第75話 私にできること
「あ、はいっ。私がカエデですが」
そう答えると、青年の顔がパッと明るくなる。
「あっちの壁の向こう側におる、レインっちゅう人が呼んでるから呼びにきただ」
「え、レイン!?」
レインは、たしか壁の外で騎士さんたちの治癒にあたっていたはず。彼が私を呼んでる?
「いま、行きます!」
薪はとりあえず脇に置いておくことにして、その青年についていった。
その途中に見えた村の景色は、ここに来たばかりの頃とは一変している。
あちこちに取り壊し中の家があった。あれはどうやら、壁補修用の木材を確保するために木造の家を壊しているみたい。さらに壁に近づくと、騎士団の人たちだけでなく村の人たちもたくさん働いているのが目に飛び込んできた。
男性も女性も、若い人もご年配の人もいる。みんなで、木の壁を厚く、衝撃に耐えられるように改修していっていた。それでも容赦なく、壁の向こう側から時折、ドンッという強い衝撃が当たるのがわかる。
走り回る魔物たちが次々に壁にぶつかっているんだ。
「今度はあっちだ! あっちが弱いぞ! 木材を回せ!」
指揮をとりながらも、自ら木づちで打つ手を休めないバッケンさん。
少し離れた壁の上には、立てかけたハシゴから次々と炎の魔法を繰り出しているナッシュ副団長の姿もあった。
私は青年に連れられて、とある壁の傍までいく。そこにもハシゴが用意されていた。
これを上れっていうことね。
魔物たちの足音が常に振動となって襲ってくる。ガタガタと揺れるハシゴをつかんで、一歩一歩上っていくと、壁の向こうの世界が見えてきた。
いっきに視界が広がる。
次の瞬間、その光景に息を飲んだ。
茶色のじゅうたんのように大地を埋め尽くしていた魔物たちは数が減りつつあるように見えた。その間を、馬で駆って魔物たちを村から離れるように追い込み、攻撃を仕掛けていく騎士さんたち。
そのさらに向こうに、いまも悠然と輝き続ける黄金の木が見える。初めに見たときより大きく感じるのは、距離が近いせいなのか、それともまだ成長を続けているのか……。
だけど目がひきつけられたのは、それじゃない。その木の前には、巨大な茶色のモノが二つ立ちはだかっていたんだ。はじめ、そんなところに山なんてあったかしらと不思議に思ったけれど、よく見るとそれらは動いている。なんと、その小山のようなものは、巨大なビッグ・ボーの形をしていた。
その牙は天にも届きそうなほど長く立派で、体格は何十倍あるのか見当もつかないほど小山のように大きい。
足元には普通サイズのビッグ・ボーが群れて大地を駆け回っていたけれど、その巨大なビッグ・ボーはバロメッツの木に群がってくるビッグ・ボーたちに襲い掛かると、大口をあけて次々と飲み込んでしまった。そのとたん、ぐんとまた巨大ビッグ・ボーの身体が大きくなったようにも思える。もしかすると、他のビッグ・ボーを吸収して大きくなっていっているのかもしれない。
あんなものが村を襲ってきたら、木の壁なんて容易に壊されてしまうだろう。
「……あれが、王……」
しかも二頭もいる。
その一頭がいま、どうっと大地を揺らして地面に膝をついた。その激しい振動にハシゴから振り落とされそうになって、慌てて壁にしがみつく。
巨大ビッグ・ボーの周りには、馬で駆け回る騎士さんたちの姿も見える。時折、放たれる魔法の光も。今、巨大ビッグ・ボーの前脚が白く凍ったようになったのは、クロードの魔法かもしれない。
きっとフランツもあそこで戦っているはず。
どうか、頑張って。フランツ。騎士団のみんな……。
ぎゅっと胸を押さえて、心の中で強く祈る。
そのとき、「カエデ!」と声をかけられて、私はハッと声のする方を見た。
レインだ。馬に乗ったレインがこちらに近づいてくる。
「カエデ! 会えてよかった。君も確かポーションを持ってきていたよね。僕が持っていたのはもう尽きてしまったんだ。そっちにあるのをこっちに譲ってもらえないかな?」
「大丈夫です! あります! ちょっと待っててください!」
教会ではなるべくポーションを使わずに手当てしておいて良かった。
まだ戦わなければいけない人の怪我を直すのが最優先だもの。
私は急いでハシゴを降りると教会に取って返して、ポーション以外のものをリュックから出し、ポーションだけをつめたリュックをもって一目散にハシゴへと戻ってきた。
壁の向こうに顔を出すと、まだそこにレインは待ってくれていた。
「はいっ、どうぞっ!」
投げ渡そうとしたちょうどそのとき、すぐ近くで炎の魔法がさく裂した。その火の粉と爆風でリュックが吹き飛びそうになったけれど、レインがうまく手を伸ばしてキャッチしてくれる。
「ありがとう」
そう彼は爽やかな笑顔で返すと、魔物たちが縦横無尽に走る戦場へと器用に馬を走らせて戻っていった。
みんな自分の役割を果たしている。私にもまだ何かできることはあるかな。まずは手当した人たちの様子を見に行こう。うん。
そう思いながらハシゴを降りていると、目の前を小さな女の子が歩いていくのが目に入った。
「えぐっ、……おかあさん、どこ……ひっく、ひっく」
六、七歳の女の子だった。涙を手で拭きながら村の人たちが集まる方へ歩いていく。あ、躓いて転んじゃった!
すぐに彼女のもとへ走りよると、手で支えてそっと起した。
その子は、土に汚れた顔をべちゃべちゃにして、まだ両親を呼びながら泣きじゃくる。
「大丈夫、大丈夫。ママたちは、これが終わったらすぐに来てくれるからね。大丈夫」
手足についた泥を払ってあげると、彼女を抱き寄せる。なんとか落ち着かせようと背中をトントンと撫でた。
とそこへ、一人の女性が慌てた様子で飛んできた。
「ミーチャ! あれほど、おうちにいなさいって言うてあったでしょ!?」
「おかあさん! もう、ひとりでいるのいや!」
ミーチャと呼ばれたその子は私の手を離れて、彼女に抱き着いた。彼女は優しい笑顔でミーチャをぎゅっと抱きしめた後、キッと表情をこわばらせてミーチャを離す。
「ミーチャ。母さんたちは今はやらなきゃいけないことがあるだ。だからおとなしく家で待っててな。おうちの中が一番安全なんだで!」
彼女はミーチャに言い聞かせようとするけれど、ミーチャは髪を振り乱していやいやをする。
無理もない。魔物たちが走り回っている絶え間ない振動に、壁にぶつかる激しい音。緊迫した大人たちの様子。きっと小さなミーチャも、この子なりに今直面している危機を理解して耐えてきたんだろう。でも一人で隠れているのも、怖くてたまらないに違いない。
そこで、ふと気になる疑問がわいてきた。
いま、村の人たちも総出で、この村に魔物たちを入れないように壁づくりに精を出しているよね。
じゃあ、その人たちの子どもたちは今どうしているの?
もしかして、このミーチャと同じように、怖い思いをしながら家の中でじっと留守番をしているの?
もし自分がこのくらいの子どもだったら、きっと怖くて溜まらなくて、ベッドにもぐりこんで頭から毛布をかぶって泣いていたかもしれない。
もしかすると強烈な記憶として残って、この危機が去った後も今日のことを思い出して怖い夢を何度も見てしまうかもしれない。いつまでも忘れられず心の傷になってしまうこともありうる。
そんな恐怖に怯えている子たちが、ミーチャ以外にもいるのかも。
「あ、あの……」
私はミーチャと彼女のママに話しかけた。
まだ、ママにしがみつこうとしていたミーチャと、娘を説得しようとして必死のママ。二人が同時に私の方に目を向ける。
私はできるだけ優しく見えるように笑顔をつくった。
「私はいま、教会で怪我人の手当てをしています。その手当てもひと段落したので、ミーチャちゃんを教会でお預かりしましょうか。あそこなら、建物も頑丈ですから、おうちで一人でいるよりもずっと安全だと思います」
そうなんだ。村の人たちの家は大小の違いはあっても、どれも簡素な木造。それに比べて、教会は石をくみ上げて隙間をセメントのようなもので埋めてある石造り。
再び魔物が村の中に侵入したときを考えると、家にいるよりも教会にいる方が安全なのは間違いない。
「いいんですか……」
まだミーチャのママは戸惑っているようだったけど、私は笑顔で頷き返す。そして、ママにしがみついていたミーチャへ手を差し出した。
「ミーチャちゃん。私と一緒に来ない? 教会には他にも人がいるから、寂しくないよ」
ミーチャは私とママを交互に見比べていた。しかし、ママはもう一度ギュッとミーチャを抱きしめるとその小さな額に優しくキスをした。
「ミーチャ。終わったらあとで、迎えにいくだでな」
「……うん。ミーチャ、お姉ちゃんと待ってる」
ミーチャは名残惜しそうにママから手を離すと、私の差し出した手を握り返してくれた。
ミーチャのママは、何度もお願いしますと私に頭を下げてくれる。
「いえ、そんな、頭を上げてください。……それよりも、ちょっとお願いがあるんですけど、よろしいですか?」
「はい……?」
彼女は不思議そうに小首をかしげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます