0-4 この世界に生ける者
視界を青白い光が包む。立ちくらみのような感覚の後、目を開ける。
「ただまー。」
「おせー。」
拍子抜けするような軽口の応酬。まるでコンビニへ行った学生が教室に戻った時のように。そこは聖教会総本部、枢機卿の一人の質素な書斎。
「鐘がなる時には帰れって言っただろうがもう我らが勇者様委員長に連れてかれちゃったぞ!」
「なんだその言い方ガキか!てかお前引き取らなかったのか。」
「…俺にあいつらの説明務まると思うか?」
「微塵も思わんな。鉄面卿。」
「うっせ。んで、遅刻までして蜥蜴男と戯れた報告は?」
「…。」
学生のような軽口の応酬。文字通り学生のような、だ。いや、同窓会でクラスメイトと会い童心に帰ったような、の方が正確か。彼らはかつてのクラスでクラスメイトであった。
3年B組出席番号2番、伊藤明彦。改め聖教会枢機卿第2位レイズ・アランデル。
3年B組出席番号7番、加藤健一。改め聖教会対魔特殊戦力"エインヘリヤル"第3位リューク・イアン。
片や聖教会の運営においてトップに近い権力を持つ枢機卿、片や人の身で人外の域まで到達した強さを誇る超少数精鋭戦力エインヘリヤル。彼らがここまでフラットに雑談する姿など誰が予想するだろうか。現に、彼らは表立った所では関わらず、交流はやけに質素なレイズの書斎か、やけにこだわられた寝台とそれと対照的に適当なデスクしかないリュークの自室で行われる。
「…見張りに蜥蜴人を配置して最奥まで吊り出してから竜人の本命と王ですり潰すなんて策練ってやがった。おかげで仕事が捗ったが。竜人軍主力3000は全滅。王も左の腕翼もいだからまぁ当分は。」
「…ほーう。お疲れさん」
再び軽い物言いと同時に小箱が二つほおられる。お使いを頼まれた相手に釣り銭を返すように渡されたそれは、煙草とマッチ。金には困っていないし、うんざりするほど聞かされた体への悪影響とやらは神聖術で打ち消せる。いくら悪性が認められても古くから戦争してまで扱われてきたのが煙草だ。味は歴史が保証している。吸わない理由がないなら吸ってしかる《《》》べきだろう。なにより彼らはとうに成人している。
シュッ、という小さな音と共に小さな炎が生まれる。先程まで凶器として奮った豪炎とは雲泥の差。マッチはその気になれば要らないのだが、気持ち的に2人とも使う派だ。
静かに一服しながらレイズは考える。竜人の主力3000の殲滅。王を手負いに追い込んだこともさることながらそちらも凄まじい戦果だ。竜人はごく稀に出現するはぐれ個体でも村一つ一日で壊滅させるような代物だ。それが訓練された主力、それが3000となればそれだけで王国どころか大陸が平らげられてしまえるような気までする。それを丸4日もかけーーそれでも異常な速さだがーー殲滅してのけた。
全く大したやつだ、と心底感心する。凡人の身でありながら手に入れられる力は全て手に入れんとし、掴み取った今の強さ。火水氷土風雷の六魔法に神聖術、剣術のこの世界の三戦法を全て高次元に修めている。これら三つが組み合わさった時のシナジーは想像を絶するところにあり、そして彼は十分にそのシナジーを引き出す。もっともこんなこと口が裂けても言わないが。
「さて、俺は風呂でも行くかな。」
「またかよほんと好きだなおっさんか。」
「日本人のしきたりだ。なにせ俺は睡眠と入浴のために生きていた人間だからな。」
「…そのボロボロの服もどうにかしとけよ。」
「…あぁ。」
纏っている彼の戦闘着である黒いロングコートーー素材と機能性だけ注文したら普段壊しまくる報復に厨二仕様にされたーーはまたも酷い有様で、特に左腕の肘から下がごっそり無くなっている。何があったのかは聞くまでもないので聞かないが、余程激しく戦闘したのであろう。
少々げんなりした様子のまま最後にもう一服し、ごちそうさんと灰皿に押し付ける。ふと見た窓の外の元の世界と比べ昼が短い気がする空はすっかり暗くなっている。空気が澄んだ夜空は都市部にもかかわらず無数の星々が顔を出している。
…元々空を眺めるのは好きだ。奥行きの感じられない、吸い込まれるような蒼穹。意味もなく空を仰ぐ姿は度々訝しがられたが、そんなこと吹き飛ぶほどに空は広い。それは世界を違えどそれは変わらない。
腰を上げ軽く首をならし、肌身離さず持ち歩いているーー呆れたことに入浴時でさえーー黒杖を手に去っていく旧友を尻目に、レイズは風呂か…と考える。何かが引っかかるような気がする。
「ほんじゃまたな。」
「ん…あぁ。」
ドアが開き、再び閉じられた時にようやく思い出した。
…委員長に聖教会高官用の大浴場の使用許可を求められて承諾したのであった。
普段の聖教会の幹部たちは、彼も含め風呂など自室に備えつけられたもので済ますか、忙しくて入る暇すらない。ほかの高官と鉢合わせることはないだろうと思い快諾したが…戦闘後の風呂マニアのことは失念していた。
鉢合わせるだろうなぁ…と逃避気味に、入れ直してもらったコーヒーをすする。
◆
案内された、想像の倍はある豪奢な風呂に立ち尽くす。案内した委員長も使用したことは無いのか、いくらか興奮気味だ。着替えは用意してくれるらしいので、洗濯の後保管するとされ着ていた制服を慣れない手つきで畳み侍女さんにぎこちなく渡す。
「うっ……わぁぁ……」
修学旅行で行った旅館の風呂が丸々5つは入りそうだ。意気揚々と体を軽く洗いーー水道設備は完備されていたーー立ち込める湯気を割りながら湯船に入る。しばし乳白色の身に染みる湯を堪能する。
せっかくなので端まで行ってみようと立ち上がった時、その人影に気づいた。異様にがっしりしている。半身浴を楽しんでいる体には傷こそ見当たらないが、過不足なく筋肉を纏った体は戦士、という言葉を想起させる。そして傷一つない体とは対照的に痛々しく走る左目の刀傷。手元に置いた木桶にはタオルと、黒黒とした杖ーーしかし、それはただの歩行の補助のための物だとは到底思えない重厚感を放っている。
並ぶ吉田と委員長もーー江戸時代よろしく女子と混浴なんてトラブルは(残念ながら)なかったーー人影に気づいたようだ。
「…あれ…なんで…」
委員長が火照って赤い顔を器用に青くする。しかしそこには驚きこそあれ恐怖がないことにひとまず安心し、再び人影に目を向ける。
「ん…あぁ…は?なんでお前らが?」
唸るような声とは一転、素っ頓狂な声を上げる。口ぶりからしてこちらを知っているようだったが。
「えっと…レイズさんから許可もらって…それで…」
「…あんにゃろう。」
罰が悪そうに舌打ちをする人影。委員長も知り合いとなれば、もしかすると。
髪型が違う。目も潰れている。体格も変わっている。だから気が付かなかった。しかし、目を凝らすと確かにそこに居たのは。
「「か…加藤!?」」
「…よぉ。おひさ。」
数時間ほど前クラスを共にしていたが、存在感の比較的薄かった加藤健一が、剛毅な気配と共に返答した。
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