第111話 カエデの木と女神の祈り

 ラーゴに二人乗りしたまま王城の門を抜けて街へ降りると、ラーゴは大通りの石畳の上をポコポコと小気味よい足音を響かせて進んでいく。


 さすが王都の大通りだけあって道も広く、行き交う人や馬車もたくさん。

 この時間帯だと、帰宅途中の人や夕飯のために街にくりだした人が多いみたい。


「もう少し通りを下ると、大きな夕市があるんだよ」


 フランツの話によると、王都には毎日市がたつ場所がいくつかあって、その中でもこれから行こうとしているところは大きな夕市がたつことで有名なんだそうだ。


「うわぁ、夕市って楽しそう」


「夕飯に立ち寄る人のために食べ物系の露天が多いんだ。きっとカエデも楽しいと思うよ」


 くっ。私が食べるの好きだということはすっかりフランツにばれてる。


 でも、王都に来てから街に出るのは初めてなので、町並みを眺めるだけでもわくわくと胸が躍った。


 露天も楽しみだなぁ。サブリナ様の屋敷の料理はフルコース的な立派なものだし、騎士団本部で食べる昼ご飯はだいたいシチュー系とパンっていう組み合わせが多いの。どちらも美味しいし量もたっぷりだけれど、露天ってそういうのとはまた別のわくわく感があるよね。


 それに、久しぶりにフランツと二人で一緒にいられることが、何より嬉しかった。

 そんな沸き立つ気持ちを抱きつつも、実は気がかりなこともある。


 心配の種は、フランツとどの程度の距離感でいればいいのかがよくわからないことなんだ。


 遠征中は私がフランツのところに行っても、フランツが私のところにきても、団員さんたちもサブリナ様も微笑ましく見ててくれた。私たちも、あのときはお互いの気持ちに気づいていなかったから、友達として接していられたしね。


 でも、お互いの気持ちを確認したいま、どういう距離感で接せばいいのかわからなくて、結局、友達だったときとあまり変わらない接し方で留まってしまう。


 それに、元いた世界なら告白してOKがもらえれば、あとは普通に恋人同士として過ごせば良かった。それを咎める人なんていなかった。


 でも、この世界はどうなんだろう。特にフランツは貴族だから、恋愛や結婚ってきっと本人同士だけの問題では済まないんだと思うんだよね。


 それで、ちょうどいい機会だし彼に聞いてみることにした。


「ねえ。私、こっちの世界のことまだわからないことも多いんだけど、こうやって未婚の男女二人ででかけたりしても大丈夫なものなの?」


 率直にそう問いかけると、彼は「うーん」と困った声を出す。


「……実はあんまりよくない。騎士団の中はある意味特殊な世界で、うるさく言われないからいままであまり気にしなかったけど。貴族のルールだと正式に婚約していない男女が二人だけでいるのは御法度なんだ。ただまぁ……こうやって仕事帰りに送ってくくらいならそこまでうるさく言われないかなと思って」


「そっか……やっぱり、婚約が認められるまでは二人だけでいるのは駄目なんだね……」


 そうこうしているうちに、ラーゴは橋を渡り始める。王都を斜めに貫く川にかかる、ゆるやかに湾曲したアーチ状の大きな橋。


 橋の下にはゆったりと水が流れている。こんな大きな街を流れる川なのに、水は思いのほか澄んでいて、鮎のような魚が群れをなして泳いでいるのも見えた。


 その水面に、はらはらと色とりどりの落ち葉が流れていく。赤や、黄色のいろいろな形の葉っぱ。


 あれ? よく見ると、葉っぱに何か文字のようなものが刻まれている。

 しかも、それが一枚や二枚じゃない。もっと何枚も流れてくるのだ。


「フランツ、葉っぱに何か書いてある」


 橋の上から指さすと、フランツは私の指の先を覗き込んだ。


「ああ、あれかぁ。あれは、秋の女神への捧げものだよ。秋の女神は、豊穣と子孫繁栄を司る神様だからさ。ああやって秋の落ち葉に女神への願いごとを書いて川に流すと、女神に願いが届くって言われてるんだ。子孫繁栄の神様だから恋の女神とか言われることもある」


「へぇぇぇ、恋の神様なんだ」


 なんだか、素敵だな。恋人同士で願いを書いたりするんだろうか。


「この時期、女神は大忙しだろうな」


 そう言って、フランツは屈託無く笑う。いやでも、待ってよ。私たちも一応、恋人同士じゃないの? あまり進展はしてないけど!


「フランツ! 私たちも、アレやってみようよ!」


 願いを乗せて流れる色とりどりの葉っぱを指さしながら後ろのフランツを振り返ると、彼は意外そうな顔をしていた。


「え……? ああ、そっか……俺らも、やってもいいのか。いままでそういうのに全然縁がなかったから、すっかり自分とは関係ないイベントだと思い込んでた。じゃあ行ってみよう」


「うんっ」


 ラーゴは足を速めて石橋を渡りきると、大通りから逸れて川岸の方へと降りていく。


 川沿いには大きな落葉樹が何本も生えており、色とりどりの葉っぱが川岸に落ちていた。大きいのやら小さいのやら。長細いのも丸っこいのもある。


 ラーゴから降りると、私は目に付いた大木の下へ行ってみた。それは、赤い葉を茂らせてすくっと立っている立派な木だった。

 その木の下にも、赤く色づいた大きな葉っぱがたくさん積もっている。


 手を伸ばして一枚拾い上げた。手のような形をした大きな葉。これ、カエデの一種かなぁ。


 自分の名前がカエデって言うくらいだから、カエデの木は昔から大好きな木なんだ。この世界にも似たような木があるのが嬉しい。


「これにしようよ、書くのにちょうど良い大きさだし。それに、私の元いた世界ではこういう葉っぱの木を『カエデ』って呼ぶんだ」


「へぇ、『カエデ』って木の名前だったのか。前から素敵な響きだなって思ってたけど、良い名前だね。それに立派な木だ」


 フランツは木を見上げると、まぶしそうに目を細めた。いっぱいに枝を広げたくさんの葉っぱを茂らせるカエデの木は、夕日を受けてさらに赤く輝いているように見えた。その堂々とした姿を眺めていると、お前もこんな風にこの世界にしっかりと根を下ろして生きていくんだよと、励まされているような気持ちになる。


「葉っぱに何を書こうか」


「そうだなぁ」


 二人で妙に真剣に悩んでしまって、なかなか書くことが決まらない。

 結局、『これかも一緒にいられますように』って書くことにした。川原の石の上に葉っぱを置いて、フランツが腰にさげていた短剣で文字を刻んでくれた。


 フランツ・ハノーヴァーの名前の隣に、私もサインだけは自分で刻むことにしたのだけど、短剣を使い慣れてなくて上手く刻めない。


 ああ、どうしよう。短剣の柄を両手で持って動かすのだけど、思った方向に線を書くのって難しい……! 四苦八苦していたら、フランツが私の手の上から彼の手を重ねて手伝ってくれた。


「やった、できた……!」


 私が書いたところはちょっと葉っぱが削れちゃったけど、これくらいなら女神様も許してくれるよね。


 一緒に川のそばまで降りてしゃがむと、水面に葉っぱを置く。二人で同時に手を離したら、さらさらと流れる川の流れに乗って葉っぱは流れていく。


 どうか、これからもフランツと一緒に一緒にいられますように、と心の中で秋の女神様に祈った。


 川岸にひっかかっちゃうかなと思ったけどカエデの葉は上手く岸から離れて、くるくるとまわりながら流れに乗って滑るように流れていく。


 葉っぱが波にあおられながらも段々小さく見えていくのを二人で見送っていたら、フランツがぽつりと呟くのが聞こえてきた。


「さっきの話だけどさ」


「え? さっきの?」


 なんの話だろう? きょとんとしてると、フランツはどこか照れくさそうに水面をみつめながら小さく笑う。


「カエデが嫌じゃなかったらさ……」


「ん?」


 川辺にしゃがんだまま、膝を抱いてフランツの言葉を待つ。


 彼は頭の中で考えていることを口にするのを迷っているようだった。

 拾った小石を手の中でポンポンと小さく投げてもてあそぶと、立ち上がって思い切り投げた。水面すれすれに勢いをつけて飛んでいった小石は、何度か水面を跳ねたあとポチャンと水の中に沈んで見えなくなる。


 うわぁ、水切りっていうんだっけ、それ。フランツ上手いなぁ!

 感心して小さくパチパチと拍手すると、彼は「へへっ」と笑ったあと、こちらに向き直る。その顔はわずかに上気していて、数秒迷ったあと、彼が意を決して口にしたのは。


「その……うちの父に正式にカエデを紹介したいんだけど、どうかな……。それって、その結婚前提にってことになるけど……」


 ためらいがちに紡がれたフランツの言葉。


 え、それってプロポーズってこと……?


 驚いて立ち上がったまま、私は彼をみつめたて何度か瞬きした。

 思考が一瞬停止する。うすうすそういうことになったらいいなって希望や期待はあったけれど、いざそれをフランツの口から聞くと、頭の中が真っ白になってしまった。


 でもそれもほんの一瞬のことで、じんわりとフランツの言葉が胸に染みこんでくると、私の口元に笑みがともる。


 彼の目は自信なさげで、私の反応をドキドキしながら待っているのがよくわかる。


 そうやってあなたは、いつも私の気持ちを一番に考えてくれるよね。自分の考えは伝えつつも、絶対無理強いしたりしない。いままでも、そしてこんなときでさえも。


 そんな彼となら、実家や父親と上手くいっていない事情とか、貴族のルールとか、そういう面倒なことがこれから山ほど待っているのが予想できていても、大丈夫って思えてくる。そんなもの障害に思えなくなるくらい、彼とずっと一緒にいたいって思うから。


「さっきも女神様に願ったでしょ? いつまでも一緒にいたい、って」


 にこやかにそう伝えると、フランツの顔にも嬉しそうな笑みが広がった。そして、彼は私を抱き寄せると、愛しげにぎゅっと抱きしめる。


「ああ。女神様、俺たちの願いを叶えてくれるといいな」


 私も、彼の背中に手を回す。


「大丈夫だよ、きっと」


「そう信じてる」


 彼はそう言って、ちょっと泣きそうな顔で笑った。

 でも、それも一瞬のこと。フランツは急にすっと表情を引き締めると、鋭い視線を少し離れた茂みへと向けた


「……それにしても、さっきから気になってんだけど、アレはなんなんだろうな」


「へ?」


 彼が何を言っているのかわからず、聞き返す私。だけどフランツはそれに答えるより早く、私を離すと茂みの方へと足を向けた。


 そのとき、その茂みがひとりでにガサゴソと動いたかと思うと、茂みの中から人影が飛び出してきて一目散に河川敷を走って逃げていった。


 え? 誰かそこに隠れてたの!?


 驚きのあまり呆然とするしかできない私と違って、フランツは素早くその人影を追いかけ、すぐに追いつくとそいつの首根っこを掴んで引き留めた。


「盗み見って、趣味悪いだろ」


「ち、ちがうっ。そんなつもりはなかったんだ! 僕はただ、そこのカエデに用があって話しかける機会をうかがっていただけで、その、お前たちの逢い引きを見るつもりは……」


 フランツに捕まって、しゅんとうなだれている人物を見て、私は「あ!」と声を上げた。


 ひょろっとした身体つきに、ウェーブの掛かる柔らかなブラウンの髪。

 申し訳なさそうな……というか、フランツをおどおどとおびえた目で見ているのは東方騎士団の金庫番。ベルナードだった。









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