Ⅵ


 ――どうしてわかってくれないんだ。

 走りながら、エニシは両親に対して悪態をついていた。

 これまで、魔術が使えないことで様々な謂れのない中傷を受けた。それらから守ってくれ、こんな自分をありのまま受け入れてくれていた。

 その感謝を魔術を使ってできるのに、中傷してきたような奴らを見返してやれるのに。

 トラルドの入道雲からではないだろうが、激しい雨が降り出してきていた。闇夜の中を、濡れながら駆けていく。

 だが、後方からエンジン音が聞こえたかと思うと、黒い車がいきなり前方に躍り出て行く手を塞いだ。

 中から、シルクハットに手を当てたヒルコが出てくる。

「あの車は、お前たちのだったのか」

「お前たちとは、随分な言い方ですねえ」

 赤い唇を三日月にしながら、ヒルコが道に立った。

「キズナ・エニシ。改めて問います。私たちと来ませんか?」

「断る」

 即答に、思わずヒルコが苦笑する。

「どうしてそんなに嫌われてしまいましたかねえ。別に、嫌われるようなことをした覚えはないのですが」

「未来は僕が決める。ただそれだけだよ」

「そうですか……それは若者らしくていいのですが……」

 言いながら、何故か車の中を顧みた。

「残念ながらこちらにも時間があまりありませんでね。できれば手荒な真似はしたくありませんので、お誘い、という体をとらせ頂いておりましたが、そう頑なな態度をとり続けられると、手を変えなければなりませんなあ」

 迂遠な態度にエニシが苛立つように噛み付いた。

「何が言いたいんだ」

「四の五の言わずについてこい」

 急に口調を変えたヒルコが、シルクハットを投げた。雨に濡れる髪を掻きあげオールバックにすると、ブーメランのように戻ってきたハットを被り直す。そして、ステッキを振った。

 車の中から、縛られた両親と、オトハが黒服に連れてこられた。

「父さん! 母さん! オトハ!」

「貴様のような野良を放置しておくのは、国にとって危険極まりない。それに、国にとっても強力な魔術師の確保は国際競争力としても重要だ。つまり、お前に拒否権はなく、国民のために管理下に置かれろ、ということだ」

「お前……!」

「別に、悪い話ではないはずだ。魔術を最先端の場で学べ、生活も保障される。ただ少々行動に不自由が生じるのと、監視されるだけさ」

「聞かなくていい、エニシ。戯言だ。私たちには関係ない」

「国民としての義務を怠る、と宣言するのか」

 嘲笑うヒルコに、トモは厳しい視線をくれた。

「黙れ。国は民のためにあるのであって、国のために民がいるんじゃない。そんな横暴な話、受け入れる方がどうかしている」

「だから、お前たちはこの田舎に隠棲した、と」

 そう言って、ヒルコがトモの顎をスッテキで上げてから、地面に打ち付けた。

「恥を知れ! そうしてお前が義務を怠ることで、その代わりに何百万という人々を犠牲にしているのがわからないのか」

 冷徹な視線で見下しながら、唾を吐き捨てた。

「一応、元は最強と呼ばれたプロだろうに。政府もどうして隠棲を許したのか、理解できん」

「人は、自分を犠牲にしてまで他人のために生きなくていい。大事なのは、何よりもまず自分だ」

「平行線だな」

 ヒルコはシルクハットを被り直すと、エニシに向き直り、また言った。

「決めるのはお前だ、キズナ・エニシ」

 雨に打たれ、びしょ濡れになりながら、エニシはヒルコを睨みつけた。

「他人に犠牲を強いる人が、本当に人のためになることを言っているとは思えない。僕には、すべて自分のために言っているようにしか聞こえない」

 エニシは小柄を抜くと、素早く魔法を唱えた。

「エイス・ワイス・トラルド――」

「待て!」

 ヒルコがステッキをトモの首に押し当て牽制する。

「状況が見てわからないか? ここでお前が魔術を使えば、三人がどうなるかくらい、想像できるだろう」

 トモが、口惜しそうに唇を噛む。自分たちのことなど気にするなと息子に声を掛けてやりたいのだろうが、この優しい息子がそれを選べるとは思えないし、選んだとしても後々、その選択を後悔し続けることが目に見えている。

 それ故、自分たちでどうにかしなければならないのだが、それができないことに、言いようのない苛立ちを覚えているのだ。

「エニシ、好きなようにしなさい。オトハちゃんなら、大丈夫。任せて」

 だが、ミナが顔を上げ、美しい金髪をなびかせながら、きっぱりと告げた。ここが、父と母の違いなのかもしれない。

 エニシは頷くと、今度こそ詠唱を始めた。

「エイス・ワイス・トラルド、クラッセル!」

「ちっ」

 猛風がヒルコを襲う。

流石に官僚として危害を加えることまではできなかったらしい。ヒルコは三人を盾にしながら、ステッキを回した。

「ヒラグモ、ツチミカド」

 地面が盛り上がり、風を遮る。そして追加の土の壁が、エニシに向かってきた。

 エニシが横に身を避ける。と、壁の影からヒルコが距離を詰めて迫ってきた。

「くっ」

 エニシが風に乗り、空へ飛ぶ。

 エニシに向かっていた土の隆起は、エニシが居た場所に到達すると爆発するように土を吐き出し、埋め尽くした。その場にいたら、覆い被さられ、身動きが取れなくなっていただろう。

「まだまだだな。戦いとは、常に先手を取るものだ」

 エニシが驚いて振り向くと、いつの間にかヒルコが背後に忍び寄っていた。

 頭に強い衝撃を感じ、地面へと突き墜とされる。

 何とか激突寸前で風を操ることに成功すると、ヒルコがいなくなった三人のもとへと標的を変えた。

 ヒルコの部下が臨戦態勢を整える。

 が、低空飛行を続けるエニシの目の前に黒い二本の足が降り立つと同時に、エニシの体が地面にへばりついた。

「それも、予測済みだ。ヒラグモ、グアント」

「ぐっ」

 エニシの背に、ヒルコのステッキが置かれていた。そして、どんどんエニシにかかる重力が、増していく。ぎりぎりと、地面にめり込んでいくかのようだ。

「さて、これが最後だ。私たちと一緒に来るか? 今私が見せたように、魔術には戦い方というものがあるし、その技も多種多様だ。私の元に来れば、それらをすべて学ばせてやる。悪い話ではないと思うのだが……」

 這いつくばっているエニシを見下ろしたシルクハットの下の目が、薄く細められている。

「畜生! どけえ!」

「まったく」

 溜息を吐く。その頬を、鋭い風が薄く裂いた。

「……何?」

 目をやった先で、キズナ・トモが黒服を叩きのめし、ミナとオトハを背にヒルコを睨みつけていた。

「何のつもりだ」

「大事な息子をそんな風にされて親が黙って差し出すとでも思ったか?」

「つまり、歯向かうと」

「すまない、エニシ。お前のためになると思って、親より冷静な意見が必要だろうと思って、こいつらの好きにさせてたんだがな。もういい。こんなの、糞喰らえだ」

「いいだろう。キズナ・エニシ、そこで見ておくといい」

 そう言ってエニシを這いつくばらせたまま、ヒルコは三人へと向かう。

「魔術は年々進化している。研鑽を高め続けたものと、引退し錆付かせたものの違いを、とくと知れ」

 ヒルコが地面を蹴った。

 トモがブローチを前に掲げ、魔術を唱える。

「エイス・ワイス・トラルド、クラッセル!」

 大きな風の盾が三人の前に現れる。

「ヒラグモ、ツチミカド」

 それに向かって土の隆起が襲い掛かるが、風の回転がいなし、弾き飛ばす。

「流石風盾の魔術師、と言いたい所だが……悲しいな」

「何?」

 トモが眉をひそめた横から、オトハを狙って尖った土が突き出してくる。トモが、そちらに盾を出す。

「きゃっ!」

 ミナが狙われ、今度はそちらへ目を配る。と、前方からヒルコの姿が消えていた。

「守る者がいる方が強い? よく聴く言葉だが、ちゃんちゃらおかしい。足手纏いが増えるだけだ」

 真後ろでヒルコが呟いた時には、三人も地面に打ち付けられていた。

「父さん! 母さん! オトハ!」

「……私は、ミナがいなければ、あの子をここまで育てることが、できなかったよ」

「何?」

「いや、そもそも、まともな人間として生きることすらできなかっただろう。そして、これからは、あの子のためなら、自分がどうなろうと構わない」

「何を言ってるんだ」

「それが、守る者がいる強さ、ということだ」

 トモが、重力を引き連れて立ち上がる。オトハにブローチを掲げ、風の盾を張った。オトハの体が、軽くなる。

「ミナ、すまないが、一度だけ、使ってくれるか」

「しょうがないわね」

 ミナも、重そうな体をぐいと引き上げた。

「馬鹿な……」

 ヒルコが重ねてステッキを振るが、ふたりは倒れない。

「父さん、母さん!」

「おとうさん、おかあさん、やめて!」

 ふたりが叫ぶが、トモもミナも、不適に笑うだけだった。

「ふたりとも、好きに生きろよ」

「私たちのことは気にしないように。エニシ、強く生きてね」

「嫌だ、父さん、母さーん!」

 そう、エニシが叫んだ時、突如として空に暗雲が立ち込め、雷が不気味な鳴き声を鳴らした。

「何だ?」

 ヒルコが眉をひそめたと同時に、雷が家の目の前へ落ちた。

 そして、光が彼らの目をくらまし、やがて音が後に聴覚を奪って去って後、目を開けると、そこには大柄の、ローブを纏った長い金髪の男が、強風だというのにその髪を整然とさせ立っていた。背後に、トモ・ミナ・オトハが、驚いた様子で座り込んでいる。

 ヒルコは自らの足元に目をやり、そこから彼らが消えていることを確認して顔を歪め、舌打ちをして男を睨み据えた。

「どなた様でしょう」

「エイス・ワイス・トラルド」

なんてことないように名乗ったトラルドは、エニシを地面に立たせて、逆にヒルコを睨み返した。

「問われたから答えるが、礼儀としては問う方から名乗るべきではないかな」

 だがヒルコは、口の端を上げてそれを一笑に付した。

「それは失礼いたしました。しかし、悪ふざけは大概になされた方がよろしいでしょう。伝説の魔導士の名を騙っておいて、礼儀も何もございません。その子供を、こちらに返して頂きます。我々は、彼に用がある。貴方には、関係ないかと」

「関係がないのにわざわざ雷を引き連れてここにやってくると?」

 挑発するような口振りにヒルコは気分を害したか真顔になると、スッテキを握り直しトラルドへ向けた。

「下らないやり取りをしている暇はありません。その子供を離して頂きましょう」

「断る、と言ったら?」

「ヒラグモ、ツチミカド」

 ステッキを振り下ろした。

 盛り上がる土の怒涛と共に、黒スーツの部下三人も一斉に飛び出す。

 土の壁が隆起し、トラルドの前を塞ぐ。そうして逃げ場をなくしておいて、左右・後方から黒スーツが手をかざした。指に嵌めた指輪が光る。

 が、何かをすることもできず、すべて後方へ弾き飛ばされた。土の壁は土の雨をその使役者へと降らせている。

「ヒラグモ、グアント」

 ヒルコは手を横へと滑らせた。同時に、重力の壁がトラルドを横へと突き飛ばし、ヒルコが手を下へ下げると、今度は地面へとへばりつけさせるように重力が圧力を増した。

 かに見えた。

 だがトラルドは、ヒルコの横に立ち、潰れる地面を鼻歌交じりに眺めている。

「青年、それで終わりなら、こちらからやってもいいかな?」

 言い終わらぬうちに、ヒルコは飛び退り、土の壁を間に作ろうとした。

 しかし、風の一撃に風穴を開けられ、そのまま風に掴まる。

「魔力に差があり過ぎる。ここは大人しく手を引いた方が得策だと思うが」

「……貴方は、本当にトラルド師なのですか?」

「最初から、そう言っている」

 長い金髪をなびかせて、トラルドは微笑んだ。ヒルコは目をすがめ、更に警戒を増す。

「ならば、どうしてあなたのような方がこの辺境の地に? しかも、こんな名もない子供を」

「では君たちはどうしてこの子を欲しがるのかな?」

 疑問を疑問で返され、だがそれが事態を的確に説明していたので、思わず舌打ちをする。

「あなたも、何かしらのサーチを?」

「そういうわけではないのだが。この子の覚醒の原因の一端を担っているので、責任感というやつかな」

「でしたら、尚更引き下がれませんな」

「ほう?」

 意外、というようにトラルドは眉を上げた。ヒルコはステッキを握り直す。

「エニシ少年があなたのような方が欲しがる逸材だとすれば、この国としては、手放すわけにはいきません。しっかり、国のために働いてもらわないと」

「勝手だなあ」

 思わずついて出た、というようにトラルドが溜息を吐く。しかし、ヒルコは全く意に介さず、シルクハットを被り直した。

「それが、国という制度です。国は民のために動きます。それは、民が国を思えばこそです。貰ったものは返し、助けあう。国民の義務でしょう」

 トラルドはやれやれ、と首を振って応えた。

「私はこの国の民ではないし、そもそも君と政治の議論をしにきたわけではないんだ。少年をひとり、弟子に貰いに来ただけでね」

「ですから、差し上げません」

「嫌だね」

 最終的に我が儘息子のようなことを言うと、トラルドは土を蹴った。

 詠唱をせずとも風が彼を乗せ、同時に後ろに庇われていたキズナ夫妻、オトハも巻き上げていく。

「逃がすか!」

 ヒルコはステッキを回し、再び「ヒラグモ、グアント」と唱えた。スッテキをトラルドに向け、同時に「やれ!」と叫ぶ。

 倒れていたはずの黒スーツたちがいつのまにか背後に回り、トラルドへ銃を向けていた。

 先ほどの無駄とも思えた政治談議は、これのための時間稼ぎだったのだろう。

 発砲音が、立て続けに三発鳴る。

「無駄だよ」

 いや、鳴ったかにエニシには思えた。だが、その引き鉄は引かれず、トラルドはそのまま遥か彼方へ飛び去っていた。

 これまでの戦いから見るに、グアントは重力を操る類の〝魔〟である。しかしそれをものともしないトラルドの力は、いったい何なのだろうか。

「彼は、頭は固いが優秀だね」

 トラルドがそう評して、雲を突き抜けた。先ほど見た、彼の住宅が目の前に現れる。

「ご両親、もしよろしければ、私の家でこれからのことをご相談させて頂ければと思うのですが、よろしいですか?」

 続いてやってきたキズナ夫妻は、無言で頷いた。彼らの方が、〝エイス・ワイス・トラルド〟という人物に会っていることの重大さを理解しているのだろう。いや、それ以上に、大事なひとり息子の行く末を想像し、深刻になっているのかもしれない。

「君は、そろそろお家に帰った方がいいと思うが、どうする?」

「最後まで、一緒に居させてください。……トモさん、ミナさんがよければ、ですけど……」

「勿論、大丈夫だよ」

「ええ。オトハちゃんも一緒に来てくれた方が、心強いわ」

 ふたりの承諾を得、強い眼差しをトラルドに向ける。トラルドは苦笑しながら頷いて、全員を家に招いた。

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