第114話 王弟の悲劇

 そうして、ベルナードには簿記のいろはから教えることになった。

 まずは同じ帳簿の用紙を二枚用意して、私が一枚に説明しながら書き込んでいくところを見せる。


 それを次にベルナードに一人で実践してもらうっていうのを繰り返したんだけど、教えてみると意外にもこの人、筋がいいことがわかってきた。


 聞いてみると騎士団に入るまでは王城で文官として書庫や美術品の管理をしていたこともあったんだって。そのためか、基本的な事務処理能力は高いのだ。


 簡単な計算くらいなら暗算ですぐにやってしまうし、一度教えたことはちゃんと覚えて実践しようとする。


 たぶん、本人が「これを覚えなきゃあとがない!」って必死なんだろうけど、最初の杞憂が嘘のようにベルナードは私が教えることをどんどん吸収していった。


 しかも王城の文官をしていただけあって文字がとてもきれいなのだ。これは私が逆に教えてもらった方がいいんじゃないだろうか。


 なんてことを考えながらベルナードの書いた帳簿を確認していたとき、トントンとドアをたたく音が聞こえてきた。


「どうぞ」


 ベルナードが返事を返すと、ガチャリとドアが開く。

 入ってきたのは東方騎士団の制服をきた男性だった。見覚えがある。交流試合でフランツと戦った人だ。


 その彼は「ちょっといいか」と言うと、ベルナードの了承もなしにずかずかと金庫番室へ入ってきた。


 そして突然、腰に下げていた鞘から剣を抜くと執務デスクの上にぞんざいに投げ置いた。


「ベルナード。こいつはもう壊れてるから金をくれ。いま、王城に王立工房の刀工がきてるのを見かけたから、すぐに発注したいんだ」


 デスクに置かれた一本のロングソード。

 フランツが使っているものは通常のロングソードよりも一回り大きめだから、つい通常サイズのそれが小さく見えてしまう。


 でも、そのロングソードはフランツが使っているものよりツバや柄の部分に凝った装飾がほどこされていてゴージャスな見た目をしていた。


 フランツの剣は家紋こそ入ってはいるものの、機能性重視のシンプルな見た目をしているものね。


 そのうえ、彼は「壊れている」というが、少し刃こぼれがあったり傷がある程度でとても壊れているようには見えない。


 東方騎士団の予算が西方騎士団と同額だということは、ベルナードからも聞いて確認済み。団員数もほとんど同じはず。


 いま目の前に置かれた剣はまだ使えそうだったし、このいかにもゴージャスな剣と同等のものを発注するとしたらそうとうな金額のはず。一人の剣にそこまで予算を使う余裕がないことはすぐにわかった。


 ベルナードは、この無茶な要求をしてくる団員さんにどう対応するんだろうと黙って見守っていると、彼はただおどおどとするだけだった。


 おそらく、いままでならベルナードはすぐに金を渡していたのだろう。

 団員も、そうされて当然という態度だ。でも、これからはもうそういうわけにはいかない。


 ほら、なんとかしなさいよ。とベルナードの脇腹を肘で小突いてみるけど、ベルナードは一瞬びくっと肩を跳ねさせただけで私に助けを求めるような視線を向けてくる。


 仕方ないなぁ。差し出がましい気もしたが、そんな目でこちらを見られたら助け船を出さないわけにもいかないじゃない。


 私はベルナードに変わって、彼に答えることにした。


「壊れたというのは、どの程度の損傷ですか? 修理班には相談されましたか? この程度の傷なら、修理班で治せると思うんですが」


 突然口を挟んできた私に、団員さんはむかついた顔でこちらを見てくる。


「なんだお前は」


「西方騎士団金庫番のカエデです。今日はこちらにお手伝いに来ています。それで剣のことですが、申し訳ないですがこの剣と同等品の購入はできません」


 私ははっきりきっぱりそう言った。


「なんだって?」


 団員さんの言葉に怒気が滲む。でも、そんなことでひるむわけにもいかない。

 ベルナードはびくびくしながら、私と団員さんを交互に見比べるだけ。


 私は、すっと息を吸い込むと流れるように一気に言い放った。


「まずは修理班で修理可能かどうかを確認してきてください。修理不可能となれば新しい剣を団の予算で購入することもできますが、装飾の多い高級品は買えません。団の予算は限られているので、一人の剣にそこまでお金を使うことはできないんです。豪華なのがほしければ、自腹でお願いします」


 西方騎士団だって、剣などの武器類の支給はあるけど質実剛健でシンプルなものばかりだもんね。自分の武器にこだわりがある人や、団長みたいに特殊な武器だったり、フランツのように規格外の武器を使う人は自腹で持参してるもの。


「何言ってんだ。いままでだって、すぐ買ってくれたじゃないか!」


「そのせいで東方騎士団の資金繰りは、大変なことになってるんです! もう以前のようにポンポン買わせるわけにはいかないんです!」


「この剣は、王弟と対峙したときヤツが放った亡霊を斬ったんだぞ! 呪われでもしたらどうするんだ!」


「だったら、それもどうにかする手立てを考えます! とりあえず、いますぐにお金を出すことはできません!」


 数秒間、お互いにらみ合ったあと、団員さんは執務デスクにおいてあった剣を手に取って、「もういい」と忌々しげに呟いて大股で金庫番室から出て行った。


 バタンと勢いよく音を立ててドアが閉まる。私とベルナードは同時にハァと安堵のため息をついた。


 良かった、なんとか引き下がってくれたみたい。

 団員さんの剣幕は怖かったけど、ここで譲ってしまったらこれからも団のいろんな人から次から次へと似たような要求がくるんだろうなってことがわかってたので、絶対に引くわけにはいかなかったんだ。


 ついかたく握ってしまった拳には、緊張と恐怖でびっしょりと汗が滲んでいた。


 でも、これからは東方騎士団の団員さんたちにも、もう好き勝手にものは買えないんだってことを根気強く伝えていかなきゃいけない。それにはベルナードにも頑張ってもらわないといけないんだけど、彼にできるかしら。


 なんて考えていたら、当のベルナードは両指を組んで拝むようにしながら、こちらをキラキラした目で見つめいてた。


 うおぉ、どうしたの。そのイケメンアイドルを見る少女みたいな目!


 若干引き気味になる私に、ベルナードは嬉しそうに顔を紅潮させてまくしたててきた。


「すごい! すごいよ、カエデ!! あいつ、団で実力があるからってしょっちゅうあれこれ高価な物を買ってくれって言ってきたんだけど、あんな風に追い返しちゃうなんて、すごい!」


「い、いや、本当はもっとこう穏便に説得できれば良かったんだけど、つい売り言葉に買い言葉で……。ところで、うっかり最後の方は適当に返しちゃったけど、あの人が言ってた『王弟の亡霊』だとか『呪い』だとかって、なんのことなの……?」


 つい勢いで「手立てを考えます」なんて言っちゃったけど、何のことを言ってるのか実はさっぱりわかってなかったのだ。


 『呪い』だなんてただ事じゃない気がしていたけど、ベルナードもさっきまでのキラキラした眼差しを一転させて急に顔を曇らせる。

 その様子はまるで『呪い』とやらにひどくおびえているようだった。


「今回の東方遠征の最中に、五十年くらい逃亡していた王弟フレデリックが、とある領地で捉えられたと聞いて身柄を引き取りに行ったんだ」


 逃亡……? 五十年も? 王弟っていうからには、今の王様の弟に当たる人よね。なんでそんな高貴な人が逃亡してたの?


 わからないことだらけだったけど、とにかくベルナードの話を黙って聞くことにする。


「でも、東方騎士団が領主の館の牢に着いたときには、王弟はかなり衰弱していた。だから、簡単に連れ帰れると思ったんだけど、牢を開けて彼を出そうとしたとき突然王弟が亡霊を呼び出して襲ってきたんだ」


「亡霊を呼べるの!?」


 ついそう声をあげると、ベルナードは神妙な面持ちで頷き返す。


「ああ。彼は稀代の死霊使いネクロマンサーと呼ばれた人だからね。亡霊は物理攻撃が効かないから厄介なんだ。ただ、魔法攻撃は効くし、ヒーラーが聖なる力を付与した剣ならダメージを与えられるから、それでなんとか倒したんだけど。さっきの剣もそのときに使ったやつだから、きっと気味悪がって新しいのを欲しがったんだろうな」


 今回の遠征は東方騎士団もなかなかハードだったみたいね。


「それで、その。王弟さんは……?」


「そのあとすぐ亡くなったよ。きっと最後の力を振り絞って襲ってきたんだろうな。亡骸はそのまま近くの墓地に埋めてきた。遺品も、着ていたボロ布くらいしかなかったって聞いたな」


「そっか……」


 王弟というくらいだから、かつては華やかな暮らしをしていたのだろうと思うと、その最期はなんだかとてももの悲しいものに思えた。


 でもそんな悲しさも、次のベルナードの言葉で吹き飛んでしまう。


「でも遺言はあるんだ。僕が直接聞いたわけじゃないけど、事切れる前に呪いの言葉を残したらしいよ。『ときは満ちた。いまこそ悲願を遂げるとき。我の死を合図に、王都は亡者の喜びに溢れるだろう』って」


「え……ええっ!?」


 悲願……亡者の喜びってなんだろう……。


「もちろん、帰還してすぐに団長から現王には伝えられたはずだよ。対策も取られているはずだ。でも、今のところそれらしいことは何も起きてはいないから、単なる恨み言だったのかもしれないけどね」


 ベルナードはそう言うものの、最期にそんな言葉を残すだなんて。

 そこには筆舌に尽くしがたいほどの積年の恨みがこめられていたんだろうなと思うと、重苦しい気持ちがいつまでも晴れなかった。

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