Ⅱ


「ここが会場!」

 ツララが門の前で手を広げる。

 門の奥には、白のように聳え立つ洋館がある。

「随分と大仰だね」

 見上げながら、エニシが微笑んだ。

「そりゃあそうでしょう。学校が創立何年? もうリクルートに興味がない人とか引退した人は来ないとはいえ、一年に一度のお祭りで同窓会気分で顔を出す人もいるし、二、三千人くらいはいるんじゃない?」

「三千かー」

「まあこれも少なく見積もってだからねえ。卒業して、現役続けるとして五十年? 卒業生全員来たら五千人なわけだから」

「はー、世の中にはそんなに魔術師がいるんだねえ」

「何を暢気に」

 ツララが笑う。

「この国の魔術師人口は六万人だよ? まあプロは千五百人だし、有象無象を含めての数だけど」

「そうなんだね。僕は両親とオトハの家族、それにトラルドしか見たことがなかったから」

「トラルドさんに引き取られてからは?」

 エニシは黙って首を振る。

「会う必要はない、最高の教科書がここにいるのだから、って」

「なんか、ほんとにトラルドさんって変な人なのね。本当に実在すれば、だけど」

「はは。ほんとにね」

 ここに来るまでに、トラルドに引き取られるまでの経緯、そして引き取られてからのことは軽く、話していた。

「〝魔〟と対話することこそが魔術を習得するのに唯一大事なことで、その他は枝葉でしかない、ってさ。だから、魔術の研鑽だけに関して言えば、それさえやっていればいい、って話だよね」

 そう言いながら、エニシはその考え自体は否定していないようで、穏やかに話す。

 ツララはふむふむと興味深そうに頷きながら、三人で赤い絨毯が敷かれた階段を登っていった。

「でも、魔術は他人のために使ってこそ、だから」

 ドアマンが扉を開け、三人の眼前に講堂の中の景色が広がる。

「うわあ」

ツララが感嘆の声を上げるが、それすらも一気に活気ある騒めきが掻き消す。

そこかしこで歓声が上がり、時折魔術とみられる光が吹き上がっていた。

「ほんとにこんなに魔術師がいるんだねえ」

 改めてエニシが茫洋と呟く。

「当然でしょ。別に魔術師になるだけなら、卒業できればいいんだから」

 オトハが胸を反らせて先に一歩前へ出て扉を潜った。が、足元を見ていなかったのか下りの階段になっており、いきなり踏み外す。

「おっと」

 エニシが腕を掴み、引き寄せた。胸に抱きかかえられ、オトハは慌てて体を離す。

「べ、別に助けてもらわなくても大丈夫だったし」

「だよね。オトハなら魔術でどうにかできただろうけど、ま、僕がやりたかっただけだから」

 にこにこしながらエニシが下りてゆき、その後を意地悪気に口元を綻ばせたツララが続く。

「何よ!」

 オトハが憤慨しながら後を追うと、急にエニシが立ち止まった。

「どうしたの?」

 オトハがエニシの背中から顔を出し前方を覗くと、大男の偉丈夫がエニシを見降ろしている。

「おう」

「あ、エルドルト」

「先生を知ってるの?」

 オトハが、エニシに横から訊ねる。

「まあね。久しぶり、エルドルト」

 ため口で気軽に手を差し出すエニシを、慌ててオトハが制す。

「何様!? 先生、失礼しました。こいつ、何かしでかしましたか?」

「何でだよ。まだ何もしてないだろう。どうして当然のように僕が悪い前提で」

 オトハに無理矢理頭を下げさせられながら、エニシが口を尖らせて文句を言う。その様子を、エルドルトは呵々大笑した。

「わはは! 本当に夫婦みたいよのう。何、つい最近知り合ってな。で、よく聞けば儂の可愛い生徒と浅からぬ仲と言うじゃないか。なので、ひと目見ようと来ただけだ」

「オトハの担任だったんだ?」

「直接ではないが、いくつか教科を受け持っとった」

「それはそれは、お世話になりました」

 エニシが、深々と頭を下げる。

「どの立場よ!」

 怒るオトハを愉快そうに笑いながら、エルドルトはふと声を潜めた。

「で、どうだ、目ぼしい奴はおったか?」

「はい」

 エニシは、自信を持って頷く。

「ほう、そうか。じゃあ、楽しみにしておこう」

「是非」

 エニシが微笑むと、エルドルトは満足そうに手を挙げて、人ごみへ消えていった。

去っていくエルドルトを頭を下げて見送りながら、ふと、オトハが隣のエニシを見る。

「今の会話、何? そういえば、エニシはどうしてここにきたの?」

「ん?」

「流石に、私を誘うためだけじゃないでしょう?」

「いや、そのためだよ?」

「別に、いつでもいいじゃない。それより――」

「駄目だよ。オトハの一番になりたかったし、他の誰にも渡すつもりはなかったんだから」

「なっ……!」

 赤面して絶句するオトハを尻目に、素知らぬ様子でエニシはまた会場内をきょろきょろと眺めながら進んでいく。

「ちょっと! からかわないで! だってそもそもトラルドのところに行ったのは――」

「あ」

 エニシが何かを見つけて一直線に進んでいく。

「こら! 待ちなさいって」

「すみません」

「ん?」

 声を掛けられた男が、振り返り小首を傾げた。

「何かな?」

「すみません、僕と、組んでくれませんか」

「……えっと、聞き間違いかな? 私はここのOBだが、既に公務員として働いているのでね。君は――」

「すみません! ちょっとエニシ、一体全体何してんのよ!」

 追いついたオトハが、慌ててエニシの腕を引き、また頭を下げさせようとした。だがエニシは、今度は優しくではあるがその手を掴んで逸らし、その男から目を逸らさなかった。

「間違いではありませんよ、ミカド・ジン。貴方が、この中で一番強い。僕の野望には、貴方が必要なんです」

 少しエニシより高い背丈に、絹のような黒髪、瞳は深く蒼く、目鼻立ちは整っている。

 その目を困ったように閉じて首を横に振り、男は苦笑を交えつつ応えた。

「その評価は大変ありがたいが、この中には大勢もっと優秀な魔術師もいらっしゃる。私のようなしがないいち公僕ではなく、そのような方々を誘われてはいかがかな?」

「本当に、しがないなんて思っていらっしゃいますか?」

「エニシ!」

 少し眉を引き攣らせたかのように見えた男の前に、慌ててオトハが体を滑り込ませた。

「申し訳ございません。こいつ、ちょっと浮世離れしていて、礼儀ってものをしらなくて」

「礼儀くらい知ってるよ。そうじゃない。僕は貴方の本当の実力を評価しているから、こうやって――あいたっ」

 最終的にエニシはオトハに頭を叩かれ、無理矢理引きずられていく。

「いい加減にしなさい! そもそも何の説明もしてないし、いきなりすぎるの! ちょっとまずは私に説明しなさい!」

「はーい」

 素直に引きずられ、ミカドに手を振って連れられて行く。

 ミカドは戸惑いながらも、曖昧な笑みを浮かべてそれに振り返し、頭を下げて一緒に消えゆくツララも併せて三人を見送っていた。


「説明をしなさい」

 壁際に追い詰め、地べたに座らせたエニシを見下しながら、腰に手を当てオトハが宣言した。

「説明って言われてもなあ……」

 エニシが頬を掻いて横を向く。その横に、尖ったヒールが突き刺さった。謝恩会なので、ドレスアップしているのだ。

「どういうことなの?」

「相変わらず、オトハは怖いなあ」

 にへら、と笑うエニシに、オトハは更に顔を目と鼻の距離へ近づけ、睨みつけた。

「何をしに、エニシは来たの?」

「言わなきゃダメ?」

「ダメ」

 オトハの剣幕に軽く息を吐くと、エニシは穏やかな表情で言った。

「話すと、少し長くなるよ。後、本気の話だから、ちょっと場所を変えたい」

 最後は、真剣な眼差しでオトハを見上げていた。その視線に少したじろいだオトハが、足をどける。

「じゃ、じゃあ移動しましょう」

「わかった。ちょっと時間もないから、なるべく早めに済ますね。どこか近くでいいところあるかな」

 エニシは立ち上がり、尻を叩く。

「時間がない? ねえほんとに何しようとしてるの?」

「まだ内緒」

 エニシが片目を瞑り、「移動したらね」と先頭を切って歩き出す。空気のようになってしまっているツララにも「良かったら」と声を掛けた、その矢先。

「キズナ・エニシはどこです!」

 勢いよく入り口の扉が開かれ、外の暗闇の中にぽつんと小さな人影が見えた。シルクハットを被っているようだ。

 その人影は、後ろに二人、人を引き連れながら辺りを睥睨しつつ、ステッキを鳴らして階段を下りてきた。

「――ジャノメ・ヒルコ……!」

 ここへ来て常に穏やかな風を纏っていたエニシが、初めて険しい表情を見せた。

「あいつ⁉ どうしてここに……」

 慄くオトハを腕で庇いながら、エニシは厳しい視線をヒルコから外さず、だが精悍な顔で顔に笑みすら浮かべつつ、応えた。

「ごめん、想定はしていたんだ」

「え?」

「予想以上に早かったけど」

 言いながら、エニシは魔術を唱え、ふわりと空へと飛んだ。

「ジャノメ・ヒルコ! 遅くまでお仕事ご苦労様!」

 天井から降ってくる台詞に、ヒルコがシルクハットの縁を上げ、顔を顰める。

「貴方は……」

 空中でぴたりと止まり、不敵に笑ったエニシが腕を広げた。

「成長したからわからないかな? 育ち盛りなもんで」

 そう言って、掌の上で小さな竜巻を作って見せる。後ろにいた魔法省の職員であろう男が、手にしていた機械を見て、慌てて後ろからヒルコに耳打ちした。

「ほう、これはこれは。ご無沙汰しております。随分大きくなられたようで、何より」

「ありがとう」

 突然始まった会話に、会場内はどよめきと戸惑いに包まれている。

「それで、僕に何の用?」

「ははは、ご冗談を」

 ヒルコがさも可笑しそうに体を反らして笑った。なかなか終わらないので、側近も付き合わなければ、と笑い始める。

「挑発したのはそちらでしょう」

 すっと笑いを引き、慌てて職員も姿勢を正した。

「挑発? さて、何のことやら」

「わかっていなければそんな堂々と出てこられますか」

「そう? 僕は逃げも隠れもしないよ? そうしなければならない疚しいことなんてひとつもないからね」

「黙らっしゃい!」

 ヒルコがステッキを床に打ち付け、甲高い音が会場に響き渡る。大理石の床が欠け、破片がどこかへ飛んだ。

「まあまあそう怒らないで。僕の意表を突いたつもりが、当てが外れたからって僕に起こるのは筋違いだよ」

「わかっています。ですから、怒っているのはそのことに対しではありません。私たちをわざわざ誘き出して何をするつもりか、その魂胆を苦々しく思っているのですとも」

「正直に言ってくれて、ありがとう」

 エニシは恭しく体を折ってから、腕を広げて会場全体に語り掛け始めた。

「皆さん、今の状況をご覧になられればわかるように、僕は魔法省の人間に追われています。何故でしょう? まず、彼らがどうやってここに辿り着いたか、ですが――」

 ふわり、とまた掌に小さな風を起こし、今度はそのままにしている。

「彼らが持つ魔力判定機に、僕の力が登録されているからです」

 職員が、慌てて手にしていた機械を懐に仕舞った。しかし、静まり返った場内で、間抜けな反応音が響き渡る。

「この機械は一般には販売を許されておらず、そしてそんなものに登録されていることが、僕が要注意人物である、という証拠となるはずです。ここまではいいですか?」

 会場に確認するように、エニシは場内を見回した。

「では何故僕のような若者が要注意人物なのか。答えは、僕がエイス・ワイス・トラルド唯一の弟子だからです」

 丁度、機会の作動音が止まり、場内から水を打ったように音が消えた。エニシが出来の悪い冗談を言っていると思っているのだろう。ざわついているのは、オトハの逸話を知っている今年の卒業生くらいだった。

「疑うのなら、どうしてそこの魔法省の役人が否定しないのかを、考えてみてください」

 全員の視線がヒルコに集まる。ヒルコは無表情のまま、それを受け流すかのように目を瞑った。

「どなたか、質問のある人は」

「どうしてそんな誉ある人間が犯罪者のように役人に追われるんだ?」

 声を上げたのは、エルドルトだった。

 当意即妙、エニシは微笑み、更に声を上げる。

「そこが問題です。現在、各国で魔術師は戦術的兵器としての側面を持ち、力のある魔術師は国によって管理されています。皆さんも、そうでしょう。その状況を甘んじて受け入れてよいのですか? 魔術師は、魔導士が導いた自然の〝魔〟を使い、自然と共にある自由なものなのではありませんか?」

「君は、国に登録されていないのかね」

 白髭の御仁が、厳かに問い質した。呟きなのに、周囲の視線を一気に集める。先程壇上で挨拶をしていた学長だ。

「お初にお目にかかります、アラゴ学長」

 エニシはまず恭しく頭を下げるが、学長は無視をして言葉を繰り返した。

「質問に応えなさい。君は、国に未登録なのか」

「はい。ですが、未登録、というのは正しくありません。未だ登録していない、のではなく、意思を持って登録していない。無登録、の方がまだ正しいかと」

 学長はゆうくりと首を振って、扉を指差した。

「だったら、君はここに来るべきではない。ここは、法を守り、国民を守るために〝魔〟を学んだ魔術師たちがいるべき場所だ。君の勝手な論理で乱される秩序など、存在しない」

「本当にそうでしょうか。ここにいるすべての魔術師が、本当に国に管理されることをよしとしているのでしょうか?」

 一瞬、動揺が構内に広がる。だが、アラゴの杖の音が、その波を一瞬で平らかにした。

「無秩序に魔術師が生まれては、その力故に悪用するかもしれん。また、未熟な魔術師は意図ある悪用よりも質が悪い。つまり、一定以上の質を担保し、その質を管理する必要は、社会から要請されておる。そんなことは、とうの昔に議論されつくされてきた。若者が、若さ故の思い上がりと正義感で思い付きを話すことは結構だが、先人への尊敬と勉強を怠ってはいかん」

「ある程度までは、僕も賛同します」

 エニシはその説教にまったく動じず、反論を紡いだ。

「ですが、その質を超えた存在まで辿り着ける魔術師が、一国に縛られているのは世界的に、人類として損失ではありませんか? しかし国は、そういう魔術師ほど、国に縛り付け、自国の利益に繋げようとしている」

 その反論には、アラゴも暫しの沈黙を要した。しかし、顔を上げて厳然と言い放つ。

「そのために世界会議があり、各国も連携を図っておる」

「今更学長ほどのお方が建前を仰るのはよしてください。未だ人類は国境と人種を越えることは能わず、いつか他国・他人種を支配するために、またはそういった意思に怯えて、力を保有しようというのが実情ではないですか」

「建前を大事にできん人間が、それ以上のことを成し遂げらるとは思えんよ。どうにもならない世界を、建前と正論を振りかざして進むことこそ、いずれそれを本物に出来る。そう、信じておる」

「ありがとうございます」

 急にエニシは腰を折り、丁重に礼を言った。その仕草に、アラゴは眉をひそめる。

「どういう意味かな」

「学長のそのお言葉がお聞きしたかったのです。皆さん、お聴きになられましたか? 学長は、正論を振りかざして進むことこそ、いずれそれを本物に出来る、と仰いました。それはつまり、理想を語り、現実に負けず、それに突き進むことと同義だと考えます」

 アラゴに視線をやる。アラゴは、渋々であるが頷かざるを得なかった。そして、エニシは声を張った。

「だったら、本物の理想とは、そんな国家の軛とは関係なく自由に、魔術師のみでその力を管理し、世のために使うべきではないのですか!」

 エニシの言葉が、講堂の空気を震わせる。それに呼応するように、あちこちで急に声が上がった。

「そんなものは暴論だ! 過去に学ばない愚者の意見としか思えない! 文民統制という言葉を知らないのか! 魔術師のみで管理をすれば、やがて魔術を扱えない民を弾圧してゆくこととなるぞ!」

「待て待て待て! そもそも〝魔〟は自然に横溢し、生きとし生けるものが量の多寡はあれ持つものだ。その論では扱えぬ」

「いやいや、武力、すなわち力の強いものがその力の使い道を決められる、ということは結局弱者を無視することに繋がる。人の世を先に進める義務のある魔術師だからこそ、国の下で国民の意思に従うべきだ」

「おい! それじゃあ結局魔術師を兵器として扱うのと変わらないじゃないか!」

「現実を見ろ! 我々の力は強大過ぎる!」

「だから自らの意思を封じて、他者のために奉仕しろというのか!」

 喧々諤々の声が各所から巻き起こる。頭上で浮かびひとり聞いているエニシは、その声をひとつの頂点に集めるかのように目を瞑り、耳を澄ましていた。

 その表情を、アラゴが険しい目つきで睨みつけ、ヒルコは無表情で眺めている。追ってきたはずなのに放置をしているヒルコの狙いは何なのだろう。

 大衆はそんな話の流れも忘れて、エニシによって提起された議題に熱くなっている。やがて、そのボルテージが最高潮に達した、と思われるほど講堂内に声が充満した時、床に杖の叩きつけられる音が響き、一瞬にして静寂を取り戻した。

 その音の主は、アラゴであり、ヒルコでもあった。

 互いに視線を交わした後、譲られたアラゴが厳かにゆっくりと口を開く。

「君の問題意識は分かった。それで、君のここに来た目的は、何だね」

 議論に夢中になっていた魔術師たちは、そもそもの発端を思い出し、空を見上げた。先程と変わらず、しかし彼らの中にしっかりと存在と問題意識を刻んだ男が、そこには浮かんでいる。

「ですから、僕は独立した、魔術師国家の設立を宣言いたします」

 ピシリ、と空気に亀裂が走る。誰もが、そこまでの思想に至らなかった。今ある国の枠内で、その問題を解決しようとしていたのに。

「子供が、無茶を」

「子供ではありません。奇しくも学長が仰ったではありませんか。僕らは今日から、ひとりの魔術師です」

「君は卒業生ではない」

「まあ、それは確かに。でも歳は変わらないですし、いいじゃないですか」

 肩を竦めながら、苦笑する。

「今日より後、間を空けず、魔術師のみがそれとわかる形で告知を出します。国家への参加募集です。ご希望の方は、それをお待ちください」

「……そんなくだらないことが、貴方の目的でしたか」

 低く、しかし澄んだ体温のない声で、囁くように声が洩れた。思わずその声の主の周囲にいた人間は肩を抱く。

「……ヒルコさん、何か、文句でも?」

「大アリですよ。トラルドの元で何を学んできたかと思ったら、そんなくだらないこととは。少しでも期待した私が馬鹿でした。呆れます。もう、これ以上喋らなくてよろしい」

「それは困ったな。まだ続きがあるんですけど」

「ほう、では聞きましょう」

「お言葉に甘えて」

 エニシが恭しく腰を折り、改めて周囲に喧伝する。

「そして最終的に僕が目指す世界は、全人類の魔術師化です!」

 エニシのぶち上げた目標に、一瞬の静寂の後、講堂が一気に沸き上がる。

「そんなこと、できるはずがない!」

「いや、そんな無計画に言えるものじゃなかろう。何か目算があるのではないか」

「国として、魔術師じゃない人間を皆殺しにでもするつもりか!?」

「全人類が魔術師になれるとしたら、社会の成り立ちはどうなる?」

 様々な疑問・議論・命題が立ち上がる。それを満足げに眺めていたエニシに、ヒルコがシルクハットを外し、髪をオールバックに掻きあげ、冷たく告げた。

「いい加減にしろ」

「あれ? 響かなかった?」

「黙れ」

 ヒルコがステッキを振る。

「ヒラグモ、グアント」

講堂の床を隆起させ、エニシを襲わせる。そしてスッテキを小脇に抱え、彼もそれに飛び乗った。

 エニシは、その覆い被さってくる土を避けることなく正面から受け止めた。勿論、飲み込まれる。

 だが、ぽっかりとエニシが浮いているところだけ円のようにくりぬかれ、反対側から涼しい顔のエニシが現れた。

 ヒルコは険しい顔で振り向きながら、地上へと戻った。ヒルコが隆起させた部分は大理石の床が脆くも壊れ、土が露出してしまっている。

「ヒルコさんの〝魔〟って、ビルの中とか空だとどうするんですか?」

 その部分を眺めながら、何気なくエニシが呟いた。

 ヒルコは応えることなく、間断なく今度は土の槍を飛ばし続けた。

「土がなければ使えないなんて、そんな不便な魔術ないですよね。国を守る方がそんな制約かけて、空からの敵やテロリストにどうやって対応するのか、って問題があるし。僕、ひとつの〝魔〟を究めることしか教わらなかったから、他の〝魔〟の仕様がよくわからないんですよ」

 エニシは、余裕で攻撃を避けながら、無邪気に疑問をぶつける。ヒルコは無言で、土の壁でそれに応えた。勿論風の防御壁で傷ひとつつくことはないが、発言を封じられるとともに視界を塞ぐのも目的だったのだろう。

 通り過ぎた土が止まり、目の前にヒルコが立っていた。

「シッ!」

 ステッキを突き出し、エニシの顔を狙う。ステッキは風のシールドに消されることなく、エニシの頬を薄く切り裂いた。

「……流石、国家官僚」

「そんな甘い認識で、よく国を建てるだなどと言えるな」

 言いながら、ステッキを引き、更に突き出す。ステッキに魔術がかけられているのだろう。得意な、相性のいい〝魔〟はあるとしても、他の〝魔〟が使えないということではない。

 幾度も突き出されるステッキを躱しながら、エニシはヒルコが乗ってきた土を蹴り、空中へ飛び出して一旦距離を取った。そして指笛を鳴らす。

「テン!」

 エニシの声と同時に、懐からぴょこんと顔を出した白い獣が身を翻し、エニシの腕に止まった。それをエニシは振りかぶり、ヒルコへと振り下ろす。その勢いのままテンがヒルコへ飛び掛かるが、ヒルコは足元の土を伸ばし、自分の前に壁を作る。

 テンはそれに飛びつくと駆け上がり、上空から爪を立てようと襲い掛かった。が、その目の前に、ステッキに同化していたかのような影からにょきり、と頭を突き出したミミズが現れ、思わず止まってしまう。普通のサイズより、大分大きい。小さな蛇くらいはあるだろうか。

「戻れ、テン」

 テンを腕に戻しつつ、ヒルコのステッキへ目をやる。

「随分ユニークな魔獣ですね」

「言葉を選ばなくていい。だが、私にとっては長年の相棒。舐めるなよ。喰い千切れ、モグラ」

 ミミズなのにモグラとはこれいかに。ヒルコの不思議なネーミングセンスに呆れながら、エニシは息を吐き、テンとともに風による防御壁を張った。

 普通のミミズならばそれに弾き飛ばされて終わりだろう。だが、モグラはそれに喰らい付き、音を立てながら壁を食い破り始めた。

「わお」

テンと共に目を見張り、一旦また空に飛び上がる。

モグラに攻撃させながら後ろを取ろうとしていたヒルコが舌打ちをしてそれを見送った。

突然始まった戦いを呆然と眺めていた聴衆が、呼吸を忘れていたかのように大きな息を吐く。

その空白を見て、エニシが改めて声を掛けた。

「皆さん、いかがでしょう。魔法省の本気がお分かりになられましたでしょうか?」

 エニシの問いかけに、芳しい答えはなかった。まだふたりとも小手調べであることくらいは、どんなレベルの魔術師でもわかることだろう。

「……ですよね。ここからのヒルコさんの本気を見て、そこは判断頂ければと思います。それより大事なのは、僕たちが建てようとする、その国家の意思です」

 ヒルコから絶妙に距離を取りながら、エニシは講堂全体へ響き渡るように移動し、宣言した。

「僕たちの魔術国家は、魔術を人類、自然に益するために使うことを信条とし、いずれ誰もが平等に〝魔〟を享受できる世界を作ることを目指します。今の国家に、人々の紛争に、不平等に憤りを抱いている魔術師よ、そして人々よ。力を持つ僕たちが、理想に向けて動くことこそ、その現実を変える唯一の手段であり、責任ではありませんか? 思想に同意して頂ける方のご参加を、お待ちしています」

 言い終えると、エニシは満足したようにヒルコに笑みを向けた。ヒルコも笑みを返し、ステッキを掲げる。

「?」

「このタイミングで、為す術なく私に捕まれば、それはそれは滑稽だろうな」

 意地悪く笑みは大きく三日月を描き、ステッキが振り下ろされた。

 講堂の四方八方から尖った土が飛び出し、逃げ場のないエニシを貫く。

「ああ、忘れていた。ビルや空中でどう戦うか、だったか? 私の〝魔〟は物質を構成する土を呼び出すものだ。ビルの壁は勿論、空でも土さえあれば……このようにな!」

 ヒルコからミミズのモグラが飛んだ。そして、空中で土を吐く。

「ヒラグモ、グアント!」

 動かないエニシの首を、尖った土が突き刺す。

 確かに、そう見えた。

 その次の瞬間、その場にいたエニシは風のように揺らめき、ふわり、と消えた。

「お見事です。奥の手は軽々しく話しちゃいけませんもんね」

 ヒルコの後ろの空中に、エニシが浮かんでいる。

「……いつからそこにいた」

「最初から、と言っておきましょうか」

 それは、先ほどのヒルコの発言への挑発のように、嘘か本当かわからない、と言っているようだった。

「それでは、恐縮ながら、失礼させて頂きます」

 恭しく礼をすると、凄まじい風が巻き起こり、ヒルコの視線を塞いだ。

 その一瞬で、十分だった。

 エニシは空を飛び、オトハの元へ行くと腕を掴み、また空へ戻ろうとした。ツララに「ごめんね」と口の動きだけで告げ、片目を瞑る。

 その時、傍らに立つ者の視線に気づき、動きを止める。

 穏やかな目を湛えていたのは、アラゴ学長だった。

「……少年よ、君の話は、理想に過ぎん」

 エニシは心底不思議そうに眼を丸め、応えた。

「学長が仰ったんですよ? 理想を語り、現実に負けず、それに突き進め、と」

 その答えに、アラゴは目を丸くする。

 そして、呵々大笑した。

「なるほど、一本取られた。だったら、好きなようにやるがいい」

「ありがとうございます」

 神妙に頭を下げるエニシに、アラゴは少し楽しそうに微笑みながら、釘を刺す。

「ただし、これだけの大言壮語をこの場所で吐いたのだ。そう簡単に諦めるでないぞ」

「諦めるも何も、成功しか思い描いていません」

「そうだな。今は、それでいい。行ってこい、若者よ!」

 アゴラの声に送り出され、エニシはオトハの手を引いて空を飛ぶ。

 そして講堂入り口で止まると、開け放たれた扉を背に、講堂に詰めている全員へ向かって言い放った。

「皆さん、改めて、お待ちしております! 差別をするわけではありませんが、最初は困難も多く待ち受けているでしょう。できれば、自分のことは自分で守れるほどの力は欲しい。そういった意味で……金雷の魔術師ジャン・リー!」

 名前を呼ばれた青年が、満を持して、顔を上げる。

「水煙の魔術師フレイレ・パトリック!」

 腕を組みエニシを見つめている黒い肌をした男性に、周囲の視線が集まる。

「木蓮の魔術師セレナ・パーカー!」

 名を呼ばれた淑女は、微笑みを湛えたまま動揺を見せることなく優雅に立っている。

「剛腕火炎の魔術師エルドルト・ブラッドレイ!」

 熊髭のエルドルトが、おう、と応えて手を挙げた。

「そして月令の魔術師、ミカド・ジン」

 先般挨拶をした優男風の公務員が、エニシと睨み合った。

 エニシは不敵な笑みで頷くと、もう一度、顔を上げて全員に向き直った。

「この五人、そして、アゴラ学長、皆さまは特に歓迎します」

 アゴラがまた、口を開けて笑う。

「儂すら誘うか!」

「理想のためならば。国の名は、〝小さな魔術師〟。誰もが最初は小さな魔術師であり、この星にとって小さな魔術師であり、人々にとって小さな魔術師であり続ける、そういった意味を籠めました。よろしくお願いします!」

 手を広げて呼びかけると、もう答えを待たず、身を翻して外へ向かった。

 後方では怒号ともとれるような声が弾け飛ぶ。

 その音に押されるように、エニシとオトハは扉から飛び出した。

 暗い夜の中、空へ、空へ。

 真っ黒な闇夜の中に、小さな星々が瞬いている。

「オトハ、行こう」

 どこへとも言わなかった。

 オトハも、どうしてとも問わなかった。

 心の中には戸惑いも、怒りも、躊躇いもある。

 それでも、エニシの手に引かれている今は、何も言えない。

 幼馴染の背を見つめながら、その先の空へ目をやった。

 先には、何もない。しかし、阻むものも、またない。

 ただただ、引かれるままに、赴くままに、先へ、空へ、ふたりは進んでいった。

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