Ⅲ


「あんた、何考えてんの!」

 しかし落ち着くと、オトハは当然のように怒り、エニシを叱りつけていた。

「国を設立する⁉ そんな荒唐無稽な話をする前に、まずはあのヒルコって奴をどうにかしなさいよ! それで中から国を変えればいいじゃない! それなのに大言壮語吐いて。国に関係していない魔術師なんていないんだから、どうやったって仲間になってくれっこないよ……。どうするの⁉」

「いや、そんなこと言われても……」

 胡坐を掻いて座っているエニシは、口を尖らせて拗ねている。

「勝手に全部決めて相談もなしに連れて行くなんて、誘拐以外の何物でもないじゃない! 私、警察に相談する」

 空の上、雲に座って話していた彼らだったが、オトハは飛び降りようと雲の端まで歩いていく素振りを見せた。

「待ーって待って待って!」

 慌ててその腕を掴み、エニシはまだぶつくさ言うオトハをとりあえず座らせた。

「オトハの言うこともわかるよ? でも、四大魔導士たちが誕生して数百年、それでも世界は魔術がなかった頃と変わらずに、国同士でいがみ合い、争っている。新しいことをやってみないといけないんじゃないか、って思うのは、おかしなことかな?」

 オトハは溜息を吐いて、正対した。

「おかしなことだとは思わない。でも、やり方が急で雑過ぎる。こんな根回しもなしに勝手なことして、うまくいくと思う?」

「うーん……これでも一応、トラルドに相談して、色々策は練ったんだけど」

「だったら尚更、私には相談もなしに誘拐紛いで連れていかれるなんて納得がいかないわ」

「でも、付いてきてくれるでしょ?」

 能天気に笑うエニシに、オトハは思わず天を仰いだ。そうなのだ、とはいえ、この青年を疑っていないのは、あの頃から間違いない。彼に助けられ、彼のような人になりたいと願い、彼のような人を助けたいと願った。だから、彼がいなかったら、今の自分はいないのだ。だが、だからこそ。

「私は、無残に失敗するなんていやよ。やるなら、絶対成功しなきゃダメ」

 オトハの言葉にエニシは満面の笑みで応えると、立ち上がって手を広げた。

「わかってる。だから、今から計画をオトハに説明するよ、納得いかないこと、わからないことがあったら遠慮なく質問して。その中で、オトハに今まで何も話せなかった理由も、わかってもらえると思うから」

 そう言われると、仕方がない。今度はオトハが唇を尖らせながらも頷き、エニシの話をまずは聞くことにした。

「じゃあ、まずはどうしてこの計画を考え付いて、あの日、実行に移すことになったか」

 エニシは人差し指を立て、イチ、と言いながら説明を始めた。

「そもそも、あそこはある意味採用会場的な意味合いもある。あそこに来る魔術師で採用側じゃない魔術師は、誘いを待っている可能性が高い」

 それには、オトハも同意した。そもそもは卒業祝賀会会場なのだから、卒業生の青田刈りが主な目的のはずで、旧交を温めに来ているOB以外で採用側でもないとしたら、それはこの機会をダシにして青田刈りに来た有力者に自分を売り込みに来た可能性が高いのだ。

「ま、単純だけど、やっぱりあぶれてたり、更に上に行こうという野心のある魔術師の方が、安定している魔術師よりは僕の誘いに乗ってくれやすいかな、と考えたわけ」

「でも、そんなの個別にやればいいじゃないあ」

「わかってるよ。で、その二」

 エニシが続けて中指を起こす。

「あの場所で、全く情報を漏らさず突然発表することに、意味があったんだ。オトハ、わかるかい?」

 挑戦的に話を振られたオトハは、優等生の意地とばかりに頭をフル回転させる。突然発表することの意味、そして場所――。

「まずは、各会場とも中継が繋がっているから、つまるところ全世界の、ほぼ全ての魔術師に一辺に布告ができることが一点」

 オトハの答えに、エニシが黙って頷く。

「そして、それは同時に全世界の国家を敵に回すことも意味する。でもそれは、いつ情報が漏れたとしても同じ。だったら、いつ敵が来るか怯えるよりも、敵が来る、と分かった方がいい、ということ?」

「正解。もうひとつ付け加えるとするなら、これからその敵は、僕らを潰そうとしてくる。それをどれだけの期間無視できるか、そして耐えられるか、で僕たちの評価は鰻登りになっていくはずだ」

「どういうこと?」

「つまり、それだけの大掛かりな準備を全く漏らさず進めてきた、というインパクトに繋がってくる、というわけ。そして耐え続ける度に、ここに行っても大丈夫かもしれない、という信頼に繋がる。上がっていくしかないね」

「これ以上下がりようがないんだから、当然じゃない」

 オトハの冷静で容赦のない突っ込みに「うひい」と首を竦めつつ、エニシは「さ」と手を差し出した。

「? 何?」

「行ってみよう」

 戸惑うオトハの手を取り、引き上げると、エニシは小部屋の扉を開けた。

 晴れの概念しかない空の上、光に包まれた雲上に、四人の魔術師が立っている。

「よく来てくれたね。歓迎するよ!」

 エニシに呼び掛けられた四人が、銘々に挨拶を返した。ひとりは手を挙げ、ひとりはまだ戸惑ったように頭を掻き、ひとりは黙って腕組みをし、もうひとりは淑やかに膝を曲げた。

「さあて、天職とも言える教職を捨ててまで来たんだ。いい夢を見させてもらうぞ」

 そう言ったのは、逞しい腕を挙げていた熊髭のエルドルトだった。

 エニシは笑って頷いて、「ありがとう。必ず期待に応えるよ」と手を握った。

「夢で終わらしてもらっちゃ、困るけど」

 そう言ったのは、艶やかな黒髪をした青年だった。

「勿論。ただ、先は保障できないよ。止めるなら今のうちだけど」

「うーん……」

「私は、今日からこちらにお世話になる」

 青年、金雷の魔術師ジャン・リーの言葉を切るように言い放ったのは、黒人の男性だった。

「覚悟を決めてきてくれて、有難い限り」

 そう笑って、水煙の魔術師フレイレ・パトリックを迎え入れる。

「いや、僕だってその気概はあるよ⁉ ただ、残してきた仕事とかさ……」

「今更何を言ってるの? 私も、本日よりここにお世話になります」

 そう、すげなく切り結んだのは、今度は紫がかり、地に付きそうなほど長い髪が美しい淑女である。

「セレナ、ありがとう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕もまだ喋ってる途中だっただろう⁉ 残るよ、僕も残る!」

「ははは、皆そんなに苛めなくてもいいでしょ。各々事情はあるんだし、まだ時間もあるよ」

「そうは言っても、相手が思惑通り動いてくれるとも限らないわ。なら、私たちができることはできる限り早くしてしまった方がいい」

「その通り。そして初動が遅れるほど、〝小さな魔術師〟に所属することも難しくなる。各国でそれを阻止するようになるだろうからな」

 セレナとフレイレに日和見のようにとられている格好となったジャンは、慌てて手を振った。

「だから! 僕もここに残りますって! 今のはちょっと言ってみただけですよ!」

「あはは。わかってるよ。そもそも、ここまで来てくれただけで、生半可な覚悟では来られないはずなんだから」

 エニシが言うと、四人はそれぞれ真剣な表情で頷いた。

「一応、本気で釘を刺しておくが、今日以降、先ほどの会場で名前の出た人間に監視の目が付くのは間違いない。それを振り切って、この隠れ処――〝小さな魔術師〟の本拠がバレないようにできるのなら、戻るのも構わない、ということだと、私は理解している」

 実直そうなフレイレの真面目な言葉に、ジャンは少し怯みながらも口答えする。

「勿論、そのつもりでしたよ」

「でしたら、お戻りになられたら? その覚悟がおありなのでしたら、私どもは止めませんわ」

 セレナが澄まして言う。

「え……そう?」

「ただし、見つかった場合、私たちからのそれが相当なものであることも、覚悟して頂きますけど」

 一瞬、いつも閉じているのかというほど穏やかな目から、鋭い光が放たれた。その迫力に、ジャンは思わず身震いする。

「行きません。行きませんとも」

「そうですか? それでも、別にいいですけれど」

 ふたりのやりとりを微笑ましく見守っていると、くいと袖を引かれてエニシが振り向いた。

 オトハが心配そうな顔で覗き込んでいる。

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃないわよ。どうして皆ここに来てるの? そもそも、あんな短時間で覚悟なんて決まる? 大丈夫?」

「あはは、大丈夫だよ」

 オトハの頭に手を置きながら、小さい子に教えるようにエニシは言った。

「だから言っただろう? 僕が、何も考えずにあそこに行ったわけじゃない、って」

「……もしかして、先に根回ししてあったの⁉」

 エニシの様子から何かを察したオトハが叫ぶ。

「まあねえ」

「ちょっと! 本当にどういうこと!」

オトハの非難がましい視線を避けるように歩き出しながら、エニシは説明を始めた。

「だって、そもそも誘う人に目処も立てずに国を造ろうなんて考えられないでしょ? それにいきなりメンバーが揃いません、じゃこれから来ようか迷ってる人にも印象悪いだろうし。それより、いきなりこんなメンバーが揃いました、っていうインパクトがあると、第一印象は良くなるよね」

 エニシは、先程の信頼問題もそうだが、かなり印象操作を大切にしているようだ。

「それを何で私に言ってないの」

「だって、本気で驚いて、その場で付いてきてくれる人がいなけりゃ、その演出も演出とバレちゃうでしょう? 敵を騙すにはまず味方から、ってね」

 お茶目にウインクして見せるエニシにとりあえずボディーブローを加えておいて、オトハは集まった四人に顔を向けた。

「すみません、ご挨拶が遅れました。エニシの……幼馴染のコトノハ・オトハです」

 オトハは、自分をどう紹介していいかわからず、結局エニシとの関係性のみで、挨拶をした。どういう反応をされるか不安に思い、窺いながら恐る恐る顔を上げると、四人は特に困惑もなく、温かな笑みで見守っていた。

「あの……」

「大丈夫、エニシ君から先に説明は受けているから」

 そう、セレナが優しく応え、ジャンも朗らかに手を挙げた。

「エニシ君の奥さん何だろう? 王妃だ」

「お、お、お、奥さん⁉」

 想定外の返答に目を白黒させているオトハを余所に、エニシはにこにこと隣に立った。

「そ。そういうわけで、これでまずは全員かな。あ、ジャン、念のために改めて言っておくけど、僕は王になるつもりはないからね? 最初は直接民主制、人が増えても、なるべくその形に近い形でやっていきたいと思ってる」

「わかってるよ。冗談さ」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!」

 さらりと会話を続けていくふたりの間に体を滑り込ませると、オトハは改めてエニシの前に立ち、しっかりと見上げた。

「どういうこと⁉」

「どういうことも何も、そのつもりだけど」

「そのつもり、じゃない! 私の意向は⁉」

「え、それを確認してないの?」

「それは、流石にエチケットとしてどうかとは思うわね」

 ジャンとセレナにも責められ、エニシは頭を掻く。

「うーん、でも決まってることだから」

「何が!」

「僕が、オトハをお嫁さんにすること」

 臆面もなく言われると、オトハは赤面をせずにはいられない。憎からず思っていることは確かだ。しかし、結婚ともなると――。

「まあ、その話はおいおいふたりでやってもらうとして、これで全員なんだな?」

 これまで黙っていたフレイレが口を挟み、「おいおいって……!」とまだ目を見開いているオトハを追いやって、話を先に進めた。

「うん、そうだよ」

「だとすると、ミカド・ジンは来なかったわけだ」

 エルドルトが頭の後ろで手を組む。

「うん、そう……なるね」

「彼に情報は如何ほど?」

 真剣な目のフレイレに、オトハは黙らざるを得なくなる。

 フレイレに問われたエニシは、神妙に頷いて応えた。

「いや、何も、あの日が初めて」

「ほう、それは、どういう意図で、でしょう」

「ミカド・ジンは公務員だからね。彼の安定志向や家庭状況は調べてあった。その上で、彼に対してはあの場で誘って、周囲から浮かせて、こちらに来ざるを得ない状況にすることが一番効果的だと判断したんだ」

「では、場所はまだそう簡単には露見しない、ということですな」

 フレイレはその手法に関しては何も触れず、ただ得心したように頷き、エニシもふうと息を吐く。

「そうだね。また改めてこちらから会いに行くつもりだから、その時は気をつけなきゃだけど」

「それは致し方ありますまい」

「うん。それに、政府側がしっかり対応した上で、結局こちらに来た、となった方がまた衝撃も大きいしね」

「悪いお人だ」

 笑うフレイレに、オトハが眉根を寄せてエニシに問う。

「どういうこと?」

「ああ、もうひとり、あの会場で名前を呼んだ人がいるのは覚えてる?」

「確か……月令の魔術師ミカド・ジン?」

「そ。彼に関しては、オトハと同じく根回しをしてなくて、当日一発勝負でやったんだ」

「どうして? それで来てくれないんだったら、さっきのインパクト論で言うと失敗じゃない」

「そうなんだけど、彼の場合はちょっと事情が違ってさ。で、他の四人は来るわけじゃない? そうすると、残ってるミカドには絶対疑惑の目が向くよね」

「そっか! 行くんじゃないか、って」

「そ。僕から事前にあたりがない、何てことはわざわざ言っても疑惑を深めるだけだろうから言えないし、彼は居心地が悪くなるばかり。だったら、こっちに来ようかな、と思ってくれないかな、って」

「なるほど……。でも、それ、潔白を晴らすために率先して忠誠を誓うような行動をするパターンもあるんじゃない?」

「その時はその時さ。とりあえず、できることを今やるだけだね」

 まだ納得のいかなそうなオトハを置いて、五人はこれからのことで談笑を始めた。

「まずは、僕らの隠れ処を見てもらおうか」

 扉の先へ、案内を始める。この先には、トラルドのあの世界があるはずだ。エニシは最初は、あそこを基地とするつもりらしい。トラルドとはどのような話になっているのだろうか。

 そんなことを思いつつ、後ろ姿を見送りながら、オトハはぽつりと呟いた。

「本当は私、どうして呼ばれたんだろう」

 エニシが、身内というだけで、好きというだけで、この大事な、大きなプロジェクトに自分を呼ぶはずはないことは、何となくわかっていた。エニシに見初められた四人も、そんな身贔屓をするエニシにこんな信頼は措けないはずだ。

 わからないことは、聞くしかない。

 オトハは息を吐いて首を振り、先を行く五人を追いかけた。

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