第42話 交渉

 堅く閉ざされていた、自由都市ヴィラスの門が開かれていく。

 望んでいたことのはずなのに、私は信じられない気持ちで門が内側に開くのを見ていた。

 すると、ポンと背中を軽く叩かれる。見ると、クロードが門の方に視線を向けたまま、声に出さず口だけを動かす。

 その形が、『やったな』と言っていた。私は大きく頷く。


「でも、これからだね」


 ナッシュ副団長の言葉に、とりあえず第一関門を突破できた嬉しさでついほころびそうになっていた表情を引き締めた。

 そうだよね。ようやく話し合いの席につけるだけ。大切なのはこっからだ。


 開いた門の内側からは、ローブを着た一人の白髪の男性が出て来た。彼は私たちに浄化の魔法をかけた。馬たちもしっかり浄化される。あらかじめ感染の可能性のない人選をしてきたと伝えてあったにもかかわらず、この念の入れ用。それを見ても、街の人たちがアンデッドの感染をとても恐れていることがわかった。

 そしてようやく街の中に入ることが許可される。


 あんなに行ってみたかったヴィラスの街。あのときは街並みを見るのを楽しみにしていたけれど、いまはそんな余裕なんてない。ただ、案内の人に連れられて、その背中だけを見ながら石畳の通りを歩いて行った。

 こんな真夜中には、さすがにすれ違う人はいない。けれど、通りのあちこちに街灯のように篝火が焚かれているので、足下はさほど気にせず歩けた。


 連れて行かれたのは、三階建ての大きなお屋敷だった。

 その三階にある部屋に私たちは通される。そこは学校の教室くらいありそうな大きな部屋だった。真ん中に一枚板の大きなテーブルとその周りに椅子が何脚か置かれているだけで、他に調度品はない。まるで会議室みたい。


 そこでしばらく待っていると、ドアがノックされる。それを合図に私たちは椅子から立ちあがると、ドアが開いて次々へと街の人が入ってきた。全部で十数人。


 全員が全員、生地が厚くて縁取りなどの装飾の凝った丈の長いジャケットを着ていたので、偉い人たちなんだろうなというのはわかる。

 彼らは順々に自己紹介してくれた。皆さん、この街を実質的に治めている評議会のメンバーだった。商業ギルドや行商人ギルドのギルド長たち。市場の管理者。教会の司祭長。地区会長たち……。


 こちらも自己紹介を返す。ナッシュ副団長とクロードに続いて私も自己紹介しようとしたんだけど、どう名乗って良いのかわからなくて口が止まってしまう。そうだ。私はただ、騎士団に居候いそうろうさせてもらっているだけの人間なんだもの。肩書きなんて、あるはずがない。なんて名乗ればいいんだろう。騎士団に拾われた一般人です? ダメダメ。それだと、なんでそんな奴がここにいるんだと言われそう。

 すると、副団長が助け船を出してくれる。


「彼女は、カエデ。西方騎士団の金庫番補佐をしてくれています」


 と、肩書きをでっち上げてくれた。この場限りのものだとわかっていても、ちょっと嬉しい。


「それで。我々に話したいことと言うのをお聞かせ願おうか」


 評議会会長だという、一番年配そうな白髭の男性が言う。

 副団長を見ると、彼はこちらに小さく頷いてきた。私が直接話して良いということみたい。頷き返すと、居並んだヴィラスの重鎮たちに自分の考えを話しはじめる。


「西方騎士団は今、私たちにお金を預けてくれる方を募っています。それじゃ、借金と同じだとお考えかも知れませんが、少し違います。これを見てください」


 肩掛けカバンを開けると、そこから一枚の紙を取り出して評議員たちに見えるようにテーブルに置く。

 皆の視線が、その紙に集まった。

 その紙は真ん中に線が引かれており、その線の上下どちらにも同じ文面が書かれている。


『この証書を持って下記の期限内に王都 騎士団本部に持ち寄ったものに記載金額の1.3倍の金銭を支払う』


 そして、王立西方騎士団の名と、団長の直筆サイン。さらに、西方騎士団の公式印が線の真ん中に押されている。いわゆる、割り印というやつ。


「この証書の文面にあるとおり、今ここで私たちにお金を預けて頂ければ、私たちが王都に滞在する下記期間に、その1.3倍の金銭を王都でお返しします。私たちが王都に戻るのは、約三ヶ月後です」


 評議員たちはその証書を興味ありげに眺めていたが、怪訝そうな顔をしている人が大半だった。無理もない。クロードに聞いた限りでは、まだこの世界には債券という考えは存在していないみたいだったから、いきなりそんな話を聞かされてもしっくりこないのだろう。


 これは、いわゆる国債みたいなもの。ううん、騎士団が発行するんだから、騎士団債とでも言うのかな。三ヶ月で1.3倍になるのだから、かなりな利率だと思う。そのあたりは、償還場所がここではなく王都ということを考えて高めに設定してみた。予算的には大丈夫だと団長と副団長の許可ももらえたし。

 そのとき、一人の評議員が口を開く。


「その証書をもっていけば、払った金の1.3倍の金を王都で払うっていうんだな。でも、その証明はどうするんだ? 確実に金を貰えるんだろうな?」


 さすが商人の街。さっそく実務的な質問が飛んできた。

 私はテーブルの上で、その証書を線のところで折って切り離した。割り印した、騎士団印も二つに割れる。


「この証書の上の部分はこちらで保管します。下の部分をお渡ししますので、お支払いするときに持ってきて頂ければ、こうやって本物の証書かどうかを確認の上、きちんとお支払いいたします」


 そういって、上下に離れた証書を再びくっつける。真ん中の騎士団印も、ぴったりとくっついた。

 質問してきた男は、ほぉと唸る。


「とはいえ、我々は王都に行く用事は特にないしな……」


 他の評議員が、そんなことを呟く。

 彼らは証書に興味を持ったようだったが、王都で償還するという部分に難色を示しているようだった。

 評議員たちが口々に周りの人たちと話しはじめる。どれも、王都は遠いとか、行くのもまた手間だとか、そんな話をしていた。


 この点は実は悩んだ点だったんだ。

 一年後の償還にして、来年、西方騎士団がこの地域に戻ってきたときに償還するようにしようか、とも迷ったの。でもそうなると多額の金銭を遠征中にここにくるまでずっと持ってこなければならない。それは難しいかもしれないと副団長が言うので、短い償還期間でしかも王都で受け渡しできる方法を選ぶことにしたんだ。


 でも、それでは融資が集まらないなら、やっぱり償還期間を一年後にして、証書の文言を書き換えるべきかな。そう思い始めたとき、一人の男が「ちょっといいか」と声をかけてきた。


 彼は、それまで評議員たちの後ろの壁に寄りかかってじっとこちらの話を聞いていた。どことなく鋭い雰囲気のある三十代くらいの男性だった。短い癖っ毛の髪に、無精髭。その茶色い瞳で睨むようにこちらを見ながら、他の評議員たちを押しのけてテーブルの向かいに立つ。


「俺は、この街の行商人ギルドでギルド長をしているダンヴィーノ・キーンというもんだ。ちょっと聞きたいんだが。なんで、ここで金貨一枚だったものが、三ヶ月後に王都で金貨一枚と銀貨三枚に変わっちまうんだ。借金の利息ってことなのか?」


「そうですね。そう捉えてもらっても構いません。ただ借金とは少し性質が違います。たとえば、この証書は他人に譲り渡したり、売買することも可能です。私たちは誰であろうと、この証書を期間内に王都に持ってきた方に証書に書かれた金額をお支払いいたします。それから、この証書はたくさん用意してあります。ですので、少額から預けることも可能です」


 少額からでも融資してもらえる。これはむしろ、こちら側の利点でもあったりする。大商人から大金を借金すると、どうしても貸し借りの関係が生まれてしまうし、そんな相手をこれから探すのも難しい。でも、少額からでも融資を募ることができれば、それだけ債権者はたくさん増える分、個々の貸し借りの力関係は薄まるし、融資者を探しやすくなる。


 ダンヴィーノさんは、無精髭の顎に指をおいてじっとテーブルの上の証書を見ながら私の説明を聞いている。説明が終わったあとも、彼は黙って証書を見つめていた。


 証書については、クロードが文面を書いて団長がサインとハンコを押してくれたんだけど、二人とも念のためたくさんあったほうがいいと大量に用意してくれたんだ。

 一人でも良いからまずは騎士団に融資してくれる人が出て来てほしい。そうすれば、後に続く人も出てくるかも知れないから。こういうのは、最初の一人を獲得するのが一番難しいもの。お願いだから誰か融資をしてくれる人が出て来てください。

 そう心の中で祈る。


 そのときだった。ダンヴィーノさんが、顔を上げてこちらを見ると、とんでもない金額を口にした。


「わかった。俺が金貨50枚を出そう」

「……え?」


 いきなり出て来た予想外の大金に、思わず変な声が出てしまう。

 最近ようやくお金の価値がわかってきたけれど、金貨1枚で、だいたい日本円の10万円くらいにあたるらしい。ということは、500万円!?

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