第5話 匂い

 彼は、シャワーを浴びおわったようで、お風呂場から出てくる音がする。


 するとしばらく、シーンとしたあと着替えて部屋の方へやってきた。


「その…お風呂ありがとう。」


 右の人差し指で、ほっぺたをかきながら頬を赤らめて視線を落とす彼に、少しの罪悪感と背徳感を覚えた。


 私からすれば大きめであるが、やはり彼の体よりかは小さい。その上、女物の服を着せられている。そんな彼を、可愛いと思ってしまった。


 はっ、と我に返り、恥ずかしさで私も目を逸らしてしまう。


「…濡れていた服は今洗濯して、乾燥機にかけているのでもう少し我慢してくださいね…」


 そういうと私は、そそくさとお風呂場へ向かった。


 なんで、私あんなこと…顔を赤らめ、服を脱ぎ、お風呂場へ入っていった。


 人の匂いがする。これは、彼の匂いだ。自分だけの匂いに慣れきっていた私は、家の中に自分以外の匂いがあるのが変な感じだった。


 母が亡くなって以来、誰かを家に入れたことはなく、自分とは別の匂いがある事が新鮮だったのだろう。


 いつもより早くシャワーを浴び終わり、着替えた私は彼の待つ部屋へと向かう。




 すると、彼は正座をして待っていた…。とても気まずい…。何か話題を…。


「お待たせしてすみません、お腹すきませんか?遅くなりましたけど、良かったら一緒にご飯食べましょう!」


 彼は、待ってましたと言わんばかりに激しく首を縦に振っていた。


 他の人とご飯を食べるのは、いつぶりであろう。などと考えていると、彼が尋ねてきた。


「ココアとハンバーグって、合うの…?」


 やってしまった。っと、心の中で反省する。


 人前では気をつけていたつもりであった。私の味覚は母がなくなって以来、無くなっている。分かるのは、冷たい、熱いくらいだが、それすらも少し鈍く感じる程度である。


 なにか言わなきゃと慌てて

「これがなかなかいけるんですよ!」

 と、間抜けな発言をする私に対し

「アハハ、そんな人初めて見たよ!」

 目を輝かせながら、そう言って笑っていた。


 それを見てると、なんだか私も楽しくなって一緒に笑っていた。


 食べ終わったあとは沈黙が続いた。何を話せばいいかわからない。男性と話すのも、人とちゃんと会話をするのもしばらくし避けていた。どうすれば良いのだろう…。


 そう考えているとピーピーッと洗濯機からの助け舟が入る。


「あ、乾燥仕上がったみたいですよ!着替えれますよ!」

 彼を着替えさせた。


 思いの外恥ずかしかったのだろう、着替え終わると少し嬉しそうであった。


 そして、話題を再び考える私。誰もいないのに路上ライブをしていた理由、雨の日なのに気持ちよさそうに歌っていたこと、昨日と今日のこの違い。


 空気の読めない質問ばかりが思いつき、自分にすこしむしゃくしゃしていた。


 すると、彼の方から口を開いた。

「君は、一人暮らしなの?」


 質問され、何も答えられずしばらく固まる私に、また声をかけてくる。


「…だからキミと一緒にいて居心地がいいのかも」


 …それってどういうこと?私の事バカにするつもりなの…?彼の無神経な、その発言に怒りが込み上げてくる。


「…実は、俺も独りなんだ」



 彼の、その言葉を聞いた時私の中で何かが音を立てた気がした。

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