第113話 さくさくOJT!

 翌日。

 私は昨日あったことをゲルハルト団長に報告した。


 団長は、団員の中で一番早いんじゃないかってくらい毎日早朝から来て訓練しているから、朝の自主練を終えてもどってきたタイミングで捕まえて聞いてみたんだ。そうしたら、汗をふきながらしみじみと、


「そりゃカエデが嫌じゃないなら別に構わねぇが、とうとう西方騎士団の外にまで引っ張り出されちまったな。これからもそういう類いの話はどんどんくるようになるかもしれねぇぞ」


 なんて言って笑っていた。


「まさかぁ。そんなことないですよー」


 私も笑って気軽にそう返したんだけど、団長はすっと真面目な顔になる。


「いや、カエデの力を必要とするやつはもっとたくさんいるだろう。あのフローズンドリンクってやつも社交界ですごい話題になってたしな。まぁでも、もし負担になるようならいつでも言えよ。適当な理由つけて断っといてやるからよ」


 そう言ってゲルハルト団長はぽんと私の背中を軽くたたくと、出勤してきたほかの団員さんたちのところに行ってしまった。


 必要とされるのは嬉しいけど、たしかにどんどん頼まれたら嫌だなぁ。でも、まさかそんなことないよねと、このときはあまり深く考えずにいた。


 さて、今日は午後からベルナードのとこに行く約束にしてたんだっけ。


 午前中に自分のところの仕事を手早く終わらせると、食堂でフランツとランチをとった。そして、フランツが送ってくれるというのでお言葉に甘えて東方騎士団の金庫番室まで一緒に行くことにする。同じ建物の中ではあるんだけど、何度行っても東方騎士団側はアウェイ感が強くて慣れないんだ。


 でも、今日は東方騎士団の廊下を歩いていると、いつも以上に団員さんたちの露骨な視線を感じた。なんでだろう? って不思議に思っていたら、彼らは私ではなくじろじろとフランツのことを見ていたのだった。


 そっか、フランツって有名人だもんね。このまえの交流試合でもフランツは目立ってたし。団長たちをのぞけば、西方東方あわせてもその強さはトップクラスだもの。そりゃ、気にならないはずもないよね。フランツ本人は慣れっこなのか、不躾な視線もまったく意に介してはいなさそうだったけど。


「それじゃあ、頑張ってね」


 金庫番室の前まで来ると、フランツは明るく励ましてくれる。


「うん。フランツも、頑張ってね。午後は周辺警備にいくんだっけ?」


「ああ。夕方には戻ってくるはずだから、また迎えに来るよ」


 手を振って別れたあと、金庫番室のドアをノックして「西方騎士団のカエデです」と声をかけた。


 いままでなら「入れ」っていうベルナードの偉そうな声が聞こえてくるのがつねだったんだけど、今日は声がするより先にガチャリとドアが開いた。

 そして、


「カエデ、来てくれたのかっ! 待ってたんだ!」


 と、感激に目を潤ませたベルナードが自ら出迎えてくれた。

 おおっ、なんかいままでと態度が全然ちがうぞ?


 そのうえ、「さあ、どうぞ! こちらに!」と言って、金庫番室にある応接セットのソファに座らせてくれて、さらに目の前にささっと、紅茶とケーキまで置かれてしまった。


「ちょ、なんですかこれ!」


「なにって、歓待のあかしだが」


「こういうのいらないですからっ」


 急に手のひら返されると調子が狂うじゃない。

 とはいつつ、せっかく出されたものを断るのももったいないので、紅茶とケーキは美味しくいただいてしまった。


 このケーキ、バタークリームに覆われた生地の中には洋酒がたっぷり染みこんでいてめちゃめちゃ美味しかった。むむむ、これはもしやコルネリウス家のお抱えシェフの手のものかしら。さすが、財務大臣のお家柄。ランチを食べたばかりなのに、美味しくてつい全部食べちゃった。


 ほうっ、と紅茶を飲んで一息つく。

 って、落ち着いてる場合じゃなかった。うっかり自分の役割を忘れるところだった。


「美味しいものをありがとうございます。でも、もう次からは何もご用意してくれなくて大丈夫ですからね」


「そ、そうか……?」


 ベルナードはまだ釈然としない様子だったけれど、お金を浪費しないために私がここにきてるのに、毎回こんな高級品いただいてたら意味がないじゃない。


 おやつを食べたあとは早速、ベルナードに経理の手ほどきをすることになった。


「まずはベルナード、あなたがつけている東方騎士団の帳簿類を見せてください」


 そう頼んだのだけれど、ベルナードは子犬のようにこくんと小首をかしげる。


「帳簿って、なんだ?」


「えっと、なんでもいいので、騎士団のお金関係で紙とかに書き付けているものがあったら見せてほしいんですが……」


 いまいち私が言っていることがピンと来ていなさそうなベルナードの顔をみていて、え、もしかして……といういやな予感が沸いてくる。


「もしかして……何もないんですか……?」


 おそるおそる尋ね返す私に、ベルナードは元気よく伸びぎみの前髪を揺らして頷いた。


「ああ。特に何も無い。金の減り方なら、金庫の中を見ればだいたいわかるし」


 うわぁ……まずはそこからなのか。と、思わず天を仰ぎたい気持ちになった。


 減り方ならわかる、って……ただ減り方を眺めるだけなら、意味が無いでしょ! あんた、なんのためにここにいるのよ! と言いたい気持ちが沸いてくるが、ぐっとこらえる。駄目だ駄目だ、そんなこと今更言っても仕方ないんだから。


 でも、それだったら団員さんたちの言うがままにお金を出してしまうのも、足らなくなって実家のお金に手をつけてしまうのもわかる気がした。まったく管理できていないんだもの。そりゃ、そうなるでしょう。


 これは本当に一から管理の仕方を教えなければいけないのかもしれない。

 大変な仕事を請け負ってしまったかも! と途方に暮れそうになる。


 私が何も言えずに考え込んでいると、ベルナードは怒られると思ったのか急に慌てだして、


「そ、そうだ。そういえば、前の金庫番から引き継いだものはあった」


 と、金庫の中から古い紙の束を取り出してきた。


「……とりあえず、それを見させてもらいますね」


「ああ。ここに座って見るといい」


 ベルナードが執務デスクの椅子を引いてくれたので、お言葉に甘えて座らせてもらう。そして、その紙の束を一枚一枚丁寧に見ていった。


 それはたしかに帳簿の類いのようだった。西方騎士団でナッシュさんが金庫番をしていたときにつけていた帳簿スクロールと似ている。独特の単式簿記様式で、ごちゃごちゃといろいろなものが併記されて摩訶不思議な構造になっていたけれど、一度似たものを精読した経験が役に立ってすぐに構造を理解することができた。


 しかし問題は、この帳簿。最新日が、三年前で止まっている。


「ベルナードが金庫番の仕事についたのって、正確にはいつなんですか?」


 そう尋ねると、彼は前髪をかき上げながらしばらく考えて、


「ちょうど今から三年くらい前だな。秋に東方騎士団が遠征から帰ってきたあたりからだ」


 ふむふむ。つまり、前金庫番はちゃんと帳簿付けはしていたけど、ベルナードに変わってからは数日しかつけてなかったってことね。


「なんで、帳簿つけるのやめっちゃったんですか?」


 ずばっと尋ねる私の言葉に、ベルナードはバツが悪そうに目をそらしつつ、


「……難しくて、書き方がよくわからなかったんだ。その前の遠征で前金庫番が負傷してそのまま退役してしまったから、詳しい書き方もほとんど教わらなかったし……」


 ……なるほど。それは、ベルナードにも同情できる余地はありそう。


 私は既に経理の仕事の経験もあるし、簿記の知識もあるからこの帳簿を見ても解読して意味を理解することはできる。でも、まったく未経験でまともな引き継ぎもないままにこれを理解して続きを書くのは難しいだろう。というか、ほぼ不可能だと思う。


「わかりました。じゃあ、これから一から帳簿の書き方をお教えします。それは諦めないで、ちゃんと書き続けてくださいね。ただ、この古い帳簿じゃなくて、私が使っている別の様式のものですけど。それでもいいですか?」


 こくこくと、ベルナードは頷く。


「ぜひ頼む。絶対にやりとげるとも。やりとげられなかったら、僕は川に飛び込まなければいけなくなる」


 それだけはなんとしてもやめてくださいね!

 そんなこんなで、ベルナードへの経理のお仕事特訓ははじまったのだった。



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