第28話 順序数 ノイマンの定義

二人は近くの小さな公園を手をつないで歩く。


「いい天気だね」

「本当に」

「このまえ、"論理式は、普段通る道に咲いている花を探すようなもの"って藍が言ってたよね」

「そうだっけ?」

「いま、改めて藍の手を感じてると、少し不思議な気分になるよ」

「どう?」

「まずは温度。指先の形。手のひらの質感、どれをとっても自分とは違うし、藍のものだなって感じる」

「それは論理式のおかげ?」

「いや、論理式を通じて知ることができた藍の新たな側面のおかげ」

「それなら良かった。私はあまり数学の言葉を日常に使うのが好きではないんだ。なんでだろうね。数学的な議論は比喩には向かないと思う」

「でも、数学って、全く違うことが似た姿…あるいは同じ姿を見せることがあるよね。"停止する数列"と"無限小数"とか、"自然数全体"と"ω"とか…」

「似てる対象が"どのように"似ているのかをしっかり述べるのが数学だからね。漠然とこれは似てるなあ、と思うのはもちろん研究の重要な動機だけど、実際に論理で似ているを定義して、"どのように"同じ振る舞いをしているのかを調べてはじめて数学になる」

「さっきから"どのように"を強調してるのはなんで?」

「"なぜ"と問うと、先に進みづらいから。でも、"なぜ"と問うのは振り返るのには大切だね」

「あんまり良くわからない」

「厳密な話ではないからね」


二人はベンチに腰掛ける。


「いま、整列集合に対して順序数を定義した。別の順序数の定義を紹介しよう」

「定義が二つあるの?」

「そうともいうね。こちらは、"順序数全体"について述べるのに便利だ」

藍はノートを取り出して書く。


ノイマンの定義


αが順序数である:↔

αが推移的集合であり、かつ、∈において整列集合である


「あれ?これだけ?」

「そう。これだけ」

「わからない言葉が、"推移的集合"だけなんだけど、これは難しい言葉?」

「そんなに難しくないよ。"推移的集合"の定義はこう」


集合Sが推移的集合:↔

∀x,y((y∈x∧x∈S)→y∈S)


「え?これだけ?」

「そう、これだけ。簡単でしょ」

「"推移的"ってどこかで聞いたことある。推移律だっけ」

「そうだね。順序"小なり"には推移律がある」

藍はノートに書く。


∀x,y,z((x<y∧y<z)→x<z)


「そっくりだね。全く同じ…、かな」

「量化の範囲が違うけど、まあほとんど同じだね」

「推移的集合の例はある?」

「順序数は推移的集合だから、順序数を例にしよう」


4={0,1,2,3}


「好きな要素を1つ取ってきてみて」

「うん。じゃあ例えば2」

藍はノートに書く


2={0,1}


「この要素は全部4に入ってる?」

「4の要素は0と1と2と3だから入ってるよ。推移的集合じゃない例って何があるだろう」

「推移的集合は結構厳しい条件だから、適当に作れば推移的集合じゃなくなりそうだね。たとえばこれ」


{0,2,3}


「確認してみるね。この集合の要素2について調べてみると…」


2={0,1}


「この要素1が{0,2,3}に属してないから、推移的集合ではないってことだね」

「そういうこと。では、推移的集合の性質を一つ」


αが推移的集合ならば

α∪{α}

も推移的集合である


「これは藍が+1の定義って言っていたやつだね」

湾は少し呼吸をおいてから続ける。


「推移的集合の定義はこれだから…」

湾はノートを確認する。


∀x,y((y∈x∧x∈S)→y∈S)


「この命題はこう直せるね」


∀α(∀x,y((y∈x∧x∈α)→y∈α)→∀z,w((w∈z∧z∈α∪{α})→w∈α∪{α})


「うーん、長くなってしまった」

「論理式に直す湾の態度は立派だけど、今回は日本語を借りてさらっと証明しよう」


αは推移的集合なので、


∀x,y((y∈x∧x∈α)→y∈α)


は成り立つ。よって、


∀x,y((y∈x∧x∈α)→y∈α∪{α})


もなりたつ。なぜなら、


∀x,y((y∈x∧x∈α)→y∈α∪{α})

∀x,y((y∈x∧x∈α)→(y∈α∨y∈{α}))

∀x,y(((y∈x∧x∈α)→(y∈α))∨((y∈x∧x∈α)→y∈{α})))


ここで、∨の左側が仮定により成り立っている


「ちょっと長いよ」

「簡単にいうと、αの要素の要素がαに属してるなら、αにαを加えた集合にももちろん属してるよね、ってこと」


湾は沈黙して、ノートをもう一度確認する。


「αにαを加える?」

「集合αに、要素としてαを加えたのが、この式だから」

藍は式を指さす。


α∪{α}


「なるほど、αに属してるなら、αと{α}の和集合にも属してるってことね」

「その通り。そして…」


∀x,y((y∈x∧x∈{α})→y∈α∪{α})

も成り立つ。なぜなら


∀x,y((y∈x∧x∈{α})→y∈α∪{α})

∀y((y∈α)→y∈α∪{α})

∀y((y∈α→y∈α)∨(y∈α→y∈{α})))


ここで∨の左側が恒真


「えっとこれは…」

湾は混乱している。

「簡単に言うと、αと{α}の和集合にはαの要素も当然属してる、ということ」

「恒真ってなに?」

「どんな代入をしても成り立つこと。今回はφならばφの形をしているので常に成り立つ」

藍は式を指さす。


(y∈α→y∈α)


「なるほど…厄介だけど、とにかくこれが示せたね」

湾はノートのページを戻した。


αが推移的集合ならば

α∪{α}

も推移的集合である


「そうだ。よし。そして、次も示そう」


αが推移的集合で∈に対して整列集合ならば

α∪{α}

も∈に対して整列集合である


「整列集合は、任意の部分集合が最小元を持つ、だったね」

「そう。湾は私が教えていないことに対しても記憶力が良い」

「えっ、棘のある言い方」

「気にしないで。さて、この命題も簡単」


αの部分集合は全て最小元を持つので、

αの部分集合Aと{α}の和集合

A∪{α}

だけ考えればよい。Aはαの部分集合なので最小元を持ち、それをmとする。

αは推移的集合なので、

∀x∈A(x∈α)

を満たす。よって、

m∈α

であるので、結局

A∪{α}

の最小元もmである。


湾はゆっくり読む。

「難しいこと言ってるけど、結局、最小元を持つ部分集合に一個くらい要素を足しても最小元を持つってことだよね」

「その理解はここでの証明とは少し違うけど正しい」

「少し違うっていうのは、足した要素が最大元…この言い方でいいのかな…ってところだね」

「完璧。これで、αが順序数ならα∪{α}も順序数であることがわかった。ここでノイマンの定義による順序数の後続数を定義する」


αが順序数ならば、α∪{α}も順序数である。

このとき、記号+1を

α+1:=

α∪{α}

と定義し、αの後続順序数という。


「本当に後続って呼ぶのに相応しいかどうかは疑問が残るけど、この定義はOKだよ」

湾は少し考える。


「ってことは、ω+1も順序数ってことか」

「その通り。どんな要素を持つだろう?」

「定義から考えれば簡単だね」


ω+1=ω∪{ω}

={0,1,2,...,ω}


「その通り」

「ってことはこれにも、後続順序数があってω+2もあるわけだ!」

「+2ってなに?」

藍は冷たく言う。


湾はこの冷たさを、久しぶりだなと思う。


「あ、ごめん、ω+1+1のこと」

「式で書けばこう」


(ω+1)+1


「もちろん、これは後々ω+2と書くことにするけど、順序数の和の定義は少々難しいし、それに…」

藍は躊躇うように時間を取る。


「和の性質も直感に逆らう。ずっとここに留まるのも変だから、そろそろ歩き始めようか」

「うん」


二人は少し痺れた足を振って歩き始めた。

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