第100話 月夜の告白
「わぁ。涼しい!」
会場の脇にあるドアから外に出ると、広いテラスがあった。
城外から吹き付けるさわやかな夜風が心地いい。
満月の光で辺りはほんのりと明るさがあるし、テラスのあちこちには篝火も焚かれているから歩くのに支障はなかった。
テラスの向こう側に広がる景色に惹かれて、石造りの柵のところまで歩いて行く。
「うわぁ」
そこから城下の景色が見渡せた。すぐ下に王城を取り巻く庭があって、衛兵さんたちが行きかう壁のさらに向こう側には王都の街の明かりが広がっている。城の後方には王城の傍に立つ搭のシルエットも見えていた。
きっと昼間なら、もっとよく城下の景色が見えるんだろうな。
そのとき、下から「メェェェェェ」という音が夜風に乗って耳を掠める。
「ん?」
どこかで聞いた声。どこから聞こえたんだろう。
柵から少し身を乗り出してテラスの下を覗くと、庭の左手に小さな家畜小屋があって、その前に飼い葉の山が積まれていた。その山の上に小さな生き物がちょこんと乗っかり、飼い葉を食べているのが見える。篝火の薄赤い光の中で毛色まではよくわからなかったけど、あのシルエットは見覚えがあった。
「あれ。モモじゃない?」
「え。どこ?」
私が指さすと、フランツも柵から身を乗り出して庭に目をやる。
「あ、ほんとだ。おーい。モモー!」
フランツが声をかけると、仔羊はキョロキョロと辺りを見回した後、上に首をもたげてようやく私たちの姿を見つけたようだった。そして、メェェェェェともう一声鳴くと、再び頭を下げてもっしゃもっしゃと草を食べ始める。
あの食いっぷりは、やっぱりモモだ。
「モモ、こんなところにいたのね」
「ああ、王城が買い取って、その代金も併せて復興資金としてバロメッツの被害にあったところに渡すって聞いたよ」
フランツの髪を、下から吹いてくる爽やかな風が揺らした。
「そっか。ミュレ村にも、きっと届くよね」
少しでも復興の足しになってくれるといいなぁ。
私もこれからは王城に毎日通うことになるだろうから、またモモにも会いに来れるね。
風になびく髪をかき上げて耳にかけると、腕にしていたブレスレットがシャラリと軽やかな音を立てる。ああ、この音。どこかで聞いたことがある音だと思ったら、硝子草の奏でる音に似ているんだ。
顔を上げると、ここから一望できる王都の夜景に再び目を奪われる。東京のような華やかさはないけれど、どこか温かみのある淡い明かりの海。
しばしの沈黙のあと、先に口を開いたのはフランツだった。
「それ、つけてくれてるんだな」
「え?」
彼に視線を戻すと、フランツははにかむような目で私の左手首にあるブレスレットを眺めていた。
私はそっとそのブレスレットを右手で包み込むように触れる。シャラリとした感触。もうすっかり手に馴染んでいて、自然と顔が綻ぶ。
「当り前じゃない。私の大切な宝物だもの。これをつけてると、離れていてもフランツのことを傍に感じられる気がするの」
二人だけでいるせいか、いつもなら言わないようなことまでするっと口をついて出てしまう。
「俺もさ。持ってるよ」
フランツはそう言うと、自分のズボンのポケットから何かを取り出した。彼が手のひらに載せて見せてくれたのは、私が前にあげた硝子草のポプリだった。風がふわりと硝子草の香りを辺りに漂わせる。
「まだ持っててくれたんだね」
「当り前だろ。俺の大切な宝物なんだから」
お互い、同じセリフ。同じ気持ち。どちらからともなく笑みがこぼれて、二人で笑いあった。
「同じだね」
「ハハ、ほんとだ」
ひとしきり笑ったあとだった。
「幸運の羊、か……。俺にも力を貸してくれるかな」
ぽつりとフランツがそんなことを呟いてモモの方をちらりと見る。え?何のこと?と思ったけれど、それを尋ねる前にフランツがこちらに顔を戻した。その表情がスッと引き締まる。
「カエデ」
私の名前を呼ぶその声が、いつになく真剣な響きを帯びていた。とたんに心臓が、トクンと大きく波打つ。
「なあに?」
どうしたんだろう? さっきまでと雰囲気の変わった彼に、私は少し戸惑いながら彼の言葉を待った。
フランツは手のひらのポプリをじっと見つめた。
「本当はさ。これもらったときに、言おうと思ったんだ。結局、勇気が出なくて言えなかったけど……でも、いつまでも自分の気持ちを誤魔化すのは、もうやめなきゃな」
そう言うと、フランツはそっと私の右手をとると静かに私を見つめてくる。
その翡翠色の瞳から目を離せず引き込まれるように見惚れていたら、彼は腰を落として片膝を地面につけると私を見上げた。
そして、どこか緊張した面持ちで小さく笑んだあと。
「カエデのことが好きだ。何百本の硝子草を束ねても伝えきれないくらい、キミのことが好きなんだ」
真摯に告げられた言葉。
息が出来なくなりそうだった。私は、ぱくぱくと口を動かすだけで何も答えられない。心臓が早鐘のよう。じわっと目に涙が溜まって、溢れそうになる感情を押し止めるので精一杯だった。
でも、答えなきゃ。彼は私の返事を待っている。
何て答えるの?
そんなの決まってる。
私は触れている彼の手をぎゅっと握り返した。
こくんとうなずくと一粒涙が頬を伝って、そのまま精一杯微笑んだ。たぶん、うまく笑えてない。どういう顔をしていいのかわからない。でも、
「私も、フランツのことが好き」
精一杯、心からの言葉で返した。
途端に、彼は感極まったように立ちあがると私を抱きしめる。
私も彼の背中に手を回した。彼の背中はとても大きくて、とても温かい。
彼の鼓動がすごく近くに感じられて、ただもう彼のすべてが愛おしかった。
と、そのとき。
突然、パーンという音が頭上に響いたから、びっくりして彼の身体にしがみついてしまう。
「きゃっ。な、なにっ⁉」
「ああ、花火だよ。こういうパーティのときは、よく打ち上げるんだ。ほらあそこ」
フランツが指さしたのは王城の両側に立つ搭の最上階。そのときまた、パンパーンという音とともに頭上で赤や青の光が弾けた。でもそれは私がよく知っている花火とは違っていて、二つの塔を中心にまるで王城全体を包み込むように色とりどりな光の波紋が広がる。
「これ、アクラシオンで見た工房通りの魔石の光と同じ原理だよ。あれをもっと大きくしたやつ」
「あ、なるほど!」
アクラシオンの工房では職人さんたちが魔石を加工するたびに鮮やかないろんな色の光が店の外まで広がって幻想的だったっけ。あの技術を応用して、こうやって花火のようにしているみたい。
その幻想的な光に包まれ、彼と見つめあう。
そしてゆっくりと唇を重ねあった。
顔を離すと、急に照れ臭くなって、お互い笑みを交わしあう。
こうして触れているだけでも今まで以上に彼を近くに感じられた。
いつまでも二人きりでこうしていたかった。だけど、
「そろそろ戻んなきゃ、ダメかな」
フランツが小さくため息交じりに呟いた。考えてみたら、テラスに出てからもう結構な時間が経っているものね。一緒にいるとつい時間を忘れてしまうけれど、心配して探されていたら大変。
「うん、そうだね。戻ろうか」
「行こう」
差し出された彼の手に自分の手を重ねて、握り合う。
彼と並んで歩きながら、これからもずっとこうやって彼と一緒に歩いていけたらいいなって、そんなことを思っていた。
思えば、彼にウィンブルドの森でお姫様だっこされてからというもの、ずっと一緒にここまできたんだものね。
フランツとなら、これからもどこへだって行ける気がする。
数日後には、王城での新しい仕事も始まるはず。不安もあるけれど、それ以上にこれから始まる新しい生活と、そして私たちのこれからに胸が高まるのを抑えられなかった。
【第二部 完】
※続編につきましては、鋭意製作中です。
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