1.Decisioning

1-1 蒼い朝 黒い朝


「…朝か。」

 染み付いた学生の習慣が、ピッタリ6時半に目を覚まさせる。一つ伸びをし、カーテンをあけ窓の外を眺める。居室として一人一部屋割り振られた日当たりのいい部屋からは城下にほど近い場所に広がる市場が一望できる。窓を開けると、遠く離れてなお活気溢れるせりの声が小鳥のさえずりと共に届いてくる。

 毎朝思い出す、小学校の頃職場体験で行った市場の風景。同じように響く、野太い声。当時の担任のばあさんよりもよっぽど通る声で一つ一つ説明をしながら施設を解説する、名も顔も思い出せない人の良さそうなおじさん。友人と説明そっちのけで楽しんだ雑談。それを怒鳴りつけるばあさん担任。事後学習の新聞を書いてからは思い返すことなど一度もなかった、しかしやけに鮮明な記憶。中三になってこうして思い出に浸ることを知っていたら、あの頃もっときちんと見学していただろうかーー


「レイ様、お目覚めですか。」

 ノックと共に、取り留めのない思考を遮る控えめな声。

「…ああ、起きてるよ。おはようミアさん」

 声を返すと、音もなく空いたドアから早朝にも関わらず隙なくメイド服をまとった美人さんが、柔和な笑みと共にするりと入り込んでくる。


 ミナ・マレット。僕らに部屋と共に一人ずつ担当してもらっている侍女さんだ。あれからの二週間、リュークの言葉通りに始まったこの世界についての勉強や、その他の訓練を兼ねた剣や魔法の体験のスケジュールの管理をして貰っている。もうすることは無いと半ば感傷にひたっていた勉強がまたも必要になるとはなんとも皮肉なものだと思ったが、目前の金髪碧眼の絵に書いたような美人のメイドさんに教えてもらうのは悪い気はしない上に、教え方も公立校の下手な教師より余程うまかった。堅苦しく一線を引いている、ということも無く、一週間が過ぎた頃には軽い雑談にも応じてくれるようになり、今や敬語こそとれないものの、自らの訓練に多忙な委員長にかわり、同じ境遇の4人クラスメイト以外に話し相手となってくれる数少ない一人となった。ショウーー吉田栄一のところも美人さんでそれなりに仲良くなれたらしく、「入部して少し経ちやっと仲良くなれた美人の先輩マネさん」と例えていたのは言い得て妙だ。


「今日は王様との謁見会と祝福会がありますからね。きちんとおめかししてもらいますよ。」

 からかうような笑みと共に話しかけるミナさん。環境の変化に慣れるための配慮に二週間を置いた上で、勇者召喚を大々的に宣伝するための謁見会があり、今日がその日だ。


 ショウや他の女子とも、これを経たらもう後戻りはできない、ということでここから逃げようかとも少し話した。しかし、身一つで夜逃げしたところで匿ってもらう伝手などある訳もなく、リスクを冒してまで行動する決断はできずにいるまま、今日を迎えた。ここでの生活が劣悪なものならまだ、踏ん切りがついたかもしれない。しかし温かい三度の食事と手入れされた布団、他の面々とも適度に顔を合わせる機会があり美人のメイドさんに世話される日々は決して悪いものではなかった。訓練も大変ではあるが、男子の性とでも言うべきか剣を振るい初歩的とはいえ魔法を放つのは楽しく、女子も満更でもない様子だった。この世界に馴染んだのか、案外楽しいこの世界に満足したのか、召喚直後の負の感情に染った心は、この二週間で風通しがいくらか良くなったようだ。もっとも未練が無くなったかの答えは起床直後の思考が物語っているが。


「おめかしって…正装とかあるの?」

「基本的には紋入りの燕尾服となりますね。でもレイ様は紋は特にないとのことなので普通の燕尾服となります。レイ様がここに来た時着ていた服と同じようなものですし、気張らなくて大丈夫ですよ」

「ふーん西洋と東洋の文化が合わさったような…」

「ただ、夜会服は私が見繕っておいたので期待しといてくださいね!」

 再びいたずらっぽい笑み。何を着させられるのかと戦々恐々としながらもその無邪気な笑みに見惚れながら、しばし時を忘れ穏やかな朝を過ごした。

















「ーーフル・エンハンス」

 身体倍加、耐久倍加、瞬発倍加、知覚強化の神聖術を同時にかける短縮術式。急上昇する身体能力に纏う疾風の速度を乗せた、制御できる中での最高速。しかし相対する黒基調の服に手に持つサーベルも黒金作りの華奢な体は、に身を包みバフがないにも関わらず優に追いつく。


 急旋回、風を総べる黒刃が牙をむく。

「ッ!」

 迫り来る黒刃に寸でのところで自身の刃を割り込ませる。相手の艶消しの暗夜の刃とは対象的な、黄金の紋様が入った星空の黒刃。


 夜が奏でる剣戟に、赤い火花が舞い散る。瞬く間、三号合わせた白風とは一度距離を置く。

 「ッーーーー」

 声ならぬ息と共に、肺を空にする。空気と入れ替えに魔力が体を駆け巡る。

 着地した先、纏う風がそのままと化す。常時の苛烈な紅とはまた異なる、静かに万物を灰に返す無言の黒。

 目を向けた先、が迫り来る。千の時を経た不壊の氷河を思わせる硬い形を得た吹雪が全てを飲み凍てつかせんと大口を開く。

 剣を引く。左手は緩く的へ向け、右手を深く引き絞る、突きの構え。一呼吸の溜め。


 閃光。


 大地を切り付けるような異常に重い手応え。全力でを穿ち続けるを絶やさんと意識を集中する。

 しかし片や制限知らずの加護持ちの黒氷。片や付け焼き刃と言わざるを得ない未完成の非加護の黒炎。均衡は一瞬だった。

「ッ!」

 黒炎が途切れるや否や迫り来る黒氷。舌打ちと共に、自身の白氷をぶつける。


 


 同じ氷が氷を文字通り飲み込み、自身の糧とし白氷の主に迫る冗談のような光景。しかしより劣る氷の主はため息と共に己を容易く凌駕する氷を迎える。

 瞬く間に飲まれた体に次々と霜が降りる。体が重い。関節が完全に凍りつく気配。

 数秒もすれば指の一本も動かない氷像が出来上がっていた。



「はい、私の勝ちー!今日のミルクもあんたの奢りよ!」


 学校の体育館がそのまま4つは入りそうな広大な部屋が隅々まで零下の黒氷で覆われた地獄のような光景の中、場違いな明るい声が響いた。

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