第91話 ずっと渡したかったんだ


 その日の夕方。

 ミュレ村の人たちが私たちへの感謝のしるしとして、宴会を開いてくれた。幸い去年仕込んだ地酒が残っていたとかで、それに合わせて食料用に残してあったキングビッグ・ボーの肉を使って串焼きや煮込み料理をふるまってくれた。


 私も料理を手伝おうとしたんだけど、村の女性たちにお客様は座っててくださいって宴会場になっている大焚き火の傍に戻されちゃった。


 キングビッグ・ボーは煮ても焼いても、肉汁たっぷりでやわらかくてとっても美味しい。地酒はにごり酒のようで少しとろっとした白濁したお酒。少し口をつけてみたけれど、舌触りはなめらかなのに思った以上に度数が高い! だから何口か飲んだだけで、顔が熱くなっちゃった。

 村の人たちが次々に運んでくれる大皿料理をあれこれ食べていたら、すっかりお腹いっぱい。


 もう宴もたけなわになりつつあったので、少し酔いを醒まそうかなと思って宴会場から離れることにした。にぎやかで楽しそうなみんなの声を背後に聞きながら、村の中を歩いていると井戸のところにたどり着く。その井戸のへりにもたれて、空を見上げた。今日は昼間はもくもくと入道雲が出ていたけど、今は西の空に赤い雲がたなびいている。藍色のグラディエーションで夜へと変わっていくところだった。


 お酒で火照った身体に、ひんやりとした夕方の風が心地いい。

 ゲルハルト団長とダンヴィーノさんは気が合うみたいで、二人で楽しそうに杯を交わしてたっけ。団長、飲みすぎて明日二日酔いにならなきゃいいけど。

 ナッシュ副団長はオットーさんや村の人たちに囲まれていた。いままでずっと慌ただしかったから、故郷の人たちとゆっくり話をする暇もなかったんだろうな。


 フランツはお酒を飲んでも相変わらず陽気で楽しそうだし、クロードはどんだけ飲んでも顔色一つ変えない。あの二人はお酒が入ってもいつもとあまり変わらないよね。

 アキちゃんとテオはまだお酒を飲めないから、このあたりで採れるという柑橘類のジュースを飲んでいた。私も一杯もらってみたけど、強めの酸味の中にさわやかな甘さがあって飲みやすかった。


 サブリナ様とレインはいつものように紅茶を飲んでいらっしゃるなぁと思っていたら、なんと地酒入りの紅茶だった! 「私あまりお酒に強くないから。でもこうやって飲むのもおいしいのよ」なんてほんのり頬を染めてらしたサブリナ様は可愛らしくてつい抱きしめたくなっちゃいそう。


 そうやって宴会のみんなの様子を思い返していたら、突然、「カエデ」と声を掛けられる。

 風にあおられる髪を手でなでつけて振り返ると、フランツがこちらに歩いてくるところだった。


「どうしたの? 気持ち悪いの?」


 どうやら私が酔って気持ち悪くなったと思って、心配して見に来てくれたらしい。

 ううん、と首をゆるゆると横に振る。


「少し酔っちゃったから、醒まそうかと思って」


「そっか」


「フランツは、もういいの?」


「ああ。もう腹いっぱい」


 そういって、彼はひょいっと井戸のへりに腰掛ける。

 私はもう一度、空を見上げた。西の空に太陽が少しずつ沈むに合わせて、空のグラディエーションは段々と赤から紺へと塗り替わっていく。

 夕焼けが綺麗に見えるのは、きっとこの世界の空気が私が元住んでいた世界よりもずっと澄んでいるからなんだろうな。


「カエデは、よく空を見上げているよね」


「うん。昼の雲も、夕焼けも、星空も。どれもすごく綺麗なんだもん。でも、空だけじゃないよね。この前までいたムーアの森も、青の台地も、硝子草の丘も、アクラシオンの工房通りもどこもすごく綺麗で。次はどんな景色に会えるんだろうって、考えるだけで楽しくなるの」


 きっと。この数か月、西方騎士団の一員としてあちこちを巡って見たたくさんのものを私は一生忘れないにちがいない。


「このあと。何年経っても、何十年経っても。宝箱から大切な宝物を取り出して眺めるようにこの遠征のことを思い出すんだろうな」


 そう言って彼に微笑むと、彼はなんだか眩しそうな眼をしてこちらを見ていた。


「俺も、騎士団の遠征には何度も参加してきたけど、今回ほど大変で……でも楽しかった遠征はなかったなぁ。なぁ、カエデ。ちょっと、目、つぶっててくれないかな」


「え?」


 急にそんなことを言われて戸惑うけれど、フランツが目で「お願いっ」って言ってきているのがありありと分かったから、


「う、うん。わかったわ」


 ぎゅっと目をつぶる。フランツが何かガサゴソしているのが気になって薄目を開けたくなったけど、


「まだ見ちゃだめだよ」


 って、念を押して言うからもう一度ぎゅっと目を閉じた。

 それから少しして。


「はい。開けていいよ」


 そっと目を開けてみると。

 私の左手首に可愛らしいブレスレットが輝いていた。

 草花が絡み合ったような繊細なデザインの銀細工で、銀で形づくられた小さな花がとても可愛らしい。そこに実のようにオパール色の魔石がついている。

 その造形に見覚えがあって、あっと声をあげる。


「これ! アクラシオンの⁉」


 そうだ。フランツが妹のリーレシアちゃんへのお土産を選んでいるときに入った工房でみつけたブレスレットだった。

 デザインが素敵で手に取ったけれど、魔石のついたそれはとても高価だったしお金なんてもってなかったから。私はそっとその場に戻したんだったっけ。


「カエデ、あの店にいたときずっとソレ見てただろ」


「で、でも……こんな高価なものどうやって……!」


 そこまで言って、思い出した。

 フランツのお小遣い帳。そこには、リーレシアちゃんへのお土産代のほかに、使途のわからないお金がとってあった。

 あれは、私への贈り物を買うためにとってあったんだ……。


「カエデにお小遣い帳の使い方、教えてもらっただろ。だから、そのお礼……っていうか、その……キミによく似合うと思ったんだ。だから、受け取ってもらえないかな」


 フランツは頬を指で掻きながら私の様子を不安そうにうかがう。

 リーレシアちゃんのお土産だけじゃなくこのブレスレットまで買ったら、フランツが自由に使えるお金なんてあと少ししかないのに。これを買うために、街で飲むのも好きな画材を買うのもどれだけ頑張って節制してきたのか、彼のお小遣い帳をずっと一緒につけてきたからよくわかる。


 じんわりと滲みそうになった目頭をそっと指で拭って、フランツの顔を見上げた。

 つけてもらったブレスレットに右手でそっと触れる。


「ありがとう。フランツ。大事にするね」


 笑みを返すと、彼の表情も安心したように笑顔に変わった。


「もっと早くに渡すつもりだったんだけど、いろいろあってゆっくり話す暇もなかったから。でも、受け取ってもらえてよかった。突き返されたらどうしようって、ずっと不安で夜も眠れなかったんだ」


 あんな巨大なキングビッグ・ボーですら臆せず立ち向かえる彼が、そんなことでずっと思い悩んでいただなんてなんかおかしくてつい笑みが溢れそうになる。でも、フランツが私のことをリーレシアちゃんと同じように想っていてくれることが素直に嬉しかった。


 風に流れて、宴会場の賑やかな声がこちらまで流れてくる。

 私たちはしばらく宴会場には戻らず、そこでいつまでも他愛もないことを話し続けた。


 この日のことも、きっと、かけがえのない一生の思い出になるんだろう。フランツはそんな大切な思い出を私の中にどんどん増やしてくれる。私も彼にとって、そんな存在であれたらいいのにな。そんなことをこっそり、茜色の空に願った。




 その後、ルーファスは領主に突き出された。そして調査の結果、彼が使っていた計測器はやはり不正に大きな数値が出るよう改変されたものだったことがわかった。結局、彼は徴税請負人としての資格をはく奪され、長年にわたって不正に取り立てた税金をミュレ村に返還するよう罰が下る。しかも後の調査でルーファスが不正を行っていたのはミュレ村だけでなく管轄していた他の多くの村でも行われていたことが判明し、被害総額はとてつもない金額になったらしい。


 今後新しい徴税請負人の元で適正に税金が課せられるようになれば、ミュレ村の暮らしもずっと楽になるにちがいない。

 さらにコットー村長はルーファスから返還されたお金を使って、ナッシュ副団長がミュレ村へ流していた西方騎士団からの横領金の返還に充てることを決めたのだそうだ。


 こうして過去の負債を清算して、ミュレ村は新たな一歩を進み始めるのだった。

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