Ⅲ
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「まあゆっくりしたまえ」
金髪の男が前の椅子を促すが、オトハはまだ気の進まない様子でじっとそれを眺めていた。
だがエニシは「はい!」と元気よく答えると、躊躇なくそれに腰を下ろした。
「素直でよろしい。君も、そんなところに立っていないで座ったらどうだい」
また勧められるが、おいそれと従うわけにもいかない。
あの後、気を失った傷だらけの白い獣に近づいたこの男は、オトハを呼んでこう告げた。
「この子に、〝凍冬〟をかけてやってくれるかい」
「〝凍冬〟、ですか……」
凍冬は、冬の寒さを閉じ込める、つまり物を凍らせる、固める魔術だと、オトハは理解している。
しかし、先程の解夏の件もある。オトハの知らない魔術の効能を、この男は知っているのかもしれない。オトハは、素直にこの男の言葉に従うことにした。
「ヤオロズ、凍冬」
すうと氷の結晶のような膜が獣を包む。と、みるみる内に獣が小さくなった。
「……!」
言葉を失っている間にもどんどんと縮小し、気づけばそこには暑さで倒れていたおこじょのような獣がいた。
「この子は……」
「解夏をかけただろう? その結果さ」
「でも、解夏は――」
「魔術は、一通りの使い方だけではない。場所、日時、使用者、受容者、用法、容量、様々な組み合わせで、現れる効能も違う、ということだよ」
真剣な表情で、獣に治癒魔術をかけてやっている。
「ま、今回に限っては、状況が特殊過ぎる上に、私のせいも多分にあるんだがね」
「え!?」
「ははは、まあ落ち着きたまえ。かなりの偶然が重ならないと起こらないことだ。私も君たちの話を聞きたい」
笑いながら、向こうに目をやった。杖を向け、ひょい、と上げる。
「君も来るだろう?」
にこやかなままのエニシを宙に浮かせると、オトハの手を取り、言った。
「我が家へ、ご招待しよう」
そうして、連れて来られたのがこの部屋だ。
着いた直後、魔術が解けて床に顔面から落ちたことでエニシも気がつき、起き抜けに椅子を勧められ、すぐさま座った、という流れだった。
窓から明るい光が差し込んでいて、そこから見える景色は、ヤシの木にツタ、湖に飛ぶは極彩色の蝶、と南国と見紛うかのようだ。
「お茶でも飲むかい?」
どこからか現れたトレイにティーカップが三つ載っている。ティーポッドがそれに続き、湯気を立てた紅茶を注ぐ。それを待ちながら、オトハは正面に座る男を改めて眺めていた。
顎のラインが端正で、金の長髪が窓からの陽を受けて透けながらも煌めいている。涼やかな目は静けさを湛え、その気品は身を包む質素な白色のローブを高級ブランドの一級品のようにすら見せている。
「ははは、そこまで警戒することはない。ちょっと、お招きして我が家に遊びに来てもらっただけだ。悪いようにはしないよ」
目の前のテーブルに茶器をセットし、男が率先して口を付けた。
「あの、ここは……?」
「色々疑問は尽きないだろうし質問もあるだろう。だがまあ、まずは一杯飲んで落ち着きなさい」
オトハは戸惑いながらも、どこか抗うことのできないこの男の言葉に、遂に従うように腰を下ろした。
しかし、まだカップは手にできないでいる。
「どうしたね?」
自分の分だけ手にもっていた男が、優雅に香りを嗅ぎ、目を瞑った。
「……すみません、これに薬や毒が入っているかもしれない可能性がある以上、気軽に飲むわけにはいきません」
オトハが、意を決したように顔を上げ、言った。
ここで断ることがどのようなことかは、わかっている。この地に強制的に連れてこられたわけだから、ここは彼の支配下であり、従わない場合何をされるかわかったものではない。それでも、迂闊に口にするには、憚られた。
「なるほど、そりゃそうだ。見知らぬ人に、いきなり変なところに連れてこられてそんなこと言われてもなあ」
おかしそうに哄笑し、カップを机に置いて、男はふたりをじっと見た。
「だが、零点だ」
その口元は、既に笑っていない。
「君たちは、ここに足を踏み入れた時点で私の支配下の空間にいることを認識しなくてはならない。それは、わかっているはずだ。では、そして、君たちは、何だ? そして、私はなんだと思う?」
その口調は相変わらず優しかったが、問いは厳しいものだった。問い掛けられたオトハが、悔し気に口を引き結ぶ。
「私たちは、魔術師です。そして、あなたも、そう」
「そうだな。ということは、君たちがここに連れてこられたのは?」
「……魔術、です」
「うん、そうなるだろう。で?」
「つまり、この部屋も何らかの魔術がかけられていることを想定しなければならず、飲み物を警戒する前にもっとするべきことはある、ということかと……」
「その通りだね。君は、なかなか賢い。その知性を活かして、一時の思い込みや直情で動かないことだ」
優雅にカップを傾けながら、金髪の男は諭すように言う。
この部屋がそうかはわからないが、彼らは間違いなくこの男の魔術によってここに連れてこられた。
ということは、この紅茶に何かを仕込むよりも、その時点で何かの魔術――それは操るものか、毒か、はたまた精神に作用するものかわからないが――を掛けるほうが手っ取り早い、ということだ。また、移動時でなくとも、この部屋に魔術がかけられているとしたら、いくら紅茶を警戒しようが意味がない。
男は、そう言いたかったのであり、遅まきながらそれにオトハが気付いた、ということであった。
一方、何も言葉を発しないエニシはどうであろう。
彼は、席に着いて最初は笑顔でとにかく首を回して周囲を興味深そうに観察していたが、ソファに座ってからは一点、紅茶の水面だけを見つめていた。
ふたりのやり取りが終わったことも気づかないのか、ただじっと固まっている。
「そこの君は、どうした?」
問われたエニシは、だがまだ固まったままだ。
少し目を細めた金髪魔術師だったが、気を取り直したように立ち上がると、両手を広げ、自らの部屋をふたりに開陳した。
「まあ、そう固くなることはない。本当に、純粋に招待したんだよ。この私の部屋に来た人間は、そう多くない。どうだね? すべて私の魔法だ」
「えっ!」
オトハが思わず腰を上げ、そうしてから天井までくまなく見まわし、放心したように座り込んだ。
「そんな……」
「ふふふ、これが魔法の素晴らしさだよ。何だね、こういう久しぶりの反応も悪くないものだねえ」
「やっぱり……」
悦に入った金髪の前に、聞き捨てならない呟きが流れた。視線を、下に移す。
意固地を絵にしたような少年が、いつの間にか顔を上げ、意思の堅さを煌めかせた眼差しを送ってくる。
「どういうことだね?」
「オジサンは、魔導士だね?」
「えええ⁉」
オトハが、先ほどとは比べ物にならないほど驚きの声を発した。
それもそのはず、この世に生きる魔術師にとって、魔導士とは彼らの始祖であり、現代には世界に五名しかいない存在なのだ。プロを目指すものにとって、憧れ以上といっても過言ではないだろう。
しかしプロを目指していないエニシにとっては、尊敬はすれど、崇拝をするには値しないようだ。
確信に満ちた目で、しかし物おじせず金髪の魔導士(疑い)を見つめる。
「何故、そう思った?」
「魔術師が魔術を使うにはそもそも詠唱が必要なのに、オジサンが一度も唱えてない。それに、僕たちが使うのは魔術だけど、魔導師が使うものは〝魔法〟でしょう? オジサンは、確かに魔法と呼んだ」
魔術師は、魔導師が術として体系化したものを使用するが、魔導師は自らが導いた魔をそのまま法として使う。故に、同じ効果でも、使用者によって呼び方が違うのだ。
エニシが、紅茶から目を切り、顔を上げ、言った。
「オジサンが魔導師なのと、僕が急に魔術を使えるようになったこと、ひいては今まで使えなかったことは、関係があるの?」
金髪が、目を細め、少し頬を緩めた。先程もこの表情を見せたが、どうも嬉しい時にするものらしい。
「お見事!」
手を広げると、カップが宙に浮き、中身が飛び出した。
「きゃあ!」
零れるかと思ったが、それは宙で留まり、球となって浮かんでいる。
そして彼が動くに合わせて、部屋の本や椅子、外の木や部屋の壁がうねり、ふたりを翻弄した。
「うわあ!」
「久方ぶりの客人だ。思う存分もてなさせてもらうぞ!」
ぐにゃり、と壁が歪むと、外との境界が曖昧になり、同時に金髪が空へと飛んだ。その流れるような金色の髪を流星のようになびかせて、上へ、上へと飛んでいく。ふたりはそれに引っ張られるように、後ろを飛んでいた。
「さあて、どこへ行こう? 何を見せよう? 何が見たい?」
宙に留まり、金髪に聞かれるが、ようやく追いついたふたりには、何が何だかわからない。ただ目を回していると、それをどう取られたのか、金髪は笑って身を翻した。
「遠慮はいらない! それじゃあ、まずは私のおすすめを見せるとしよう!」
そう言って、今度は急降下する。
引き連れられる先に、海があった。そのまま、海面に突っ込む。この勢いで飛び込んだら相当な痛さだし、息も持たない。ふたりは恐怖に顔を引き攣らせるが、動きを止めることはできず、目をつぶった。
「……!」
しかし、想像とは逆に目が開けられ、海水が入ってくることもない。息もできるし、痛みもなかった。
金髪は更に深海へと潜っていく。それに続くと、見たこともないような大きな魚や烏賊、貝、イソギンチャクなどとすれ違う。
驚いて目を丸くしていると、また上昇した。
海面を勢いよく飛び出し、今度は空へ。
「うわあ」
オトハが、思わず声を上げる。赤、青、黄色、極彩色の鳥が周囲を飛び回っているのだ。
そして更に空へ。三人は大気圏を抜け、星々の瞬く宇宙へと飛び出した。
「綺麗……」
うっとりと見惚れれるオトハを余所に、エニシは金髪にただただ称賛の目を向けている。
「どうだね。初めて見る世界の姿は? そして、初めて見る本物の〝魔法〟は」
エニシは、魔法どころか、魔術にすら触れることができなかった。ただ、父がたまに畑仕事で使う魔術を傍目に眺めていただけだ。その中でも、お気に入りの〝エイス・ワイス・トラルド〟の〝クラッセル・セブンス〟だけを、頭の中でどう使うかこねくり回しながら遊んでいた。
それがどうだ。今や〝魔法〟に触れている。
今彼は、何を思うのか。
「……オジサンは、エイス・ワイス・トラルド?」
唐突のエニシの呟きに、オトハが大袈裟に眉根を寄せる。
「何を言ってるの? どうして最古の魔導士がここにいるのよ。頭おかしくなった? とっくのとうに死んで、今いる魔導師は五芒星。レッド・ソレイユ、エレナ・パーカー、ヘレス・ナヴァス、ケイン・マッカーシー、ヤシン・ハキームの五人でしょ。この魔法から見て、あなたはナヴァス?」
金髪は笑いながらその優美な顔を横に振った。結果、美しい金の髪も左右に振れ、空に瞬く星の如く輝く。
「いいかい、私は、断じてオジサンなどではない」
「……へ?」
「いつ訂正しようかと思っていたが、私にとって年齢などとうに捨てたものだ。この姿を見て感じるままに呼びなさい」
「は、はい……」
その若々しい体つきとプロポーションは、確かにオジサンと呼ぶには早過ぎるだろう。しかし、少年少女にとっては、そう呼んでも差し支えのないところではあるはずだった。
「そして、名が無いと不便だというのなら、教えよう。我が名は、エイス・ワイス・トラルド、君らの言う古の七賢者のひとりだ」
急な自己紹介に、ふたりの脳内は付いていけていないようだった。呆けたように、じっとトラルドと名乗った金髪を眺めている。
やがて、金縛りが解けたように、オトハがまず素っ頓狂な声を上げた。
「ええー⁉ いやいやいや、嘘でしょう? どうして生きてるの? 嘘よ。エニシの推測が正解? どうして? エニシはどうしてそんな突拍子もないことを思いついたの?」
「感じる〝魔〟が、一緒だった」
簡潔に言ったその答えが、彼の興味をそそるものだったのか、エイス・ワイス・トラルドを名乗った長い金髪の男は、エニシに対し、例の目を細める仕草をして、訊ねた。
「少年、感じる〝魔〟とは何だね?」
「僕は、これまで〝魔〟を使わないできました。だから、魔術を使ってみて初めて感じるものは、魔術によるものだと思うんです。その中で、初めて魔術を使ったとき、体に流れてくるものがあった。それが、今ここで感じるものと、同じなんです」
「うん、素晴らしいな。魔に触れなかった故の感受性の機敏さもあるだろうが、ご両親の教育の賜物だ」
トラルドは、エニシの頭を撫で、指を鳴らした。
瞬時に、元の部屋に戻る。
トラルドは自らの椅子に、ふたりはソファに降り立った。
「その力を感じ、その魔法を詠唱無しで使っているから、私をエイス・ワイス・トラルドだと、結論付けたわけだ」
「どんなにあり得なくても、状況と証拠がそう語っているなら、間違っているのは僕らの認識だと思うんです」
それは、ワイン作りにも共通することだった。自分たちの育て方が幾ら間違っていないと思っても、自然に現れる葡萄やワインの味が違う、と言っているなら、それはどこかに誤りがあるのだ。
「その通り。君の柔軟な考え方も、好みだ。悪くない」
言いながら、トラルドは立ち上がり、ふたりを省みた。
「さて、では私の正体も明かしたところで、改めて君たちに聞こう。君たちは、一体何者だ?」
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