第12話 ε-N論法 具体例
「どう?ε-N論法は」
「うーん、藍はおめでとう、と言うけど…、まだそこまでの感動が得られてないんだよね」
「それはそうだよ。ε-N論法は一晩で使いこなせるようになるまで理解できるようなものじゃないからね」
「もう少し具体例で計算してみたいな」
「もちろん。その前に聞いておきたいんだけど、どこが難しかった?」
藍はノートからε-N論法の箇所を探す。ノートもそろそろ終わりを告げようとしている。
数列{aₙ}が収束するとは次の論理式を満たすr∈ℝが存在することをいい、このときのrを極限という。
∀ε>0,∃N∈ℕ,∀m∈ℕ(m>N→|r-aₘ|<ε)
これを
lim[n→∞]aₙ=r
と書く
「えっとね、たぶんなんだけど、"全て"と"存在"が入り乱れてるところだと思う」
「そうだね、それがε-N論法の難しいところだ。そして、たぶんだけど、Nの存在を確かめたいと言っているのに、そのNの条件がなかなか出てこないところも難しい所以かな」
「そうそう、それだ。すべてのε、Nが存在、とか言って、よし、じゃあ確かめるぞ、と思っていると、新しい文字mが出てきて、随分昔に日本語で書いてたrだの数列だのがでてきて、めちゃくちゃ混乱する」
「じゃあ、実際使われている文字を全部並べてみようか。自然数のℕとか実数のℝとかは除いて」
aₙ
r
ε
N
m
「この5つだ」
「あれ?意外と少ないような気もするね」
「そう、そして、それぞれに与えられた役割がある」
aₙ 極限を考えている数列の本体
r 数列の極限
ε 極限と数列の誤差。いくらでも小さくできる
N 数列の項の何番目かを表し、いくらでも大きくできる
m 数列の項の何番目かを表し、Nより大きい数列の項全部
「そして、決まっていく順番は次の通りだ」
aₙ(数列)が決まるとr(極限)が決まって欲しい。
ただしrが存在するかどうかは論理式
∀ε>0,∃N∈ℕ,∀m∈ℕ(m>N→|r-aₘ|<ε)
が成立するかどうかによる。
rを適当に決めてみて成立するかどうか確かめる。
そして、ε(許容誤差)は正の実数でなければならない範囲で適当に決めてみる。
何を選んでも成立しなければいけない。
ε(許容誤差)が決まるとN(数列の項)が決まって欲しい。
ただしNが存在するかどうかは、rとaₙがすでに決まった論理式
∀m∈ℕ(m>N→|r-aₘ|<ε)
が成立するかどうかによる。
ここまででaₙ(数列)、r(極限)、ε(許容誤差)、N(数列の項)が決まったので、m(Nより後の項)を決めると、
m>N
が成立しているかどうかを確かめられて、
|r-aₘ|<ε
が成り立つかどうかが判定できる。これは、r(極限)とaₘ(N番め以降の項)との誤差がε(許容誤差)よりも小さければ成り立つことを意味する。
「いくら説明しても難しいものは難しいので、次の数列{aₙ}の極限を考えよう」
a₀=0
a₁=0.9
a₂=0.99
a₃=0.999
a₄=0.9999
…
「これは、0の後にn個9を並べたものだね」
「その通り。もっと厳密に書くならこうだ」
aₙ=1-0.1ⁿ
「ええと、
n=0なら、1-1=0
n=1なら、1-0.1=0.9
n=2なら、1-0.01=0.99
大丈夫そう」
「よし、ではこれにε-N論法を使って極限を考えよう。まず、これは何に収束すると思う?」
「まあ、見た感じ1だよね。見た感じで決めていいのか知らないけど」
「見た感じで決めていいよ。もしε-N論法が成り立てばそれでOKで、成り立たなければ別の値を考えればいいだけ」
「わかった。じゃあ1にしてみよう」
「極限が1ってことは、どこが1になる?」
数列{aₙ}が収束するとは次の論理式を満たすr∈ℝが存在することをいい、このときのrを極限という。
∀ε>0,∃N∈ℕ,∀m∈ℕ(m>N→|r-aₘ|<ε)
「極限はrだから、rが1だね」
「そう。数列が決まったらrが決まるってこんな感じだ。ただここでは勘で決めるしかないけど。間違っていたら別のrを探せばいい。ないかもしれない」
「まあ、今回はr=1になりそうだからあんまり心配してないよ」
「よし。じゃあ、全てのεで式が成り立ってほしいわけだけど、どんなεを選んでみようか」
「なるべく小さいほうが良いんだっけ」
「そうだね、εは許容誤差だから、これが大きいとNを選ぶのは簡単になる。逆に小さければNを選ぶのは難しい。小さめのεを選んでみよう」
「じゃあ、たとえば、0.0006とかはどう?」
「いいね。よし。じゃあε=0.0006で考える。そうすると、Nが決まる」
「ここも勘で決めていいの?」
「別に構わない。勘で決めたNで
∀m∈ℕ(m>N→|r-aₘ|<ε)
この式を成立させられれば問題ない」
「じゃあN=2とかどう?」
「成立しないと思うけど、一応それで確かめてみようか。
mはNより大きい全ての自然数だから、たとえば、5と3で調べてみよう」
「わかった。これで、5つの文字が全部決まったから、そのまま不等式にできるね」
aₙ=1-0.1ⁿ
r=1
ε=0.0006
N=2
m=5
m>N→|r-aₘ|<ε
「これに代入していくと」
5>2
「これはOK。前提が成り立つから"ならば"の右側を調べる」
|r-aₘ|<ε
に代入すると、
|1-a₅|<0.0006
これを計算すると
|1-0.99999|<0.0006
0.00001<0.0006
「これは正しいね」
「よし、このときは正しい。m=3のときはどうだろう」
aₙ=1-0.1ⁿ
r=1
ε=0.0006
N=2
m=3
m>N
はOK
|r-aₘ|<ε
に代入すると、
|1-a₃|<0.0006
|1-0.999|<0.0006
0.001<0.0006
「あ、成り立たないね」
「そう。適当にN=2を選んだら成り立たないm=3が存在してしまった。でも、全てのmで成り立たないいけないから、N=2ではいけなかったんだ」
「でも、m>3なら成り立ちそうだから、N=3にすれば良いかな」
「そういうことだね。
ε=0.0006のときは、N=3が存在するので成り立つ。めちゃくちゃ小さいε、たとえば」
ε=0.000…(100個の0)…03
「こういうεを選んだらどうだろう?」
「なるほど、rとaₘの差をものすごく小さくしなきゃいけないのか。でもそんなに難しくないよね。m=101なら」
a₁₀₁=0.999…(101個の9)…9
「1との差はε未満になりそう」
「そういうこと。mが101以上であれば良いので、Nとしては」
藍は湾に目線を送る。
「100を選べばいいね」
「完璧。では、どんなεを選んでもNは存在するといえる?」
「言える。εの小数点の0の個数をそのままNにすれば良さそう」
「完璧。論理式に戻ろう」
∀ε>0,∃N∈ℕ,∀m∈ℕ(m>N→|1-aₘ|<ε)
「これはrに1を代入したもの。これが成立するということは?」
湾はノートに書く。
数列{aₙ}:aₙ=1-0.1ⁿ
の極限は1であり、
lim[n→∞]aₙ=1
「その通り。では、さっき、といっても随分前に出てきた数列を思い出そう」
{aₙ}:nが平方数のときに10、そうでないときに0.1ⁿという数列
a₀=10
a₁=10
a₂=0.01
a₃=0.001
a₄=10
a₅=0.00001
a₆=0.000001
a₇=0.0000001
a₈=0.00000001
a₉=10
a₁₀=0.0000000001
a₁₁=0.00000000001
…
「これは収束するだろうか」
「収束するとしたら、極限は0っぽいね。r=0で確かめるよ」
「その調子」
湾はノートに論理式を書く
∀ε>0,∃N∈ℕ,∀m∈ℕ(m>N→|0-aₘ|<ε)
「あれ、改めて自分で書くとなんかわかりやすくなってる気がする」
「そういうものだよ、楽しいでしょ」
「うん。とりあえずεを0.03にしてみよう」
∃N∈ℕ,∀m∈ℕ(m>N→|0-aₘ|<0.03)
「このときにNが1個以上あればいい…えっと安全のためにN=5とかにしてみようかな」
「いいね」
∀m∈ℕ(m>5→|0-aₘ|<0.03)
「ここでは、5より大きいm全てでカッコの中が成り立ってなきゃいけない」
「いいぞいいぞ」
「たとえばm=6と、平方数のとき怪しそうだからm=9で調べてみようかな」
「最高」
「"ならば"の左はOKだから、右だけ調べると」
|0-aₘ|<0.03
m=6を代入すると
|0-a₆|<0.03
|0-0.000001|<0.03
0.000001<0.03
「これはOKだがまだ安心できない…ってことだよね」
「その調子」
m=9を代入すると
|0-a₉|<0.03
|0-10|<0.03
10<0.03
「あ、成立たない」
「その通りだ。N=5のとり方が悪かったのかな?」
「いや、Nをいくら大きくしても、Nより大きい平方数をmにすると10になるから成立たないね」
「ということは?」
「成立たないε=0.03が存在した。だから、論理式は成立たなかった」
「ということは!」
「この数列は収束しない」
「そうだけど、もう少し厳密に。今まで書いてきたことを思い出して」
「え?これ以上厳密になるっけ?」
「今調べたのはr=0だけ」
「ああ、この数列の極限は0ではない」
「その通り」
「でも、0でなかったら、たとえば3とかだったらどんどん数列は離れていくし、10だとしても数列のほとんどの項は0付近にいるから他の極限の候補ないよね」
「そう、そこまで考えて初めて宣言しよう。収束しないときの言葉を是非使って」
「え…と、なんだっけ」
「ゆっくり調べていいからね」
湾はノートを見直す。
収束しないとき、数列{aₙ}は発散するという
「この数列は発散する!」
「その通りだ!どう?湾、ε-N論法、わかった気がする?」
「うん、明日になったら忘れてそうで怖いけど」
湾は少し考えてから言葉を繋いだ。
「ε-N論法みたいな論理式、自分でも書いてみたい」
藍は驚いた顔をする。
「たとえば、
0
1
6
6
6
…
とある項から先は全部同じ数になる数列に名前をつけて、論理式で書けないかな、とか」
「湾…その発想はいま思い付いたの?」
「うん。だって、目的はε-N論法を知ることじゃなくて、論理式を使えるようになること、でしょ?だったら、ε-N論法を使えるようになることよりも、ε-N論法を応用した新しい論理式を考えることの方が今の目的にかなってるよね」
「私、湾のこと大好きだ。このまま無限小数について考えようと思ったけど、それは後回しにして、こっちを考えよう」
藍は至極満足げに新しいノートを本棚から取り出してきた。
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