第36話 災厄の襲撃

 その日は、穏やかな日だった。新しいキャンプ地の設営は終わったけれど、魔物討伐は明日から。ここから一番近い街、自由都市ヴィラスは王国関係者が立ち入ることを拒否しているため街にも行けず。騎士団のみなさんも、久しぶりの休暇とばかりにのんびりと過ごしている。


 午後、私は調理班の食材整理を手伝っていた。食材テントを出ると、もうお日様が西の空に傾き始めていた。もう少ししたら暗くなる。その前にポプリ用の硝子草を取り込もうと思って、干しておいた大木の下まできていた。

 干していた硝子草の花を布の真ん中にかき集めて布を袋状にすると、こぼさないように気をつけて救護テントまで持って帰る。


 でも、テントのところまで来たときだった。

 大焚き火の方が、何やら騒がしい。そちらを見ると、馬が一頭、焚き火の傍に駆け込んできていた。その背には、西方騎士団の制服のシャツと胸当てをつけた男性が一人乗っている。

 あの人は、たしか見回り役の人だ。

 何事かと、焚き火の方へワラワラと団員たちが集まってくる。


「どうかしたの? 騒がしいわね」


 救護テントから、騒ぎをききつけてサブリナ様も顔を出した。


「何か、あったんでしょうか……」


 それまでキャンプ地を包み込んでいたのんびりとした雰囲気が一変、急に緊迫した空気が辺りに満ちはじめていた。

 そのとき、見回りの人から話を聞いていたゲルハルト団長が、ひとつ大きく頷くのが見えた。そして、彼は大きく鋭い声で団員たちに告げる。


「北西の方向から、こちらに飛来して接近する巨大な魔物あり! 全員、武器をとれ! 非戦闘員は全力で退避しろ! 救護班は一時退避して、戦闘終了後に再召集!」


 その声に、団員達は一斉に反応する。

 武器を取りに行く騎士たち。避難を始める、後方部隊の人たち。


 なに? 何が起きてるの?

 何かしなきゃと思うのに、何をしていいのかもわからない。そうだ、逃げなきゃと思って後を振りむいたとき。


「きゃっ!」

「あ、すまないっ!」


 武器を手に大焚き火の方へ向かう騎士の一人とぶつかってしまった。勢いで手に持っていた硝子草を包む布を取り落としてしまう。足元に布が開け、花が散った。

 その花びらの上を、大焚き火に向かう別の団員が踏んでいく。シャリッとガラスを踏むような音とともに花は砕けた。


 花を拾おうと手を伸ばすものの、そのままかたまる。こんなことしてる場合じゃない。逃げなきゃ。

 そう思うモノの、どちらに逃げていいのかすらわからない。

 そのとき、ぐいっと手を引かれた。見ると、手を引いたのはサブリナ様だった。


「カエデ。さぁ、こちらに」


 彼女の強い瞳に見つめられて、私は我に返ると、一つ頷いて彼女と一緒に走りはじめた。そのとき、背後から悲鳴のような叫び声が聞こえてくる。


「来たぞ!! しゃがめ!!」


 え? 来た!? 何が!? しゃがめ???


 戸惑う私の頭をサブリナ様が地面に押さえつけるようにして、ともに伏せる。

 その瞬間、身体中を焼くような熱波と赤い光が、さっきまで私の頭があった場所を覆うように走り抜けた。


「え…………」


 焦げ臭い匂いが鼻をつく。顔だけ上げて周りを見ると、近くのテントが火だるまになって燃えていた。その奥にあった木々が何本も、火柱のようになっている。


 何が起こったのか、頭がついていかない。

 次いで、バリバリバリという木が砕けるような激しい音と、大地が揺れるような振動。


 大焚き火の方に目をやると、焚き火の向こう側。ほんの十メートルほどのところ。いままで森の木々に覆われていた場所に、小山ができていた。

 いや、小山にしてはおかしい。それはコウモリのような巨大な羽を生やしていて、いままさに畳もうとしているところだった。


 空から突然飛来してきた、ソレ。

 森の木々を踏み倒して、西方騎士団のキャンプ地に降り立ったソレは、黄色く濁った巨大な目でこちらをギロリと見ていた。


 首が長く、トカゲのような翠色の肌。小山ほどもある巨体。馬車すら一噛みに砕いてしまいそうな大きな口と、そこからのぞく凶暴な尖った歯。その歯の間からはどろっとした黄緑色の液体が流れ出ている。

 そして、鼻がまがりそうなほどの、酷い腐臭。

 誰かが叫ぶのが聞こえた。


「アンデッド・ドラゴンだ!」

「こいつは生き物の気配に反応する! 向かってくるぞ!」


 しかも、襲ってきたのはその巨大なドラゴンだけではなかった。少し遅れて、ドラゴンのもとにパラパラと小さな鳥たちが飛来する。小さいと言ってもドラゴンと比較するとそう見えるだけで、人の背丈の半分くらいはありそうな大きな鳥だ。

 二十羽以上いる鳥たちは、よく見ると羽が剥げ落ち、翼が明らかにおかしな方向に曲がっているものもいた。


「気をつけろ、そいつらもアンデッド化してる。くそっ、このドラゴンの屍肉を喰おうとしたハゲワシどもの成れの果てだ」


 騎士の一人がそう言い捨てた。

 騎士たちは既にそれぞれの武器を手に取って、臨戦態勢に入っている。正騎士だけでなく、テオたち従騎士たちもいる。フランツの背中も見えた。一番、ドラゴンと近い正面で剣を構えて立っているのがわかった。

 張り上げた団長の声が森に響く。


「こいつらは生きているものに反応して襲ってくる! この先にはヴィラスの街もある! いいな! 命に代えてでも、ここで仕留めろ! 絶対にこの先へは行かせるな!」


 団長の声に、団員達が呼応して声をあげた。

 彼らはこんな巨大な魔物に対しても、臆する素振りはない。


 そうだ。この人たちは、戦う人たちなのだ。たくさんの人たちを守るために、命を賭して戦う人たちなんだ。


 そのことを、いまさらながら思い知らされた気がした。いままでだって頭ではわかっていたはずなのに。戦いにいく彼らを送り、帰ってくる彼らを迎えるのは日常の風景になっていた。でも、彼らが戦いに臨む姿を見たのはこれがはじめてだった。


 そのとき、背後から蹄の音が聞こえてくる。振り向くと、馬に乗ったレインがこちらに駆け寄ってきていた。


「さあ。早く! 避難を!」


 レインが馬上から手を伸ばしてくる。先にサブリナ様に馬にのってもらった。

 ついで私はレインに手を引かれて、彼の後ろに乗る。

 そのとき。腹の底を揺らすような音が轟く。


 ガァアアアアアアアアアアアアアアアアア


 大地を揺らす衝撃。あたりに濃く立ちこめる腐臭。一瞬遅れて、それがドラゴンの咆哮だと気付く。


 それとともに、ドラゴンの周りや身体に降り立っていたアンデッド鳥たちが、一斉に飛び立って団員たちに襲いかかった。こちらにも数羽が飛来する。


 馬を器用に動かしながら腰の細剣レイピアを抜くと、レインは向かってきた一羽を切り落とした。しかし、まだ数羽がこちらを狙ってくる。鋭い鉤爪で私は頭をひっかかれそうになった。


「きゃ、きゃあっ」


 咄嗟に頭を手で守ろうとしたが、それよりも早くアンテッド鳥は真っ二つになって地面に落ちる。


 見ると、すぐ傍にいつの間にか馬に乗ったアキちゃんが来ていた。彼女の手にはロング・ソード。その長い刃身とうしんはべっとりとした血で赤黒く染まっていた。アキちゃんは、もう一羽、飛来したアンテッド鳥を馬上から切り落とすと、こちらに向かって声をあげる。


「私が援護しますから、どうかあなた方は逃げてください!」

「わかった。ありがとう! 君も、どうかご無事で!」


 レインはそう返すと、馬の向きを変えて森の外に向かって走り出す。


 高速で走り出した馬から投げ出されないようにレインの身体にしがみつきながらも、なんとか後ろを振り向いた。あのドラゴンの傍に、フランツの背中が見える。一瞬、彼がこちらを振り向いて、微笑んだような気がした。

 こんなに遠いし、一瞬でそんな表情まで見えるはずがないのに、このときはそう見えたように思えた。


 馬がキャンプ地から離れていく。どんどんドラゴンも団員の人たちの姿も遠くなる。そして、森の木々に紛れて見えなくなってしまった。


 どうか、ご無事で……! どうか……。

 生きて帰ってきて!! お願い!! 神様、彼らを助けて!! フランツを!!  みんなを!! 助けてください!! お願いします!!


 レインの背中に頭をつけてぎゅっとしがみつき、泣きそうになりながら、そう何度も何度も心の中で祈った。

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