幕間1 アキに見られてた!

 丘の上に、いい風が吹き渡る。そのたびに、咲き誇った硝子草がシャララと音を奏でた。

 透明度の強い薄桃色の花畑の上ではいま、一人の女性が花を摘んでいる。桶を片手に、黒いワンピースに身を包んだ彼女。しゃがんで、熱心に花を摘み取っては桶に入れているカエデの姿を、フランツはつい眺めてしまう。


 再び風が吹いて、肩につくかどうかという彼女の黒髪を揺らした、今日は少し風が強いようだ。遮るモノのない丘の上にずっといては身体を冷やすかもしれないから、早めに戻った方がいい。


 それでも、フランツは彼女から視線を離すことができず、一心に彼女の輪郭を紙の上に写し取っていた。紙の上には彼の心の内を描きだすかのように彼女の姿が描き出されていく。


 いま、彼女の傍に従騎士のアキが寄っていって、なにか楽しそうに話しだした。何を話しているのかまでは聞こえてこないけれど、楽しそうな二人。


 彼女が笑っている姿を見ていると、こちらの心の中までポッと火が灯ったようにあたたかな気持ちに満たされる。


 ずっと見ていたかったけれど、急に彼女たちがこちらに目を向けたのでフランツは慌てて目を逸らした。じっと見ていたことが知れたらかなり恥ずかしい。とりあえず、全然違う場所を写生しているフリをしていると、パサッと頭の上に何かを乗せられた。

 驚いて顔を上げたら、目の前にアキがいた。


「どうぞ。フランツ様にも」

「え? ……あ、ああ。ありがとう」


 手で触れてみると、シャラリと堅いものが手に触れる。これは硝子草でつくったものか。


「あ、綺麗な人」

「しまった!」


 アキがフランツの手元にある画板を覗いていた。カエデをデッサンしていたことがあっさりバレてしまう。


 慌てて、その上にカモフラージュのための紙を重ねた。そちらの紙には、硝子草の草原の絵が描かれている。


 いや、これを描くのもここにきた目的の一つではあるんだけど、カエデも一緒にいるならそっちを描きたくなるだろ!?とつい自分で自分に言い訳しながら、アキに恐る恐る尋ねてみる。


「……いまの、見た?」


 アキは素直にコクンと頷いた。


「はい。とっても綺麗な女性の絵。それってカエデ様ですよね」


「う……うん。そうだね」


 素直な瞳で無邪気に聞かれると、誤魔化しきれなかった。


「……彼女に、絵を贈ろうと思ってさ」


 そう答えると、アキは胸の前で手を合せて、きゃあ!と歓声をあげた。


「素敵です!」


「あ、ありがとう……。でも、できあがるまで彼女には内緒な」


「はいっ、もちろんですっ」


 元気な返事がかえってきて、とりあえずホッと胸をなで下ろす。でも、心の中では少し迷っていた。


 最初は彼女にあげようと思って描きはじめた絵だったけれど、いつのまにか手放しがたくなっている自分がいた。ずっと自分の手元に置いておきたい。そうすれば、彼女と離れていても彼女の面影を忘れずにいられるから。


 いまは彼女と毎日顔を合わせられるけど、遠征が終わってしまえばそうはいかなくなるだろう。そして、次の遠征にはもう彼女は同行しないにちがいない。それを思うとじんわりと寂しさが去来する。でも、この彼女の肖像画があればそれも少しは癒やされるような気がするのだ。


 彼女は迷いの森の不思議な魔力に引っ張られて、別の世界から来たようだとサブリナ様は言う。

 初めて出会った時、彼女は森の中でグレイトベアーに襲われ掛けていた。黒い瞳いっぱいに湛えられた不安に怯えた色。帰れないと聞いたときの泣きそうな姿は、今も目に焼き付いて離れない。


 ひとりぼっちの孤独なら、自分も痛いほど知っている。誰が味方か、誰が敵なのかもわからない孤独。誰に助けを求めて良いかすらわからない辛さ、寂しさ、不安。二度と心地よかった懐かしい場所へは戻れないという、諦め。


 どれも思い出しただけで、胃が鷲掴みにされたように痛くなる。

 だから、せめて自分は彼女の味方でいようと思った。彼女の傍にいようと思った。

 彼女の助けになろう。

 彼女が少しでも笑っていられるように。


 でも、いつからだろう。自分が助けていたつもりだったのに、彼女の存在に助けられている自分がいた。

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