第77話 大切な人
紙の束にはムーアを描いたもの以外にも、いろいろな絵がある。
そのほとんどが、この西方騎士団での遠征で私が見たものばかりだった。
アクラシオンの街の幻想的な魔石の工房通り。
ヴィラスの街の近くにある硝子草の丘。
高原の景色に鮮やかな青色が重なる青の台地。
それに、遠征の中で出会ったカーバンクルをはじめとする、様々な魔物や生き物たちの絵もあった。
それらの絵を一つ一つ、そのときの景色や様子を話しながら子どもたちに見せていった。
子どもたちは、私の話を聞きながら熱心に絵を見つめ、初めて見る風景や生き物たちの姿に心を奪われている。
いつの間にか時間を忘れて、私たちは絵に夢中になっていた。
どれくらいの時間が経っていたんだろう。時間の感覚もあやふやになりだしたころのこと。小さな男の子がぽつりと呟いた。
「……かあちゃんたち、どこにいっちゃったの?」
その言葉に、それまできらきらと輝いていた他の子どもたちの目も急に陰ってしまう。
もう私たちがこの教会に籠ってから、かなりの時間が経っていた。いつしか、地響きのように絶え間なく続いていた振動も感じなくなっている。
建物の外に耳を澄ませてみても、何も聞こえない。シンとするほどの静けさが逆に恐怖を煽ってくる。外の様子を見に行ってみたい気持ちもあるけれど、子どもたちを置いていくわけにもいかない。
私は、その子の手をぎゅっと握った。
みんなよく頑張ってるもんね。でも、もうそろそろ限界だよね。
「お父さんもお母さんも、村のお仕事をしに行ってるんだよ」
今度は別の女の子が聞いてくる。
「なんのおしごと? おうちつくるの?」
その言葉になんて答えようと言葉を選んでいたら、すかさず一番年長と思しき男の子が先に答えた。
「村の外に、すげぇ魔物がいっぱいいるんだよ。だから、俺たちは隠れてなきゃダメなんだ」
強く言う彼の言葉に、小さい子たちもしゅんとなる。
再び立ち込めてしまった重い空気。私はその空気をなんとか振り払いたくて、努めて明るく声をかける。
「みんなのお父さんもお母さんも、大切なみんなを守りたくていま頑張ってるんだ。だから、私たちは終わるまでここで待っていよう? きっと、あと少しで終わるよ。そうしたら、みんなを迎えにきてくれるから」
あと少しで終わる。その言葉に、子どもたちの空気が少し和らいだ。
なんとかまだ彼らの気持ちを保たせられたみたい。ほっと胸をなでおろしたところで、隣に座っていたミーチャがついついと私の服を引っ張ってきた。
「おねえちゃん。おねえちゃんにも、おとうさんとおかあさんはいるの?」
「うーんと……。うん、いるよ。いまはもう、遠く離れてしまったけどね」
もう二度と会うことはできないのかもしれない。それを以前は寂しく思ったこともあったけれど、いまはもう、あちらで元気に生きていてくれたらいいなとそれを願うばかりになっていた。もしかすると私がこちらの世界に来てしまったことで、気苦労や心配をかけてしまっているのかもしれないから、それだけはもうひたすらに申し訳なく思っている。
「じゃあもう、おねえちゃんのことをたいせつにしてくれるひといないの?」
ミーチャは気遣うような視線で私の顔を見上げる。こんな非常事態なのに、ほかの人を気遣えるなんて、なんて気持ちの優しい子なんだろう。
ミーチャの気持ちがありがたくて、私は彼女の頭をそっと撫でた。
「ううん。いるよ」
大切な人、大切に想ってくれる人ならすぐにいくつもの顔が脳裏に浮かぶ。いま、礼拝堂の隅で重傷者たちのお世話をしてらっしゃるサブリナ様だってその一人。いまでは、もう一人の母親のようにすら想っているもの。
でも、真っ先に思い浮かんだのは、やっぱりフランツだった。
その彼はいま、最前線の一番危険なところで戦っているはず。前衛として剣を手に、魔物に立ち向かい続けているんだろう。怪我をしてなければいい。ううん。怪我するのは仕方なくても、生きていてほしい。ずっと堪えていた不安や心配がグッと胸の中に溢れそうになった。けれど、子どもたちの前でそんな姿なんか見せられない。
「その人もいま、戦ってるの。この村のみんなを守るために今も必死で戦ってる。……だから」
下を向いていたら涙が零れ落ちそうだったから、少し上向き加減に前を向いた。
そうしたら、自然と笑みがこぼれた。
「私は魔物と戦ったりはできないけど。いまは元気に生き延びて、そして、帰ってきた彼に『おかえり』って言ってあげたいんだ」
子どもたちはきょとんと私を見ていたけれど、ミーチャが「わたしも。おかあさんとおとうさんに『おかえり』っていうんだ」と応えてくれたのを皮切りに、ほかの子たちも僕も私もと口々に言い出した。
そんな様子を微笑ましく眺めながらも、つっと思考はフランツへと戻る。
私には剣を手に取って一緒に戦う力もなければ、サブリナ様たちのように傷を癒す力もない。だから、こういうときは彼の無事を祈ってただ待つしかできないけれど。
彼の描いた絵に指で触れる。少しだけ、彼に触れているような気持ちになった。
あなたが私を大切にしてくれるように、私もあなたを大切に想いたい。
あなたが私を守ってくれているように、私もあなたを守りたい。
あなたが自分らしくいられるように。ずっと笑顔でいられるように。
傍でずっとあなたを支えていけたらいいのに。
そんなことを考えていた、そのとき。
教会の大きな両開き扉が開かれて、外の日の光が筋となって薄暗い室内に差し込んできた。
その光を背に、誰かの影が浮かび上がる。
逆光になっていて顔はわからなかった。
だけど、
「カエデ? ここにいるの?」
その声に私は弾かれたように立ち上がった。
ずっと待っていた、聞きたかった声だった。
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