第5話 または、かつ

「ん…」

しばし意識が飛んでいたようだ。気付いたときは夜中の1時ちょうど。明日の予定は午前11時だから…、まだ余裕だ。

「ね、起きてる?」

湾は藍に問いかける。

うっすらと寝息が聞こえる。しかし、この体勢のままでは起き上がれないから、起こすしかない。

「え…っと、いま何時?」

寝ぼけた声で返事がきた。

「1時」

「あ、意外とまだ遅くないね。少なくとも歯磨きしたい…できればお風呂も。お風呂入れるの少し面倒だな」

「いいよ、やるよ」

湾は重い身体を持ち上げて、風呂場へ向かった。


二部屋の洋室アパート。藍は一人暮らしをずっと続けている。書籍が多い。

絨毯を敷いてちゃぶ台があるリビングと、寝室の二部屋だ。仕事用のデスクがリビングにある。それなりに良い環境である。


藍もふらふらと湾の後を追って浴室に向かう。

風呂を軽く流して、お湯を張ろうとしているところだ。

「AまたはBと言ったとき、AとB両方やったらどう思う?」

藍は寝ぼけた声で湾に聞く。

「まあ、普通は片方だけって思うよね。まあ、場合によるんじゃない?カレーまたはラーメン食べたいって言ったときに両方出てきたら少し困るけど、コートまたは靴買って欲しいって言って両方もらえたら嬉しいな」

「厳密にしたい?」

「どういうこと?」

「曖昧なのは嫌いでしょ。厳密にしよう」

「どうするの?」

「AまたはBをまず式にしよう。お湯張ってる間、ノート使おう」

お湯を張る音が浴室に響く。

「AまたはBを次のように書く」


(A)∨(B)


「そして、AかつBを次のように書く」


(A)∧(B)


「カッコはしばしば省略される。そして、この二つの記号は論理結合子と呼ぶ。AとBはどちらも論理式が入る…でも今は論理式をたくさんは知らないから、日本語を使って例を書いてみよう」


(xは2の倍数)∨(xは3の倍数)


「このとき、どちらか、あるいは両方の条件を満たしていれば成立するのがこの式の意味だ。この時xがなんだったら成立するか、わかる?」

「xは2の倍数、または、xは3の倍数ってことだね

1はダメ。2の倍数でも3の倍数でもない

2はOK。2の倍数だ。

3もOK。3の倍数だ。

4もOK。2の倍数だ。

5はダメ。2の倍数でも3の倍数でもない。

6はOK。2の倍数だ。3の倍数でもあるけど。

xは、2,3,4,6,…だね」

「そういうこと。じゃあ、"かつ"はどうだろう」

藍はノートにすらすらと書く。


(xは2の倍数)∧(xは3の倍数)


「これは、両方の条件を満たしているときのみ成立する。xがどういうときに成立するだろう?」

「xが1のときはダメ。どちらも満たしていない

2のときは、左側はOKだけど右側がだめだ。

両方満たせるのは6の倍数のときだけだね。x=6とか、x=12とか」

「そういうこと。"または"と"かつ"は記号が似ているけど、こんなイメージでいいんじゃない?


∨は、コップに見立てて、両方とも入れちゃっていい。

∧は足に見立てて、両方に立ってなきゃいけない…


わかりづらいか」

「わかりづらいね…まあ、練習すれば慣れるかも」

「うん。この二つの記号は、否定の記号(¬)と合わせて、次のようなルールがある」


¬((A)∧(B))↔(¬(A))∨(¬(B))

¬((A)∨(B))↔(¬(A))∧(¬(B))


「これは否定の記号を論理結合子全体から左右に入れ込んだり、左右から全体にまとめたりするときに、"または"と"かつ"がひっくり返ることを意味している。これをド・モルガンの法則という」

「なんでひっくり返るの?」

「そういうものだから」

「そういうもの…って言われても」

「仕方ない。これは理由なくそう決められただけだ。でも意味を考えるとわかるかもしれない。例えば…」

藍はノートに以下のように書く。


¬(xは2の倍数)∧¬(xは3の倍数)

ただしxは正整数とする


「これはどうなる?申し訳ないけど、カッコは一部省略した」

「左側はxは2の倍数ではない、だから、xは奇数だね。右側は、xは3の倍数ではない、だから、xは1,2,4,5,7,8,…だね」

「その通り。それで、この記号は何だっけ?」

藍は∧を指さす。

「えっと…」

湾はノートを見直す。ビーーと浴室から音が鳴ってお湯の音が止む。

「かつ、だから、両方成立していないといけないわけだ。だから、

xは奇数

xは1,2,4,5,7,8,…

両方成立しているのは、xは1,5,7,…のときだね」

「その通り。じゃあ、ド・モルガンの法則を使って書き直してみて」


¬(xは2の倍数)∧¬(xは3の倍数)


「これは両方に否定の記号がついてるから、これを二つにまとめると、"かつ"と"または"がひっくり返るんだっけ」

「そう」

「じゃあこうだね」

湾はノートに次のように書いた。


¬((xは2の倍数)∨(xは3の倍数))


「その通り。ところで、


(xは2の倍数)∨(xは3の倍数)


はさっきやったよね。なんだったっけ?」

「xは2の倍数またはxは3の倍数だから、xは2,3,4,6,8,…だ」

「ちょうど、x=1,5,7,…の否定になってない?」

「そうだね。なんかこれ、高校生のとき数学でやったような気がする。でも使った記号は、


∪と∩


の二つだったような」

「そうだな、今は論理式に"または"と"かつ"を入れたけど、集合の要素に対しても同じようなことができる。でも…、もうお風呂湧いたみたいだから、さっさと入ろうか」

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