Ⅱ


 ソファにひとり、男が座り込んで俯いている。

 深く沈みこんだその体は重く、顔は暗い。黄昏というのに部屋には電気がつけられておらず、橙色の夕陽が飾られた四人家族の写真を照らしていた。

 ふと、物音に気付いたように顔を上げ、暗い廊下の先に目を凝らす。

 静かに腰を上げ、気配をさせないように、ゆっくりと玄関へと体を滑らせた。

 覗き穴から外を見るが、誰もいない。

 ふうと息を吐き、視線を部屋に戻すと――。

「やあ」

 快活に、ひとりの青年が手を挙げて挨拶をした。

 瞬時に振り向いた勢いのまま「ユアン・アレクサンドル、バング」と冷酷に呟き、左手を横に滑らす。その手に沿うように、煌く刃が青年を襲った。

 当然のように青年の周囲には風により防御壁が張り巡らされるが、それを切り裂き、青年の体に迫る。

 青年は感嘆しつつ一歩退き、外套を少し裂かれるだけで済ませたが、ひゅう、と息を吐いた。

「流石――」

 だが息つく暇を持たせず、男は青年に続けざまに手を振るって迫る。

「わっ! ちょっと、待った、待った!」

 だが青年の言葉など聞く耳持たず、男は攻撃を続ける。

「黙れ。貴様がいなくなれば、全てが解決する」

「それは、今だけでしょ⁉ その場逃れをしてきて、今まで来てしまった。それでいいの⁉ この後を託される子供達にそんな未来を渡すんでいいの⁉」

 男の手が、鈍る。

 それを見て、青年は大きく飛び退き、距離を取った。

「まずは話をしよう、ミカド・ジン」

「キズナ・エニシ、貴様と話すことなど何もない」

 ミカドがすぐさま飛び掛かろうとするが、エニシも負けじと詠唱し、その両手足をふわり、と風で止めた。

「まあまあ、そう焦らず。僕の話を聞いてからでも、遅くはない」

「お前が私の名前を出しただけで、迷惑を蒙っているのに、か?」

 動きを封じていた風を振り払い、ミカドがエニシの懐に潜り込む。

「ユアン・アレクサンドル……」

その掌に、無数の金属の礫が湧き出てきた。

「喰らえ。バング!」

 錐揉むようにエニシのどてっ腹へとぶち込む。

 だがエニシは瞬時に飛び上がり、それを躱した。外れた礫はそのまま後方へと飛んでいき、壁を粉微塵に壊す。

「わあ。隣の人、大丈夫?」

 飛びながら、呟く。隣人の男性がふたりの攻防を覗き、慌てたように出ていった。

「これで、応援が駆け付けるだろう」

「ありゃま。それじゃ、その前に済まさないと」

 相変わらず呑気なエニシに剣呑な視線を送り、ミカドは再び詠唱を呟くと、掌に礫を呼び込んだ。

「待って。いい加減、話をしよう」

「話すことなどない。話す暇など、与えない」

 ミカドも飛び立ち、空中で月と風がぶつかり合う。

「ミカド・ジン、君はこの国の公務員の中でトップを争う魔力を持ちながら、何故か平の立場に甘んじているね」

「黙れ」

 ミカドの攻撃を風で受け流しながら、エニシが続ける。

「それは国の方針と違うことを独断でやってしまうからだ。それでも、国にいることが最も国民のためになる、と仕事を続けてきた。そうだろ?」

 ミカドが宙を蹴った。蹴った場所には、鉄の塊がある。一回転しながらエニシの頭上を舞うと、そのまま後頭部へ手裏剣のように尖った金属を放った。

「エイス・ワイス・トワルド、クレイドル!」

 同じように尖っているが、流線型にエニシの腕から伸びていく風が、打ち消し合った。

「君の視点、考え方が欲しい。同じことを、別の角度から見られる人が必要なんだ」

 ミカドは地面に降り立ちながら、自分の周りに風の塊を無数に出現させた。

「どうして私が同じ方向を向いていると思う。私は、この場所で、この国を良くすることに誇りを感じている」

「本当に?」

 エニシの問いに応えず、ミカドは塊を一斉にエニシに向かわせた。

 エニシが風を纏いながらそれに突進し、掻き消しつつミカドの前に降り立つ。

「あなたは魔術を使って多くの人を救いたいはずだ」

「当然」

「だが今の国は、その対象を恣意的に決めている」

「仕方がない。優先されるべき人はいる」

「その基準が、信じられなくても?」

「国は民意の集合体だ。多くの人の思いに応え、出来る限り多くの人を救う。それまでだ」

「でも完璧とはいえない」

「最善ではある」

「だったら、完璧が目指せる環境に来なよ!」

「うるさい!」

 ミカドが振り下ろした風の刀を、エニシが皮一枚で避け、至近距離で二人が睨み合った。

「家族を人質に取られて、唯々諾々と従うのが、正しいと?」

 ミカドの表情と動きが、凍った。

「お子さんは、魔力欠乏症なんでしょう?」

 魔力欠乏症は、エニシのように生まれながらに魔力がないわけではないが、足りない、または勝手に体から出て行ってしまうという症状のことを言う。魔力があると人はそれを無意識に使ってしまうため、半端に持つ彼らは下手をすると使い切って死んでしまう、という難病だった。

「だから、国に頼らないと治療できない」

「だから何だ」

「あの子たちのために、自分がやりたいことを我慢する。それがお子さんたちの願いなの?」

「貴様!」

 ミカドが激昂し、エニシの胸倉を掴む。エニシは、真剣な面持ちでミカドを見返した。

「あの子たちがいなかったら、どうしてた?」

「馬鹿にするな!」

「馬鹿になんかしてない! それで、この道を選んだあなたも、尊敬してる。でも、一度フラットに、何もない状態で、心の赴くままに何をしたいか、考えてほしいんだ」

「そんな前提、意味がない」

 ミカドは吐き捨て、エニシの胸倉を掴んでいた手を放した。

「それが聞きたかったんだ」

 エニシが微笑みながら、胸元を直す。

「何?」

 エニシの呟きを聞いて怪訝に眉根を寄せた後、ミカドの顔から血の気が引いていく。

「まさか貴様……」

「え? いやいや、違うよ! 彼女たちがいなければ来てくれると思って彼女たちを殺すとか、そんな気のふれた不倫相手みたいなことしないから!」

「だったら、何をしに来た。私からそれを聞きだして、どうするというんだ」

「救い出すさ」

 にやりと笑って、再び詰め寄ってきたミカドから距離を取った。

「待て、もしや――」

 エニシの肩を掴もうとしたミカドの手が、虚しく空を掻く。と思ったが、反転して一気にミカドの懐に入ってきて、言った。

「〝小さな魔術師〟には、木蓮の魔術師セレナ・パーカーがいる」

「くっ!」

 ミカドが臍を噛んだ。その名を見て、幾度、口惜しさ、羨ましさ、焦がれ、憧憬を抱いただろう。

 戦場のナイチンゲール。

 現代で最高峰の治癒魔術を習得し、それを未だ各地で起こる戦争に巻き込まれる人々のために無償で提供する白衣の魔術師を、人々はそう呼んだ。

「そして何より、僕らには切り札がある」

「切り札?」

「セレナは、最高の治癒魔術を使えるけれど、それは一時しのぎの治癒であって、根本的な治療ではない。僕らは、あなたのお子さんを、同じような子達を、恒常的に魔術師にする――」

「魔術師に、だと――」

「そう。全ての人間を、どんな人間も魔術師にする術が、うちにはある。つまり、あなたのお子さんたちを治す術は、逆にうちにしかない。来ない理由がないと思うんだけど」

「……うちの子だけ、そんな贔屓をさせるわけにはいかない。世の中にどれだけ――」

「そんなこと言ってたら、いつまで経っても誰も救えない。全員をいっぺんに救える時機なんて、いくら待っても来ない! それより、自分の周りから、出来る範囲で少しずつ、その力を使っていくべきだ。僕たちにはそれができるし、あなたにだって、別の形で貢献できることはある。それが、力を持つ者の責務じゃないのか!」

 エニシが吠える。

 その時、玄関ドアの前に、重装備をした兵隊が現れた。

「手を挙げろ! 国際指名手配犯、キズナ・エニシだな⁉」

「さあ、どうします?」

 兵隊たちを気にする素振りすら見せず、エニシはミカドに問い掛けた。

「……娘たちは、どこに」

「今は、セレナの元に」

「……」

「ミカド・ジン、キズナ・エニシから離れろ! さもないと、貴様も危険人物とみなし、同時に攻撃を開始する!」

 無言で佇むミカドに、兵隊たちが大声を張り上げた。それを聞き、ミカドの肩がぴくりと動く。

「……私も、危険人物だと?」

「その通りだ! 違うのなら、身の潔白を証明せよ!」

「あれだけ政府のために戦って、それでもまだ、そんなことをいわれなきゃいけないのか……」

「うちなら、そんなことないよ」

 エニシが、笑って手を差し出した。

「ミカド・ジン!」

「畜生め」

 ミカドが、やけくそに笑って、その手を取った。

「放てっ!」

 一斉掃射がふたりに降り注がれる。

 耳を塞ぐ掃射音がいつ終わるともなく続き、やがて弾が尽き果て、やっと静かになり、ゆらりと煙だけが漂った。その所為で、ふたりの姿は見えない。

「……やったか?」

 隊長が呟く。

「そんなはずないだろう」

「魔術師を舐めてもらっちゃあ困るよ」

 ふたりが、煙の中から並んで飛び出した。

 エニシが風でまとめて右一列を薙ぎ倒すと、左ではミカドがひとりひとりに金の弾をぶち当てて昏倒させる。

「と、止めろ!」

 隊長が叫び、残った隊員が一斉に銃を構えた。魔力が籠められた銃弾は、その魔力の量や質によって値段が変わる。国に属する彼らのものは相当良いものを支給されているはずだが、それでも、本物の魔術師がその場に応じて発する魔術には、到底敵うものではなかった。

 エニシにより全ての銃弾が風に巻き取られ、ミカドにより全ての銃弾が真正面から相殺され、貫かれ、喰われ、逆に向かってくる。

 隊員は軒並み倒れ、残ったのは隊長ただ一人となった。そして、その前にミカドが歩み寄る。

「な、な、なんだ」

「ひとつ、訊きたい」

 声を震わせる隊長に、冷徹な声でミカドが問うた。

「私がもし、キズナ・エニシ討伐に成功していたら、あなたたちはどのように動けと命令されていたと思う?」

 隊長が、頬を引き攣らせ、唾を飲む。しかし、ミカドの視線は冷たく射抜かれ、そこから逃げることを許さない。

「勿論、無事に帰還できるよう護衛し、その後は監視を解くよう……」

「嘘を吐いたら殺す」

 ミカドが隊長の頬を片手で挟んだ。頬を貫かんと、錐のように押し始める。

「わ、わかった! 待て! 話す! 話すから!」

「私の求める答えを言ってもしょうがない。本当のことを言え」

「わかっている。……ゴトー大臣は、成功後は、お前を公安へ回すよう指示していた」

「公安?」

「上の指示に簡単に従わないお前を、大臣は煙たがっていた。しかしこれが成功すれば、お前は自由の闘士を殺した魔術師として、脛に傷を持つに至る。世間の評価やお前の負い目を利用して、お前の実力は買っていた大臣は、今後は暗殺者として使おう、という魂胆だった、ということさ」

「はっ」

 乾いた笑い声を上げた後、唾を吐き捨てると、ミカドは顎を持ったまま隊長を地べたに投げ、言った。

「行こう」

「うん」

 踵を返したミカドに、エニシが快活に笑い、歩き出した。

「何がおかしい」

「いや。貴方が僕が思った通りの人だったから」

 ふん、と鼻息ひとつ吐き、ミカドが先を進む。その隣にエニシが並び、肩を組もうとするが、弾かれた。

「何で」

「趣味じゃない」

 吐き捨て、自ら開けた穴から飛び立つ。

「あは」

 笑って、エニシも続いた。蒼い空が、彼らの頭上に広がっていた。

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