」

「おおおおおお!」

 キムが、土石流に呑み込まれ、地上へと落下していく。

「許さん、許さんぞおおおおおお!」

 叫び声が、遠ざかりながら空に吸い込まれていく。

 付き従ってきたアルフェンの兵士すべてを魔術の生贄と使い、その空に取り残されたのはヒラグモひとりとなった。

 静かな青空をぐるり、と一度見渡し、小さく息を吐く。

「一仕事、完了かね」

 首を鳴らしながら、何事もなかったかのようにのんびりと、ヒラグモは扉を潜り、〝小さな魔術師〟へと戻っていった。

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