第78話 おかえり

 その声を聴いただけで、そこに誰がいるのかすぐにわかった。駆け出して飛びつきたかったけれど、でも、まだ子どもたちをご両親に引き渡していない。不安な子どもたちを置いていくこともできず躊躇ためらっていたら、トンと小さな手が私の腰のあたりを押した。


「え?」


 振り返ると、ミーチャの小さな手が私の背中に当てられていた。彼女は、にっこりと満面の笑顔で笑う。ちょっと歯の抜けた前歯がチャーミングだった。


「おかえりって、いうんでしょ?」


 他の子たちも、うんうんとみんなしきりに頷いていた。


「……みんな、ありがとう」


 みんなにお礼をいうと、私は扉のほうに歩いていく。すぐに足が小走りになって、彼の前まで駆け寄ると、一つ大きく息を吸って呼吸を整えてから、


「お……」


 って言おうとしたのに、それよりも早く彼に抱きしめられた。


「カエデー! 無事だった!? 怪我とかしてないか!?」


 血と汗の混じった匂い。それでも、間違いない。彼だった。

 私は彼の背中に手を回すと、強く抱きしめる。


「おかえり、フランツ」


 疲れ交じりの、でも満面の笑顔で彼も応えてくれる。


「ああ。ただいま、カエデ」


 そこに扉が大きく開かれ、私たちの両側からどっと大人たちが教会の中へとなだれ込んできた。


 彼らは教会の奥に子どもたちをみつけると、声にならない声をあげながらわが子の方へと駆け寄り、子どもたちを抱きしめ、ほおずりをし、抱き上げた。

 子どもたちの両親が戻ってきたんだ。

 どの子の顔も安どと笑顔であふれていた。


「ミーチャ!」

「おかあさん! おとうさん!」


 ミーチャも駆け寄ってきたママとパパに抱き着くと、ぎゅっと抱きしめていつまでも離れなかった。


 よかった。みんな、ママとパパにおかえりって言えたんだね。よく頑張ったものね。

 その光景をフランツと二人で目にして、もう一度彼と微笑みあう。


 フランツも、村の人たちも、みんな無事で本当に良かった。互いの無事を確認できたことで、いままで抱えていた不安も恐怖だけでなく、疲労さえもすべて消えてしまうような心地。


「魔物たちはもう大丈夫なの?」


「ああ。あらかた片づけたよ。バロメッツの木ももう枯れ始めてるから、これ以上魔物が集まってくることもないだろ」


 良かった。『プランタ・タルタリカ・バロメッツ』の危機は完全に去ったんだね。

 そこへ、怪我人の看病をされていたサブリナ様もいらっしゃる。


「レインはどこかしら。手に負えないほどの怪我人が出ていなければいいのだけど」


「はい。レインが馬で立ち回りながら治癒してくれたので、現状、それほど重傷な者は出ていないと思います。たしかあっちの方に怪我人を集めてたので、今ご案内しますよ」


 フランツがサブリナ様を案内するのに、私もついていった。

 村をぐるっと囲む壁の一角に穴があけられていて、今はそこから騎士さんや村人たちが出入りしていた。そっか。街を襲ってくる魔物がいなくなってしまえばもう、壁は必要ないものね。

 その壁の内側の一角に怪我人が集められていて、レインがヒーラーの力で癒している最中だった。


「お疲れ様。みなさんのケガの具合はどう?」


 サブリナ様に声をかけられて、レインは施術を続けながら小さく肩をすくめる。


「今回は、魔力回復のポーションが何本もありましたし、カエデからも治療用ポーションを補給できたので、僕一人でもなんとかなりました」


「そう、よかったわ。ありがとう。でも、あとは私に任せて。私の方は魔力にもまだ余裕があるから、軽い怪我の方も含めてみんな治しちゃいましょう。ああ、その前に」


 サブリナ様はレインの頬に手を当てると、そこにあった五センチほどの切り傷をあっという間に治してしまった。


「自分のケガも後回しにせず、ちゃんと治さなきゃだめよ?」


 そう少女のように微笑むサブリナ様に、レインは申し訳なさそうに苦笑する。


「はい、マダム」


 そんな二人のやりとりを見ていて、私はハッと隣のフランツに目を向けた。


「そうだ。フランツは? 怪我とかしてない? 大丈夫?」


 ペタペタと彼の身体に触れる。本人が至って元気そうだから怪我をしてるようには見えないけれど、シャツのあちこちに赤黒い血のシミがあるんだもん。心配になるよね。

 シャツをめくって確認しようとしたら、


「げ! や、やめてっ……大丈夫だからっ!」


 顔を赤くしたフランツに抵抗されてしまった。


「そう? これだけ血がついてると、怪我が紛れててもわからないじゃない?」


「痛みでわかるって! いくつか切り傷はあったけど、もうレインに治してもらったから大丈夫だよ。……そうだ」


 私がめくったシャツを直しながら、フランツは何か思いついたという顔をした。


「今ならまだ間に合うかも。カエデ。今からちょっと行ってみたいところあるんだけど、一緒にくる?」


 突然そんなことを言われて、私は目をぱちくりさせる。


「え? どこに?」


 不思議そうにしている私に、フランツは、


「行ってみてからのお楽しみ」


 と言うなり、指笛を吹いた。馬たちは集まって村の片隅に用意された水桶から水を飲んだり飼い葉を食べたりして休んでいたけれど、その群れの中からラーゴがこちらに駆けてくる。

 フランツはすぐにラーゴに乗り込むと、私に手を差し出した。


「さあ、乗って」


※※※※※※※※※※※

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