Ⅴ


 突然の勧誘に、空白が場を支配する。それを破ったのは、怒った少女の声だった。

「何を言ってるの⁉ エニシは、お父さんのワイナリーを継ぐの。そのために地元の農業高校に行くんだし、魔法専門学校に行かないのよ? それがどうしてあなたの跡を。そもそも、あなたが本当は何者なのか――」

「残念ながら、君には聞いていないんだ、ミス・オトハ」

 話を遮られ、オトハが絶句する。

「エニシ、私と共に来ないか。魔術の、魔法の、深淵と面白さ、そして常にある新たな発見を、私が知る限り君に教えよう。君は思うようにすればいい」

「……でも、世界の基本は等価交換だって、母さんが言ってた」

「それが、私の願う世界の形と一致しているのだよ。つまり思うようにすることが、私に価値をもたらしてくれる」

 出されたままの手を、エニシはじっと、見つめている。

 繊細そうな、細く長い指だ。厚く、太く短い指の父とは、違った。

「行きません。僕は、父と共にいることで、そのすべてをできると知っています」

 断られるとは思ってもみなかったのだろう。トラルドは目を丸くし、行き場を失った手を硬直させていたが、その間抜けさに気づくとぷらぷらと振ってから、頭を掻いた。

「いやあ、なるほど。私の弟子になりたい、という魔術師は事欠かないが、私が弟子にしたい、と思う者とは違う、ということだなあ」

 苦笑しつつ、その腕を振るった。

「付き合わせて、すまなかった。そこの扉を出たら、元の空に戻っている。ご両親によろしく」

 意外にもあっさりと、トラルドはエニシを解放した。

 エニシは立ち上がり、申し訳なさそうに頭を下げ、扉へと向かう。

 オトハも戸惑いながら、それに続いた。

 明るく手を振ってふたりを見送ったトラルドだったが、一転、扉が閉まると深刻な表情になり、呟いた。

「少年にとって、苦しい決断とならないといいが……」


「帰ろう」

 扉の前で、エニシが手を伸ばした。いつの間にか、弱気だった少年が自分を先導するような真似を見せている。何だか急に腹立たしくなって、オトハは顔を背けながら、それでも「ん」と手を差し出した。

 手を握り、扉を開く。

急に、視界が明るくなった。

「……どういう、こと?」

 外はまだ夜のはずだが、扉を開けた先の空間は温かい光に包まれている。

 エニシが一歩踏み出してみると、雲の上であるはずなのに足が着いた。

 とすると、ここもまだ魔法による空間なのだろうか。雲に乗れるのだから、そうに違いないだろうが、このようなものは、見たことも聞いたこともなかった。

 雲の感触は、どこか柔らかいマシュマロのような、しかししっかり固さもある不思議な弾力性だった。

 一歩ずつ、前へと進んでいく。

 と、突如として、足の感触が消え、踏み出した足がそのまま下へと落ちてゆく。

「わっ」

驚きと共に落下していく体を、エニシは急いで小柄を抜くことで止める。

「エイス・ワイス・トラルド、クラッセル!」

 早口で言ったその言葉で、彼らの重力は瞬時に風に巻き取られる。だが、四方が見えない雲の中で、いつの間にか周囲は積乱雲らしく雷と雨が吹き荒れていた。

「急ごう!」

 その中を、引っ張るように進んでいく。何度か漂う残骸物などとの衝突を器用に避けながら、ひと際厚い雲を抜けた。

 雲も何もない、星空の下にいきなり放り出される。

「……!」

 風を自在に操るこの魔術は、父の得意とするものであり、彼が生涯で最も多く見てきたと同時に、最も憧れてきたものであった。だから、使う様を最も描いたのも、この魔術だ。

 それを使えることに、改めて少年は喜色を浮かべる。

 笑みを少女に向けると、手を繋いだままぐんぐんと上昇した。

 更に上がり、雲を突き抜け、満天の星空の下、ふたりは空の散歩を始める。

 自由自在に上下左右縦横三次元を飛び回る。

 魔術は自由で、愉快で、ふたりは繋がっている。ただそれだけを確認するように。

 わざと雲に突っ込み、視界が見えない中をしゃにむに進んで、突き抜けては笑い転げる。

 急上昇、急旋回、一回転、きりもみ、様々な飛び方を試みては、表情を輝かせる。

「びっくりした!」

 エニシがやっと、オトハに話しかけた。

「びっくりしたのはこっちよ。誰、あれ? いったい何だったの、あの時間は?」

 オトハの詰問に、エニシは勿論応えることなどできない。彼自身も、何だったかわかっていないのだ。

 だが、ひとつだけ言えることは、あれは現実に起こったことだ、ということだ。

「エイス・ワイス・トラルドが生きているなて、誰が信じるの?」

「僕は信じるよ」

「あんたが信じてもしょうがないの! もう、今何時? ああ、帰ってどう説明しよう……」

 彼女が飛び出したのが原因なのに、そんなこと忘れたかのようにエニシをなじっている。エニシはそれに何も言い返さず、ただ暴風が過ぎるのを待つかのように受け流していた。

やがて、見慣れた屋根が近づいてくる。

「ああもうお終いか」

 家の前に降り立つと、見たことのない黒塗りの車が止まっていた。それを見て、急に恥ずかしくなり、些か気まずい雰囲気で手を離しながら、中に声を掛けた。

「ただいま」

「おかえり」

 すぐさま扉が開けられ、母が顔を見せた。心配していたのだろう、顔に安堵の色が浮かんでいる。

「随分遅かったわね」

「なあに、若者ふたりのことだ、することも、話すことも沢山ある。心配するなと言ったんだがな」

 父が椅子に座ったままとりなすが、机の上のワインは既に何本か空けられていた。こちらもまた、心配で止められなかったのかもしれない。

「ごめんなさい。でも、見て!」

 エニシが、腕を突き出した。

「何?」

 ミナが、眉根を寄せる。

「エイス・ワイス・トラルド、クラッセル!」

 掌を開く。その上で、小さな竜巻が回っていた。

「え!?」

 ミナが口に手を当て、息を呑んだ。トモも驚いて立ち上がり、椅子を倒している。

「どうしたんだ、それは、一体、どうして――」

「へへん」

 少年らしく胸を張ったエニシが、事のあらましを告げる。

 月に照らされ気分が悪くなったこと、謎の白い獣に襲われ、金髪の魔導師エイス・ワイス・トラルドに会ったこと――。

 全てを語り終えると、ミナは力を失ったように床にへなへなと腰を下ろし、トモがその背中を優しく撫でた。

「よかった――」

「そうだな。どちらでも良い、という気持ちは変わらないが、それでも、君のせいなどではなくて、本当に良かった」

 涙を浮かべてミナが頷く。

「しかし、一縷の希望に掛けた形だったが、まさか本当にうまくいくとは」

 トモの呟きに、エニシが反応し、訊ねる。

「お父さん、じゃあ僕らは、そんな邪な気持ちでオトハの家に近づいたの?」

「まさか! そんなはずはないさ。あくまで伝説。エニシは魔術が使えない前提で育てるつもりだったことは、間違いない」

「そう……」

 まだ完全には信じられたようではないが、一応の納得を示し、エニシはぱっと表情を変えた。

「とにかくこれで、僕も魔術を使ってお父さんのお仕事手伝えるからね! これからはどんどん頼って!」

力強く言うエニシだが、その言葉にトモが顔を曇らせた。期待していた反応と違ったことに、エニシは不満を示す。

「どうしたの? 僕の力はいらない?」

「いや、そういうわけじゃないが……」

「失礼、ちょっとお話させて頂きますよ」

 そこでエニシは初めて、見知らぬシルクハットを被った男の客人が、トモがいた席と対面にあたる場所に座っていることに気がついた。長い脚を組んで、ステッキを片手にコーヒーを口にしている。客人の後ろには黒スーツの男が三人、控えていた。

「えっと、あなたは……」

「エニシ君に魔力が備わった。そんな感動の瞬間を邪魔してしまい、申し訳ございません。

私共は魔法省総務課に務めております公務員で、私は課長のジャノメ・ヒルコと申します。以後、お見知りおきを」

 ヒルコはコーヒーを置くと立ち上がり、シルクハットを脱いで、恭しくお辞儀をした。

 そして、改めてシルクハットを被り直し、エニシに手を伸ばす。

「貴方のお力を、是非この国に役立てて頂きたい。学校などすべてを飛ばして、飛び級で魔法省への入省を許可します。この国のために、私共と働きましょう」

「嫌です」

 思わず反射的に答えてしまってから、両親に目をやる。

「どういうこと?」

「いや、エニシのためになると思ってだな……」

「この人たち、エニシを探してやってきてんですって」

 口下手なトモに代わり、ミナが説明を始める。

「この近くで強大な魔力を感知して、その術者を探してるって。何のことかわからなかったんだけど、さっきの話の、かまいたちを倒したエニシの魔術のことでしょう、きっと」

「我々魔法省は、常に優秀な人材を求め、国内の魔術師を登録し、国の発展に寄与しています。が、同時に、魔術師ではない人たちが安心に暮らせるよう、適切に管理もしなければなりません」

 ミナの説明でも足りないと思ったのか、ヒルコが今度は話を受け取った。

「そのため、私共は常にこの国の魔力を観測できる衛星を宙に放っております。魔術は自然の魔の力を借りるため、一度なら自然現象かもしれませんので注意が、二度以上続くと、警告が魔法省に連絡がいくようになっています」

「それで、術者を探しに、ここに来たってこと?」

「その通りです。お話から察するに、そのかまいたちも相当の魔力を有するのでしょう。最初はそれを感知していましたが、それ以上のものが発せられたので、慌てて飛んできた、ということですね」

 何故か拭い去れない不信感に疑り深い目を向けながら、エニシは一歩身を引いた。

 それに、ずいと歩を進め、ヒルコが迫ってくる。

「キズナ・エニシ。君の力はこの国を脅威から守り、君の術はこの国に生きる人々を救う可能性があります。それを、私たちと探求しませんか?」

 どんどん、顔を寄せてくる。

「他に何か質問はありませんか? 貴方の〝魔〟が国のためになる理由を十は述べることができますし、魔術専門学校へ通わない利益も――」

「知らないっ!」

 突如踵を返し、後ろのドアを開けると、エニシは外へと飛び出していった。先程のオトハと同じように、今度はエニシだ。

 その勢いに、迫っていた顔を元に戻したヒルコは、駆けてゆく後ろ姿を見ながら眼を細め、家の中に目を戻すと、口を歪めて舌なめずりをしてみせた。

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