第4章 帳簿が合わない?
第48話 巨人の森
鳥のさえずりがあちこちから聞こえてくる草原の朝。
私は小川の傍にしゃがんで顔を洗うと、膝の上へ置いておいた布で顔を拭いた。
季節は夏まっさかり。朝早い時間なのにもうかなり蒸し暑くて、川の水のひんやりとした冷たさが心地良い。
そして、川の水面に顔を映すと首を傾けてクシで髪をとかす。
随分長くなったなぁ。
ここの世界に来たばかりの時は、肩につかないくらいの長さだった私の髪も、今はすっかり肩につくようになっていた。
その髪を手で後ろに軽く束ねてみる。
うん。そろそろ結んだ方がいいかもね。この方がすっきりして見えるし、なにより涼しいもの。
身支度を終えると救護班の荷馬車へと戻った。今は次のキャンプ地への移動中なので、荷物は全部荷馬車の上に積まれている。
荷台に上って、何か紐みたいなものがないかなぁと探してみたけれど、テントを立てるときにつかう麻紐くらいしか見つからない。
まぁ、いまはこれでいいや。と思って麻紐で髪を結んでいたら、それを見ていたサブリナ様に困ったような笑顔を浮べられてしまった。
「あら。髪を束ねるのも素敵ね。よく似合うわ。でも、可愛らしいリボンにした方がもっと素敵よ。ちょっと待っていてね」
そう言って早速何かを探しはじめてらっしゃるので、私は慌てて彼女を止める。
「サブリナさんっ。いまはこれで充分ですよ。何かのついでに良さそうなものが見つかったら、そのときお借りします」
「そう? でも、テントの紐じゃあんまりだわ。あ、そうだ、あれがあった」
まだ荷馬車の上をゴソゴソ探してらしたサブリナ様は、裁縫道具を入れてある小箱を引き出すとその中から一本の白いリボンを取り出した。
「これなんて可愛らしいんじゃないかしら。何かのフチ飾りに使おうと思って編んでおいたの」
手渡されたリボンをよく見てみると、細かな編み込みがされている。これ、レースだ! 編み込まれた草花の模様が可愛らしい。これを手で一針ずつ編むって相当時間かかったんじゃないだろうか。
「そんな、もったいないですよ!」
思わずサブリナ様の手に返そうとしたけれど、彼女はほがらかに笑ってそれを受け取ったあとくるりと私の後ろに回った。そして、私の髪を丁寧にまとめたあと、そのレースで結んでくださる。
「ほら。素敵でしょ? 黒髪だから、余計白い色が映えるわね。あら、鏡はどこに行ったかしら。あったあった」
小さな手鏡を貸してもらって見てみる。合わせ鏡ではないからしっかり後ろまで見えるわけじゃないけれど、首を横に向けると、愛らしく蝶々結びされたリボンが目に入った。麻紐に比べたら可愛らしさは比べ物にならない。
「本当に、いいんですか?」
「いいのいいの。暇つぶしに編んでいただけで、これといって使うあてもなかったんだから」
そうおっしゃるので、有り難くレースのリボンをお借りすることにした。
お洒落なことをするなんて久しぶり。リボンをつけただけなのに、自分でも驚くほど気持ちが華やかになった。
「ありがとうございます。あ、そうだ。朝ご飯、もらいにいこうと思ってたんだった。サブリナさんとレインの分ももらってきちゃいますね」
早くもらいに行かないと、なくなってしまう。本来人数分あるはずなのに、遅れた人の分は誰かがお代わりに食べてしまって食べ損なうことがあるんだ。
私はサブリナ様と言葉を交わしたあと、調理班の荷馬車の方へと足を向けた。
移動中はキャンプ中とはまた少し食事の様子が違うんだ。基本的に移動中はあまり煮炊きができないので、そのまますぐに食べられるものが中心になる。というわけで今朝の朝ご飯は、堅パンと切り分けたチーズでした。
さらに安心して飲める水場が近くにないことも多いので、飲み物は長期保存の効くワインやエールになることが多いの。直前に立ち寄った街ではワインが安かったから、今回の移動では調理班のみんなと相談してワインを沢山買って積んできたんだ。
樽からカップにワインを注いでもらっていると、ちょうど朝ご飯を貰いに来ていたフランツと出くわした。
「おはよう。フランツ」
「おはよう……あれ?」
フランツは、きょとんと不思議そうな顔でこちらを見ている。
「どうしたの?」
「あ、いや。ああ、そっか。髪型が変わったんだ。急に大人びた感じになったから、ちょっとびっくりした」
「……似合わなかったかな」
心配になってそう聞いてみたら、彼は顔の前でぶんぶんと手を振る。
「そ、そんなことないよ。よく似合ってる、と思う」
そういうと彼は、手に持っていたワインをコクリと飲む。ほんのり顔が朱い気がするのは、ワインのせい?
「フフ。良かった。サブリナさんにリボンお借りしたんだ。髪、長くなっちゃったからまとめてみたの」
くるっとその場で回ってみせると、フランツはウンウンとしきりに何度も頷いていた。
そのあと、サブリナ様とレインに朝ご飯を持って帰ったら、フランツと一緒に朝ご飯を済ませる。
朝ご飯が済むと、再び西方騎士団の列は次のキャンプ地へ向けて出発!
草原地帯を一列になって進んでいくと、しばらくして周りに木々がポツポツと増え、やがて森になった。
でもその木の一本一本が、いままで見たものとは全然違うの。
「うわぁ、すごい……大きな木……」
とにかく幹の太さが尋常じゃない。直径十メートル以上、中には二、三十メートルはありそうな太さの木々がすくっと真っ直ぐに立っている。背もとても高くて、森の中にいるというよりは高層ビルの谷間にいると錯覚しそう。葉っぱは遥か上の方にこんもりと空に蓋をするようについている。
元いた世界にもバオバブの木っていうとても大きな木があってその写真をみたこともあるけれど、ここの木はそれよりもさらに太くて背が高そうだった。
さらに、その遥か高いところにある枝からは、はらりはらりと大きな葉っぱが落ちてきている。
「ムーアと呼ばれる巨木だよ。ここは巨人の森と呼ばれているんだ」
御者台に座って馬を操りながら、レインが教えてくれる。
「え、巨人っていうのがいるんですか!?」
思わずそう尋ねてしまったら、レインは声を漏らして笑いだした。
「いや、今はいないね。昔は巨人が住んでいたなんていう伝承があったらしいけれど、おそらくこの巨木を見て当時の人たちがそう想像したんだろうね」
そっかぁ。巨人はいないのかぁ。残念。
でも、そう空想した昔の人たちの気持ちは少しわかる気がする。
空を見上げると、僅かに差し込む木漏れ日の中、はらはらと大きな葉っぱが絶え間なく降り続けていた。この景色を見ていると、スケールが違いすぎてまるで自分がすごく小さくなったんじゃないかって錯覚しちゃうもの。こんな森なら巨人でも住めるかもしれない。
「ほら。あそこが次の駐屯地だよ」
レインが前方を指さす。そこも大きなムーアの木々が何本もそびえ立っていたのだけれど、よく見ると幹の部分に何か描いてあるように見えた。なんだろう、あれ?
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