第112話 彼の頼み
「ベルナードさん……どうしてここに? 私に用って……」
フランツに手を離されてぺたんと地面に座り込んだベルナードは、おどおどと視線を彷徨わせた。東方騎士団の金庫番室で始終鼻につく傲慢さをまき散らしていた姿とはまるで別人みたい。
「そ、その……」
口ごもるベルナードに、フランツはまだ警戒を解いていないきつい口調で言葉をぶつける。
「お前、最近西方騎士団の周りでうろちょろしてるの見かけると思ったら、カエデをつけ回してたのか!?」
フランツに睨まれて、ベルナードはこれ以上小さくなりようがないくらいしゅんと肩をすぼめた。
待って待って。最近、なんか妙に人の気配を感じることが多いなと思ってたけど、それってベルナードが私をつけまわしてたってこと!? なんのために?? ストーカー!?
なんなの、この人。変態さん?
ぞわと両腕に鳥肌が立つ。つい気持ち悪さのあまり自分の腕をさすりながらフランツの後ろに隠れると、ベルナードは慌てた様子で弁明をはじめた。
「ち、違うんだっ。誤解しないでくれっ! ただ、君に頼みたいことがあって……でも勇気がなくて、機会をうかがってただけなんだ……。いまだって馬車で屋敷に帰ろうとしてたら橋の上から君の姿が見えたから、頼み事をするチャンスだと思って近づいたんだけど、その……近くまできたら隣にいたのが護衛とかじゃなくて、ハノーヴァー卿だってわかって、慌てて隠れただけで……」
それで、私たちを盗み見するような形になってしまったんだとベルナードは言う。
私は、どうしよう? と視線をフランツに向けると、彼も困ったように肩をすくめた。
「それで、カエデに頼みたいことって何だ? 理由によっちゃ、ただじゃ済まさないけど」
最後、脅すようにフランツがすごむと、ベルナードは「ひっ」と喉を鳴らしたあと、地面に手をついて四つん這いになった。いわゆる、土下座というやつだ。そういう文化がこの世界にもあるのかどうか知らないけど、とにかく彼はそこまで姿勢を低くして、叫ぶように言った。
「僕はただ、カエデに金庫番の仕事を教えてほしいだけなんだ!!」
「「…………へ?」」
こわごわフランツの後ろから様子をうかがっていた私も、私を守るように立っていたフランツも驚きのあまり同時に変な声が出た。
「……え、ちょっと待って。あなた、私よりずっとこの仕事長いですよね?」
それなのに、なんでいまさら先輩のベルナードに仕事を教えてほしいなんて言われるんだろう?
不思議に思っていると、彼は目に涙をためてぐずぐずしながら語り出した。
「いままで団員たちに言われるがままにお金を使ってたんだ。そうしたら、当然、王城からもらった予算だけじゃ足らなくて……足らない分は、こっそり家の財産から持ち出して補填していた……。でも、この間の遠征で僕が家にいない間に屋敷の家令に全部調べ上げられて、お父様に報告されたんだ……。お父様は使い込みに気づいてはいたらしいんだけど、そこまで酷かっただなんてって言って激怒して……」
家令とは、家の財産や事務を管理する人。家の使用人の中で一番偉い人ともいえる。
そして彼のお父様というのは、財務大臣のことだ。
「つまり、もう家のお金を使うわけにはいかないけど、そうなるとどうやって金庫番として団の財政を維持していいのかわからないから私に教えてほしい……ってことですか?」
私が整理して言うと、彼はまさにそれだというように涙で赤くなった目でこくこくと頷いた。
「その……カエデは、西方騎士団の団員たちとも上手くやっているみたいで、羨ましくて……最初はその秘訣を探ろうとこそこそあとをついてみたりもしたんだけど。西方騎士団の団員が、カエデにお小遣い帳の付け方を教えてもらったおかげでお金が貯まるようになったって話しているのを聞いて、僕もその、教えてほしいなって……ついでに団の金の管理の仕方も教えを請えたらもっといいなって……」
いやいやいや、お小遣い帳の付け方教えるのと、騎士団のお金の管理の仕方を教えるのは労力が全然違うからね!? そもそも私だって、まだ就いたばかりの仕事で、ナッシュさんとかにも教えてもらいながらなんとかこなしてる最中なんだから。
むむむ、そんな大役、簡単には引き受けられないぞ? と迷って黙り込んでしまったら、代わりにフランツが口を開く。
「もし、カエデが嫌だって言ったらどうすんの?」
すると、ベルナードはジッと思い詰めた目で川の方を見つめて、
「そのときは、このまま川に飛び込むしかないかもしれない……」
なんてことまで言い出した。
「えええっ!? ちょ、なんでそこまで……!?」
驚いて変な声が出てしまった。ベルナードって、奔放にぽんぽんお金を使っちゃうあたり、あんまり金銭管理に向いている性格だとは思えないのよね。それなら、騎士団の金庫番なんてやめて、ほかの仕事に就けばいいのに。
しかし、ベルナードは手の甲で涙をふきながら、切々と訴えてきた。
「知ってのとおり、僕の父は財務大臣だ。祖父もそうだった。だからいずれ、僕もその仕事を継ぐことを期待されている。そのためには騎士団の金庫番の役目をしっかり果たさないといけないんだ。じゃないと、僕はもうあの家にいられない……」
え、そういうものなの!? よくわからなくてフランツを見ると、彼は弱ったような苦笑を浮かべた。
「だいたい家ごとに、国政での役割って決まってるんだ。一族ごとに得意不得意ってあるしな。こいつの家のコルネリウス家は代々国の財政を支えてきた家柄。サブリナ様の家系は昔から優秀な癒し手を多く排出してきた家柄、みたいなね。そんな風に家ごとに役割が決まっているから、その家に求められる力を持たないやつは大変だとは聞いたことはある。下手すると勘当されて、代わりに優秀な子を養子にしたりとかってこともあるらしい」
へぇ……貴族の世界もなかなか厳しいのね。
「え、じゃあ、ハノーヴァー家は?」
「ハノーヴァー家は祖父が将軍やってたりとか、元々武芸の秀でた家なんだ。だから、俺はハノーヴァーの血が濃いのかもしれない。逆に父は武芸は全然駄目で、かわりに商才に長けてたんだけど、祖父が生きてたときはそのせいでかなりり仲が悪かったみたい」
そっか……フランツとお父様も仲悪いけど、その上の世代も仲よくなかったんだね。むしろお父様が家系的には異端なんだろうな……。
「だから、騎士団の金庫番の仕事に失敗したとなったら、僕はもう生きていけない……」
そう呟くベルナードの目からは再び大粒の涙がぽろぽろとこぼれ始める。
うううん。思ったより事は深刻なのね。ここは無碍に断ったりしたら、あとあと後味悪いことにもなりかねない。
私は彼の前にしゃがみこむと、子どものように泣きじゃくるベルナードに声をかけた。
「ねぇ、ベルナードさん」
「ベルナードでいい」
「じゃあ、ベルナード。私もまだ金庫番の仕事は試行錯誤しながらこなしている最中だけど、それでもいいなら教えてあげてもいいわよ」
その言葉に、ベルナードはパッと顔を上げる。表情に期待が現れていた。
「ほ、ほんとかっ!?」
「ただし。交換条件として、今日、ここで私とフランツが二人で逢っていたことは公言しないでほしいの」
こくこくとベルナードは首がもげそうなほど頷く。
「も、もちろんだっ。僕のプライドにかけても、そんな無粋なことなどしない」
「それなら、約束成立。明日からみっちり教えるからね」
「ありがとう……ほんとに、ありがとう……!」
思わず感極まったベルナードが私に抱きつこうとしたけれど、それはフランツが寸前でベルナードの肩を押さえて阻止してくれた。
そんなわけで、私はなし崩し的にベルナードへ金庫番の仕事を教えることになっちゃった。
そのあとは、お腹が空いたので三人で夕市に行ったんだ。
フランツと二人きりになれないのは少し残念だけど、ベルナードもいればもし誰か知っている人に見られても、逢い引きだとか噂されなくてすむものね。
厚めのクレープみたいなのに野菜や肉を挟んだものとか、ドライフルーツを練り込んでお酒をたっぷり染みこませたパウンドケーキとか。星空の下で食べる屋台の夕ご飯は、どれも美味しかった!
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