第76話 みんなでお留守番


 私はミーチャのママに、子どもだけで留守番しているおウチの子たちを教会で預かるから連れてきてほしいと頼んでみた。

 そうしたら彼女は力強く頷いて、村のみんなに声をかけてみると約束してくれたんだ。きっと、他の人たちも家に残してきた子どもたちのことが心配だろうから、って。


 それからしばらくして、ミーチャと二人で教会の前で待っていると、次々と村の人たちが子どもを連れてきた。


「ここで大人しく待っているだぞ」

「うんっ」


 そんな言葉を交わして、私の元に預けられていく子どもたち。

 みんな不安そうに、現場に戻っていく親たちを見送っていた。


 でもね。


 誰も泣かないんだ。下はようやく歩き始めたくらいの子から、上は十歳くらいの子までいる。集められた子供たちは三十人近くにのぼった。

 でも誰も泣かないの。鼻をすすっている子はいるけれど、ぐずったりもしていない。

 ただ硬い表情をしてみんな一様に黙っていた。小さなこぶしを、ぎゅっと握りこんでいる子もいた。


 みんな、こんな小さくてもわかっているんだろう。

 いまのこの緊迫した空気。この村が生き残れるかどうかの瀬戸際。動ける大人たちは誰もが手伝いに行ってしまっている。

 だから、いまは甘えることもわがままを言うこともできないんだ、って。

 その恐怖と不安を、その小さな背中に抱えて頑張っている。


「さあ、みんなこっちへおいで」


 私は務めて明るい声で、子どもたちを教会の中へと誘った。

 教会の礼拝堂には怪我をした人たちも多数連れてこられてるけれど、重傷者はみんなサブリナ様のヒーリングの力で症状は落ち着いたみたい。軽傷の人たちも、私が手当てしたあと、動ける人はまた壁を守りに出て行ってしまっていた。その様子を見てサブリナ様は「本当は全員治してあげたいけれど」と申し訳なさそうに言ってらしたっけ。


 彼女の力があれば、軽い傷などすぐに治せてしまうだろう。

 でも、外にいるレインがポーションを求めてきたということは、彼の魔力も残り少ないということ。今後レインの魔力が尽きてしまったり、彼の手に負えないような重傷者が出た場合、サブリナ様の力が必要になる。そのときのために少しでも魔力を残しておかなければいけないのも確かだから。


 お預かりした子どもたちは、怪我した人たちが使っていない教会の奥のスペースに集まってもらった。そこに輪になってみんなで座る。

 子どもたちは、私の指示におとなしく従ってくれていた。でも、その顔は一様にこわばり、無表情。大きな音がするたびに、跳ねそうなくらい身体を大きくびくつかせる子もいる。


 どうにかしてこの子たちの気を紛らわせられないかな。何か絵本のようなものでもあればいいんだけれど。教会の中を見回してみたけど、そんなものは見当たらなかった。

 それなら昔話でもしてあげようか。この世界の童話は全然知らないから、自分が子供のときに聞いた童話になっちゃうけど。


 まだ教会の外からは、大小さまざまな振動や音、魔物の嘶きが聞こえてくる。それらがいやおうなしに、この村のすぐ外で危険な魔物たちが暴れている現実を思い起こさせる。

 だから、うんと明るい話にしたかったんだ。いま、この瞬間だけでも気分が晴れるような。ここじゃない、どこか遠くの世界に思いを馳せて現実を一瞬でも忘れられるような。


 そこで、ふと思い出した。


「そうだ。ここじゃない世界。あるじゃない」


 私はバッと立ち上がると、教会の隅まで急いで駆けていく。そこには、さっきレインにポーションを渡したときに出したリュックの中身がまとめて置いてあった。

 その山の中を探すと、すぐに目当てのものが見つかる。


「あった! これだ!」


 手に取ったものは紙の束だった。私がもっている数少ない私物、使い慣れた食器や服の予備といったものは運搬隊の荷馬車に置いてきてしまっている。でもこれだけはどうしても手放せなかったから一緒にもってきたの。

 その紙の束を胸に抱くと、自然と口元に笑顔が戻ってくる。

 そうしていると、この非日常の中で、いつもの日常に戻れるような気がした。彼の、いつもの笑顔とともに。


「よしっ」


 そう声に出して景気づけると、子どもたちのところへ戻っていく。心なしか、さっきよりも足取りが軽い気さえする。


 不安そうな小さな目で私を待っていた子どもたち。その輪の中に戻ると、その紙の束を真ん中に置いた。

 白い表面には、私が書いた表や数字が並んでいる。これは、騎士団の帳簿を書き写したものだからね。でもみんなに見せたいのは、こちら側じゃないんだよ。


 子どもたちの目が、なんだろう? とその紙の束に集まる。

 その束を、ひっくり返した途端。みんなが息を呑んだのが分かった。


「わぁ……」

「きれい……!」


 そこには、紙一面に巨大なムーアの木に作られた住居群の絵が描かれていた。

 これはフランツが描いた絵。

 彼はあちこちの景色や日常の一コマを絵に描いては、すぐに裏紙として使ってと言って私に渡してくれる。それをまとめてずっと持っていたんだ。


 その絵は、少し夕暮れがかったムーアの森のキャンプ地を描いたものだった。そびえたつ何本ものムーアの住居跡の窓からは洗濯物を干す団員さんや、あのカゴの仕組みを使って荷物を上階へ引っ張り上げている人といった、西方騎士団の人々の生き生きとした生活の様子が描かれていた。中央には大焚き火が焚かれ、その傍で調理班の従騎士さんたちが料理にいそしんでいる。この日のメニューはシチューかな? 香りまで漂ってきそう。さらにその横では捕ってきた魔物を解体している人や、焚き火を囲んで談笑している人たちもいた。


 写真もテレビもないこの世界では、他の地域の景色を見る手段は絵画くらいしかない。この子たちは、自分が住んでいるこの村のずっと向こうにはこんな景色があるだなんて、想像したことすらないのかもしれない。


 フランツによって精巧に書き込まれた、ちょっと前まで私たちが暮らしていた日常の景色。それが子どもたちの目をひきつけ、一瞬で心を捉えていた。


「あ、おウマさんだ!」


 ミーチャが声をあげて、一本のムーアの脇を指さす。

 そこには、馬の群れが描かれていた。その中に一頭いる真っ白な馬は、きっとラーゴがモデルだろうな。


「キレイなお馬さん……」


 女の子たちが感嘆の声を漏らす。


「その子はね、ラーゴっていう名前なんだ。とっても速いお馬さんなんだよ」


 今度は女の子たちだけでなく、男の子たちも目を輝かせて食いついてきた。


「ロイおじさんとこの、ジュジュより速い!?」

「ジュジュ、めちゃめちゃ速いんだよ!!」

「びゅーんて、風みたいなんだ!!」


 口々にそのお馬さんがいかに速いかを説明してくれる子どもたち。


「そんなに速いんだ。じゃあ、このラーゴっていうお馬さんもいまこの村に来てるから、戻ってきたらレースさせてみようか」


 そう提案すると、


「「「やったぁ!!」」」


 男の子たちはさらに大興奮だった。

 女の子たちは、そんな男の子たちをヨソに、あれこれお喋りしながらフランツの絵に見入っている。細かな書き込みに、「このお花、かわいい。なんていうお花だろう」「この人何してるんだろうね……歌ってるのかな」「あ、この人、窓の上からどこかに話しかけてるよ。誰と話してるんだろう」なんて会話しながら、次々と新しい発見をしていく。


 もうみんなの心は、すっかりこのムーアの景色に取り込まれていた。

 一瞬でこの場の空気を変えてしまったフランツの絵。

 外から聞こえてくる不穏な音も、振動も、いつしか気にならなくなっている。

 フランツが戻ってきたら、教えてあげたいな。

 あなたは今、大変な戦闘の最中にいるのでしょう。


 でも。でもね。


 あなたが描いた絵がこうして、たくさんの子どもたちの心を慰めて、癒してくれてるんだよ。

 あなたが描く絵は、それだけの魅力のあるものなんだよ。

 彼の絵を無我夢中で見ている子どもたちを眺めていると、温かな気持ちに包み込まれるようで、つい目の端に涙が滲みそうになってしまって。私はそっと、指で目じりをぬぐった。



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