幕間2 本当の気持ちは、覆い隠してしまえばいい

 自分が助けていたつもりだったのに、カエデの存在がいつのまにか自分の中で大きくなって、彼女の存在に助けられている自分がいた。

 最初にそれを自覚したのは、彼女に小遣い帳の付け方を教えてもらったときのことだ。


 自分が描いた妹の絵を、彼女はとても喜んでくれた。絵を見た途端、パッと花が咲いたように表情が明るくなって、「とても可愛いい!」と褒めてくれた。


 まるで雷に打たれたようだった。あのときの衝撃を自分は一生忘れないだろう。

 いままで絵はずっと隠れて描くものだったから、絵を誰かに褒められるなんて想像すらしていなかったんだ。


 リーレシアや小さい子に喜ばれることはあったけど、大人に絵を褒められたことは初めてで、咄嗟にどう反応していいのかわからなかった。挙動不審になっていなかっただろうか。思い返してみても自信がない。

 

 そんなことを考えていたら、カエデがこちらに向かって花畑を歩いてやってくる。

 いまは画板の一番上に硝子草の絵を置いているけれど、その下には彼女のことを描いた下絵が隠れている。それを気づかれやしないかと、ひやひやして生きた心地がしなかった。


 そのあと西方騎士団の駐屯地へ戻りながら、少し先を歩くカエデたちの背中を眺めてフランツはふと思う。絵を描いているときに誰かといて、こんなに穏やかでいられたことなかったなと新鮮な気持ちだった。


 ハノーヴァー家では部屋に隠れて描いていたのがバレて、父親に画材道具一式を捨てられた。父は使用人に命令しただけだけれど、それからはもう家では描けなくなった。


 あの家にいても息がつまるだけだったから、逃げるように上流学校の高等部を卒業したらすぐに騎士団に志願した。騎士団に入れば遠征で半年は家に帰らなくて済むから。


 普通は騎士団志望者は中等部を卒業したら従騎士として従軍するのが一般的だから、高等部卒業後に18歳で従騎士になった自分はかなり遅い方だろう。

 なんせ、15歳直前まで田舎で他の子と同じように村の学校に数年通っただけだったから、他の貴族の子弟と比べて学力や教養が非常に遅れていた。


 だから、ハノーヴァー家に引き取られてからは数か月みっちり家庭教師をつけられて貴族としての教養やマナーをたたき込まれた後、中等部をすっとばして、いきなり貴族や王族が多く通う上流学校の高等部へ進学させられた。


 当然、他の生徒達からかなり浮いていたと思うし、奇異の目でみられてもいたと思う。寮で同室だったクロードとはよく、クラスメイト達から受けた仕打ちの愚痴や鬱憤を言い合ったっけ。


 家から離れたいなら騎士団に入れば良い。そうすれば、残り人生の半分は家に帰らなくて済むぞと教えてくれたのもクロードだった。

 まさか、そのクロードまで騎士団に入るとは思ってもみなかったけど。

 遠征中はまるで天国のように思えた。誰も自分を貴族扱いも変人扱いもしないし。周りの団員たちも基本的に暇な時間は放っておいてくれるので、かなりありがたかった。


 だけど、カエデはそれとも違った。

 あんな風に自分の絵を上手だと褒めてくれて、好きだと言ってくれて、感激してくれる。そんな経験はじめてで、どうしていいかわからなくて。でも、嫌ではなくて、むしろ嬉しくて溜まらなくて。


 いつの間にか彼女のことが気になって仕方なくなっていた。


 この感情が何なのかは、何となく自分でもわかっている。でも、それを向けていい相手なのかはわからないでいる。

 気持ちを打ち明ければ彼女が困るんじゃないか、彼女に迷惑をかけてしまうんじゃないか。そう思うと足が竦む。自分はそのつもりがなくても、ハノーヴァーという名前が迷惑をかけることもあるだろう。


 彼女には、いまのままずっと自由でいてほしい。

 だから、自分の気持ちはいつまでも、この絵のように上に別のものをかけて覆い隠してしまおう。それがいい。そうすべきだ。


 そのときは、そう思っていた。それが、できると思っていた。

 このときは、まだ……。







 そのころ。その丘から十数キロ離れた、とある村でのこと。

 そこは畑の広がる、どこにでもある平凡で穏やかな村だった。

 しかし、村人たちが昼食を食べるために畑から自宅に戻ろうとした時分にソレはおこった。

 突然飛来した魔物たちに襲撃を受けたのだ。襲撃開始から小一時間後には、様子が一変していた。

 まるで地獄絵図。

 すべての家とほとんどの村人たち、それにたくさんの家畜が燃やされた。村ごと火をつけられたのだ。黒焦げになった死体が村中のあちこちに転がっている。

 燃え盛る炎からはいまも黒煙があがっていた。家や人が燃えた悪臭の中に、さらに胃を刺激する腐臭が混じる。

 酷い火傷を負いながらもかろうじて生き残った村の男は、襲撃を終えて村を去っていくその小山のような背中に手を伸ばし、

「逃げろ……厄災やくさいが……」

 そう虚空に向かってつぶやくと、そのまま息絶えた。

 その小山のような魔物は生命の絶えた村にはもう何の興味も示さず、しばらくくんくんと空気の匂いを嗅いだ後、西に向かい始める。そしてしばらく歩いたあと背中に畳まれていた大きな翼を広げて飛び上があった。

 小山のようなソレに付き従って周りを歩いていた大きな鳥たちも、一様に翼を羽ばたかせて大地をけり飛びたつ。

 その死の行進が進む先には、西方騎士団のキャンプ地。そしてさらにその奥には、王国有数の人口を抱える自由都市ヴィラスがあった。

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