0-5 違えた現実


「…んで、童貞の新米彼氏よろしくぎこちなく気を使って風呂に誘ったと。わざわざ許可までとって。初恋かお前は。」

「…はい。」

 事情を説明する委員長に、なかなか辛辣な言葉をかける加藤。教室では波風立てないタイプだった加藤だが、この世界での上下関係は決しているらしい。どこか角がとれたような気がする委員長が肩身を狭くしているのはどこか微笑ましい。実際助かったとフォローを入れようとも思ったが、2人とも非情にもこのなんとも言えない光景を観賞するのを取った。まぁ風呂という微妙なチョイスに思うところがなかった訳ではないが。

「…もしかして委員長の師って加藤なのか?」

「んーまぁそうなるな。んじゃ改めまして、この教会所属のリューク・イアンだ。」

「リューク?」

「…あぁ、俺の名だよ。加藤はもう昔の俺だ。日本語名はなにかと不便だし、お前らもすぐつけた方がいい。」

 自分をこの横文字の名で呼べと、そして自分にも新しい名をつけろと、否、日本語の名を捨てろと、そう言う加藤。促す、というよりは催促するようなその言い方は、どこか元の世界と決別するよう言い渡されたような気がし、なんとも言えない不快感が残る。


「…ちなみに委員長はなんて名前なんだ?」

 無理やり空気を変えるように務めて明るい声を出す。先程の問答で青かった顔が余計濃く染ったようだった委員長はどこかほっとするようにこたえる。

「あぁ、申し遅れた。俺はベルを名乗っている。これからはそっちで頼む。委員長は…まぁ、いいよ。」

「ベル…か。分かった。」


 それからは、しばらく雑談が続いた。名前の由来はなにか。自分達はどんな名前をつけようか。ところで女子風呂はどうなっているのか、と。務めて明るく、他愛のない話を。


 しかし考えていたことは直人も栄一も同じだろう。


「なぁ、栄一。」



 …この名前を呼ぶのもこれが最後となり。



「そういえば5時間目の小テスト…」



 …勉強の事などもう考えなく良い。



「ていうか魔軍ってなんなんだろうな…」



 しかし、うんざりしていた勉強が恋しくなるほどに過酷なこの世界で。



 生きねばならないと。



 戦わねばならないと。



 帰れない、と。





 少しずつのぼせてくると共に、少しずつ頭の中にその事実が染み込んでいった。帰りたい。が、おそらく帰れない。ならば、諦めねばならない。捨てきれない帰りたい、という思いを捨てようともがく。しかし、出来なかった。


 結局自分はどうしたいのか。


 自然、その問いに行き着く。


 流されるままに戦わねばならなくなるのは嫌だ。


 しかしこの世界を甘んじて受け入れろというのは無理だった。


 どうせ戦わねばならないのなら帰るために探し、戦おうとも思った。


 しかし命を投げ打ってでも帰りたいとは思えなかった。


 この世界を救うためなら命をかけれるか。


 しかしこの世界には義理も思い入れも何も無い。


 ならこの世界でのんびり一般人として生きようか。


 それをすれば滅びると委員長ーーいや、ベルは言った。


 この国だけで人口は5000万に上るという。自分を含めたそれら全てをつかの間の怠惰のために捨てることは、できなかった。



 …死にたくない。戦いたくない。帰りたい。戦いたくない。死にたくないーー。


 戦いが、死が現実味を帯びた世界など、ただの学生である直人には受け入れがたすぎた。

 ちらりと、委員長と加藤ーーいや、ベルとリュークを見る。この世界で既に生きてきた者を。

 気を回してくれていたのだろう。会話には余り入らなかった二人はしかし、会話の間を塗って向けられた視線を受け止める。


 無言で視線を返す彼らの目は、どこかもう遠くの世界にいるような、自分達とは隔絶した世界にいるような、そんな気がした。身の振り方ひとつすら決められない自分と違い、生を捧げて全うせんとする目的がある、覚悟を決めている者の目。





 …どれほど考えこんでいただろうか。上面だけ続いていた会話も途切れ、しずかな沈黙が辺りを包んでいた。かなりのぼせていたが、気にもならなかった。

「…まぁ時間をかければいいさ。どうせ2週間ほどここの常識や剣に魔法のレクチャーがある予定だ。覚悟を決めるのはそれからでもまぁいいだろう。」

 沈黙を割り、リュークが口を開く。どうするか決めろ、では無く覚悟を決めろ、か。小さく眉をひそめつつ、桶と黒杖を手に脱衣場へ向かうリュークを目で追う。


 彼の彼の体を霜が包んでいく。体についた少し熱めの温泉が、たちまち氷に変わっていく。あらかた凍りついたところで、こんどは足元から炎が包んでいく。火力はそこまで高くないのかもしれないが、普通であれば火だるまになっているような状況。しかし、数秒後炎が掻き消え、何事も無かったかのようなリュークが現れる。体を濡らす水滴は、ひとつ残らず消えていた。

 剣。魔法。

 ゲームかファンタジー世界の話だと思っていた。学校で真面目に話そうとするものならただの厨二病扱いされるものだと思っていた。

 しかしそれが、確かに現実となっている。実際に目の当たりにすることで、世界そのものの違いを痛いほど認識した。


 完全にのぼせきった体を引きずり風呂をあとにするまで、さらに10分かかった。


 風呂から上がり、改めて名前をつけるように言われた直人は、自らを「レイ」と名付けた。玲奈ーー妹の名と似通っていたのは意図してか、あるいは無意識か。元の世界を捨て去ることは出来ないまま、夜が過ぎ、朝を迎えた。

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