第86話 あたたかな笑顔
ダンヴィーノさんが買取代金を持ってミュレ村に戻ってくるのには一週間ほどかかるということだったので、徴税請負人のルーファスもそのころにまた来ると言い残して去って行った。
税金額が決まったので、キングビッグ・ボーの肉はさっそく運び出すことになる。
行商人さんと手の空いた団員さんや村人たち総出で荷馬車に積み込むと、教会にあった肉の山はどんどん減っていって、見る間に空になってしまった。
あのバロメッツの木は黄金羊が生まれたあと急速に枯れていき、数時間もすると粉々になって崩れ落ちてしまったらしい。
そしてあの黄金の仔羊はというと、相変わらずよく餌を食べていた。
「こいつ、本当によく食うよなぁ」
フランツが呆れた様子で、両手いっぱいに持ってきた飼い葉を仔羊の前に置く。
「メェェェェェェェェェェェ」
仔羊は嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねながら鳴くと、飼い葉に頭を突っ込むようにして食べ始める。
近くに繋がれている馬たちもその食いっぷりを見とれるくらい、黄金の仔羊はその小さな体からは想像できないほどたくさんの飼い葉を食べる。
「生まれたばかりだから、お腹すいてるのかな」
傍にしゃがんで黄金色した毛並みを撫でると、濃密な毛が手をやさしく包み込んでくれる。いつまでも撫でていたくなるほどふかふかふわふわ。この触り心地、癖になりそう。
仔羊の方は私が撫でてもまったく気にした様子もなく、ずっと嬉しそうに飼い葉を食べていた。小さなしっぽが、ずっとフリフリ動いている。
「この子、いずれどこかに渡しちゃうんだろうけど、それまで何か名前つけてあげたいよね」
ずっと黄金の仔羊って呼ぶのも、なんだか言いにくいしね。
フランツは近くに繋がれているラーゴを撫でながら、「名前ねぇ」と首を傾げた。
「うん。なんか可愛い名前がいいな」
「じゃあさ。金色で丸っこいから、金た……」
「待って。ちょっと待って」
フランツが言おうとしていることを察して、慌てて止めた。うん。こっちの言語ではソレが男性のあそこを意味する隠語ではないことは知っているけど。でも、その名前は、私がやめてほしいの。そんなの恥ずかしくて呼べるわけがないじゃない!
「お願い、他の名前にしよう? ね? そうだな……『モモ』とかどうかな」
「モモ?」
「うん。私の元いた世界では『桃』のことをそう呼ぶんだ。桃って白っぽいのから黄色っぽいのまでいろんな色があるけど、私、この仔羊の毛並みみたいな黄金色したやつが一番好きだったから」
というわけで、黄金の仔羊の名前は『モモ』に決定した。
私たちがモモのそばでそんなやりとりをしていると、少し離れたところで子供たちが集まって団子のようになっていた。子どもたちはこちらを見ながら、ひそひそと何かを話しているみたい。
気になって、
「どうしたの?」
声をかけると、子どもたちの輪の中から一人の女の子が私のそばまでやってきた。見覚えのあるその顔は、ミーチャだ。
ミーチャは、私の傍で飼い葉を食んでいるモモの様子をうかがうようにしながら、もじもじと言う。
「あのね。そのキレイなこひつじさんね。……こわくないの?」
「大丈夫よ。おとなしい仔羊さんだもの。それに幸運をもたらしてくれる羊さんなんだって」
「……さわっても、だいじょうぶ?」
そっか。モモに触ってみたかったんだ。モモは黄金色のもこもこした毛並みをした仔羊。まるでぬいぐるみみたいに可愛いものね。
「うん。私たちがそばについてるから触ってごらん?」
「う、うんっ」
ミーチャは左手で私の服の袖をぎゅっとつかんだまま、恐々とモモに右手を伸ばす。
でもミーチャの手が触れても、モモは気にした様子もなく相変わらずマイペースに飼い葉を食べている。ミーチャは「さわれた!」とでもいうように目をキラキラと輝かせて私を見るので、うんと一つ大きく頷いて見せると、ミーチャも嬉しそうに頷き返した。
そして、はじめは恐々と指先だけだったミーチャの小さな手は、何度か撫でて大丈夫だとわかったのだろう、次第に手の平全体をつかってモモを優しく撫でるようになる。
そのミーチャの様子に安心したのか、他の子どもたちも駆け寄ってくるとモモを撫で始めた。
「うわーっ、やっわらけー!」
「かわいいねぇ」
「ふわふわだー!」
いくつもの小さな手が、代わる代わる優しくモモの毛を撫でる。
そのとき、モモが急に「メェェェェェェェェ」と一声鳴いたので、子どもたちも私とフランツも驚いてびくっとしてしまった。でも、モモは再び何事もなかったようにもっしゃもっしゃと餌を食べ始めたので、誰からともなく笑い声があがる。
その場には確かに、穏やかであたたかな空気が漂っていた。
その輪の中には、あの教会で一緒に避難していた顔がいくつもある。あのときはみんな緊張して強張った表情をしていたから、こんな風に心から楽しそうに笑っている姿を見ると何とも嬉しい。
フランツに目を向けると、彼も子どもたちとモモの微笑ましい光景に優しく目を細めていた。
怖いこともたくさんあったけれど、この子達の笑顔を守れて良かった。そう心から思った。
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