Ⅶ


「あの、さっきのヒルコや黒スーツの人たちの魔術が効かなかったのは――」

「君なら、何となく想像がついているんじゃないか?」

 横を歩きながらエニシが聞くと、トラルドはそう返した。エニシは目を丸くしながら、頷き、暫し考えた後、口を開く。

「トラルドさんは詠唱が必要ない、ってことと、繋がってる?」

 その答えに満足そうに頷き、トラルドは部屋の扉を開けた。

「いい答えだ。〝繋がる〟という感覚を持っていることが素晴らしい」

 扉の向こうは、例の如く極彩色の景色だった。キズナ夫妻が目を丸くする中、部屋の主は中央に進み、四人に席を進める。前はソファしかなかったが、今は執務机の前に椅子が四つ並べてある。トラルドが準備したのだろう。

「彼らは詠唱をしなければ魔術を唱えられない故に、唱えた時点で無効化魔法で対応できるし、唱える前に私は彼らに気づかれずに魔法を掛けることができるわけだ」

トラルドがエニシへの説明を終えて自席につくと、四人も促されるままに腰を下ろした。

「お疲れ様でした」

 まず、先ほどまでの戦いを労い、指を鳴らす。

 宙を舞って、紅茶ポッドとカップが漂ってきた。そのまま、ひとりでに四人にひとつずつ紅茶が注がれる。

「彼らは、この国の官僚ですか?」

 トラルドの質問に、トモは頷きながら紅茶をひと口もらい、唇を湿らせて口を開いた。夫妻は、先ほどのふたりのように紅茶への不審を述べなかった。これは、高いレベルの魔術師故の、トラルドへの信頼だろう。

「そうです。有力な魔術師を探しているようでした」

 トラルドは無念そうに首を振り、溜息を吐いた。

「最近は、どの国もそうです。〝魔〟の本質を忘れ、国を豊かにする道具と思っている」

「豊かにするのは、悪いことなんですか?」

 オトハの質問に、トラルドは優しく微笑して答えた。金色の髪に、陽が輝く。

「確かに、それ自体は悪いことじゃない。だが、そもそも、〝魔〟とは自然に存在するもの。我々はそれを借りているだけに過ぎない。故に我々は自由だし、全ての世界へ感謝を捧げなくてはならない。国という小さな単位で縛るのは、間違っているだろうね」

 国、が小さな単位と言えるトラルドにも驚いたが、かといって自由に個人が生きることの方が国のことより大きく、すべての世界に繋がる、と言われてもわかりかねた。

「国のために働けば、周りの人も結果的に幸せになるのでは?」

 エニシの質問に、トラルドは頭に優しく手を置き、瞑想を促した。

「この地球に住む人は、この国にいる人だけかい? 勿論、近くの人を幸せにするな、とは言わない。それこそが一番大切で、それが積み重なって広がっていくからだ。ただし、その広がりを、国という単位だけで見ては、つまらない。そうだろう?」

 トラルドの言葉は、エニシの視界を広げ、また同時に彼の心情にしっかりと寄り添った。

「世界のために働く、ということですね?」

「その通りだ。国などというのは、管理しやすい大きさにつけた単位に過ぎない」

「トラルド様、お考えには深く同意いたします。また、私たちの息子に教えを授けて頂けるというのなら、そのことにも感謝いたします。ですが、その前に、すべき話をさせてください」

 師弟の問答のように繰り広げられる会話を中断させたのは、ある決意を胸に切り出したトモの言葉だった。隣では、ミナも真剣な面持ちでエニシを見つめている。

「失礼いたしました」

 それを受けて、トラルドは恭しく頭を下げると、改めて四人に向き直った。

「ただ、私の考えは、今のご子息に話した通りです。国のためなど小さいことは言わず、世界の人々のために働けることこそが、魔術師の特権であり、条件である、と考えています。どうでしょう、そんな私に、ご子息をお預け頂けませんか」

 トラルドの提案に、まずミナが、疑問を呈する。

「失礼ですが、トラルドさんはお弟子さんを取られたことは?」

「いえ、ありません」

 柔和な顔でトラルドは返すが、ミナは不安を隠しきれないようだ。

「それでは、どうしてうちの子を見初められたのでしょう。そして、弟子として育てられなかったり、または実際お眼鏡にかなうような実力でなければ、どうなさられるのですか?」

 トラルドは頷き、神妙な様子で語り掛けた。

「お母様、彼の素質は疑いようがない。それは、あなた方の血と、先程の戦いで、充分ご承知のはずです。そうなると、問われるのは師の資質、ということになります。私が彼を育てられなければ、必ず、別の良い師を探しましょう。約束します。……まあ、私以上に〝魔〟に通じ、教えることのできる人間などいないとは思いますがね」

 そう、お茶目にウインクして見せる。

 それが却って不審を呼びながらもミナが引き下がると、今度はトモが質問を引き取った。

「どうして、うちの子を育ててみよう、と思われたのでしょう?」

「それには、色々と理由がありますが、〝魔〟を持たないと思われていた子が、実は莫大な魔力を秘めていたことと無関係ではありません」

 詳細な理由は、話せないらしい。

「……エニシが、普通ではないのは、わかります。ただ、あなたほどの人が、しかも初めての弟子に選ぶほどの素質かどうかは、正直自信がありません。親の欲目というものもありますし」

「そうですね。確かに、その点についてはタイミングとしか申し上げようがありません。正直、現時点では彼より才能があり、実力がある子も沢山いるし、かつてもいたでしょう。しかし、当時の私は教える、伝える、継ぐ、ということに興味がなかった。そして彼らの方にも、学ぶ姿勢や素質がなかった。いや、それは言いがかりかな。とにかく、エニシ君には私が教えることを学ぶ素地がある。才能だけじゃない、性格というものもあります。そして私が彼を気に入った。これでは、説明になりませんか?」

「いえ、光栄です」

 トモは嬉しそうに、だがどこか力なく首を振り、優しい笑みを目に浮かべてエニシを見た。後は、当人の決断次第、ということのようだ。

「エニシ、役人のことは気にしなくていい。私たちを人質にしてお前を呼び戻すようなことは流石にできまいし、お前が残ってくれるというなら、どこにでも行く。自分のことだけを考えて、トラルド様に学ぶか、残るか、決めなさい」

 父の言葉に、エニシが俯き、考える。

 だが、その時間は意外に短く、上げた顔は口元を引き結び、凛々しく、晴れ晴れとしていた。

 その表情を見てトラルドがにっこりと笑い、手を差し出した。

「改めて、君に訊こう。私の跡を、継がないか?」

「よろしくお願いします」

 はっきりと告げられたその言葉に、両親は一瞬息を呑んだ後、父はゆっくりと息を吐き、母は涙を見せた。そのミナの頭を、トモがゆっくりと撫でる。

「よろしい。ではご両親に、これまでのご厚情の感謝を。行くと決まったら、すぐに行こう。役人どもにここが見つかることはないだろうが、ご自宅では待ち伏せしているかもしれない」

「そんな急に!」

 一緒に来ていたオトハが、声を上げる。トラルドは諭すように少女の目の前に座り、指を立てた。

「この世界に、いつまでも続くことなんてない。それはただの思い込みなんだ。それを自覚して、一日一日を大切に過ごす。自覚した上で、普通をいつまでも続けられるよう努力すること。それが、人生の秘訣だよ。偉大なる大魔導師が言うんだ、間違いない。君も、十分素敵なものを持っている。しっかり磨きなさい。その力は、君が望むなら、やがてエニシのためにもなる」

「だっ、誰がエニシのためなんかに!」

 顔を赤くするオトハの頭を優しく撫でて、トラルドは立ち上がると、両親に改めて深々と礼をして、杖を持った。

「ご子息を、大切に育てさせて頂きます」

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

 互いにお辞儀を交わし、言葉以上の思いを伝えあうと、トラルドは扉を開け、向こう側へと続く道を開いた。

「こちらから、お帰りください。おわかりでしょうが、皆さんがここを抜けると同時に、道は消失し、繋がっていた雲の家も消滅します。以降、こちらから連絡を差し上げることは、原則ないと思って頂きたい」

 再び頭を下げると、トラルドは四人を残し、隣りの部屋へ消えた。

「当分のお別れです。どうぞ、ごゆっくりと」

 残されたエニシが、三人とそれぞれ視線を交わす。

「父さん、僕、行ってくるよ」

「ああ。お前が決めた道だ、頑張ってこい。〝魔〟の深淵を、味わってきなさい」

 こくり、と頷いて、母へ顔を向ける。

「母さん、行ってきます。ごめんね、急に」

「何も謝ることなんてないわ。とにかく、元気でね。大きくなって、帰ってくるのを待ってる」

 ミナはエニシを抱きしめ、長いこと力を籠めていたが、やがて背中を二度叩くと、体を離した。

「オトハ、一緒に魔法学校行こうって言ってくれてたのに、急にこんなことになってごめん。一緒に、勉強もしたかった。本当だよ。折角、魔術も使えるようになったのに」

「ほんとよ! こんな美少女が誘ってあげたっていうのに、もうこんな奇跡あんたには一生起きないんだからね! わかってる?」

「あはは、うん」

 笑いながら、エニシは頷く。

「何笑ってんのよ! いーい? 今度は、あんたが迎えに来るんだからね。そうでもしないと、私みたいな子とは気軽に会えないんだから」

「わかってるよ」

「今度会う時は、こんな糞みたいな世界を変えられるほどの力を持ったときだからね。前々弱いままだったら、承知しないわよ」

「大丈夫」

「約束だからね。その時は、一緒に、世界を変えるのよ」

「うん、約束」

「……ならいいわ」

 背中を向けてしまったオトハに笑いかけて、エニシは両親に再び向き合い、家族で抱き合った。

 そして、手を振る。

「じゃあね」

「ああ。辛くなったら、いつでも帰ってきなさい」

「そんあ不吉なこと言わないの。頑張って。エニシなら、必ず素敵な魔術師になれる。お母さん、待ってるわ」

 頷き、最後にまだ背中を向けているオトハに近づいて、エニシが囁いた。

「必ず迎えに行くから。待ってて」

 振り向いて、エニシを睨みつけ、指を突き立て、オトハが言った。

「きっとよ! 絶対だからね!」

「うん」

「……じゃあ、待ってる」

 オトハが駆け寄り、三人集うと、扉の向こうに足を踏み出した。

「それじゃあ」

「またね」

「約束よ!」

 手を振る三人の姿が光に呑まれ、消えてゆく。

 ひとり取り残されたエニシが、ぽつん、とその場に立っていると、後ろからトラルドが歩み寄り、声をかけた。

「皆、立派だな」

 エニシが残れば、葡萄畑を捨ててどこかへ逃げなければならなかったかもしれない。残って抵抗をする道を選んでも、政治の力で嫌がらせをされただろう。

それは、エニシが大事な葡萄畑のこともきっと考えたに違いない結論のことを、それでもそれを言わずに決断を尊重した両親のことを、別れを受け入れたオトハのことを言っていた。

エニシは黙って頷き、もう、普通の扉と化した木の枠を、ずっと見つめていた。だがやがて、納得したようにひとつ頷くと、視線を外し、窓から外を眺めた。極彩色の景色の中で、怪鳥が甲高い声で鳴く。滝があり、川が流れ、緑豊かな草原のど真ん中で小さな白い獣が寝ていた。

 今までの風景との違うようで、どこか似通っている。思わず笑みが零れた。

 自分はこれから、この環境の中で、生きていく。でもきっと、それはどこにいても同じ。

 トラルドに向き直り、エニシが目を輝かせた。

「これから、よろしくお願いします!」

「うん。できる限りのことはしよう」

 トラルドが優しく笑って、その金髪を陽光の中で輝かせた。

「それより、今は疲れを癒す紅茶でも飲もうじゃないか。向こうの部屋に準備している。行こう」

「はい!」

 ふたりが連れ立って、歩み出す。

 壁の向こう側から、温かい穏やかな香りが漂ってきていた。

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