第35話 ポプリの下準備

 フランツは絵を描くことに夢中になっていたようで、アキちゃんに花かんむりを頭に載せられるまで気付いていないみたいだった。

 ポンと花かんむりを載せられて、ここから見ていてもわかるほどビクッとしたあと、二人で談笑する声が聞こえてきた。


 私も花を桶いっぱいまで詰むと、フランツたちの元へ行ってみることにした。

 近づいてみると、花畑の中に腰掛けた彼の手には、画板。その上に紙がのせられ、風で飛ばないように画鋲みたいなもので留められていた。紙の上には、ここの花畑が描かれている。


 まだ黒くデッサンしただけなのに、もう色や香り、音まで感じられそうなほど繊細に書き込まれた絵。


「あとは色をつけるんだけどさ。この硝子草の色って、なかなか上手く出せないんだよね」


 そう言いながらフランツは足下に置かれていたケースから一つの小瓶を取り出した。それを開けて、パレットの上に少量をあける。粉状の絵の具が小さな山をつくった。


 彼はさらに何種類かの絵の具の粉を混ぜて色を調整したあと、そこに少し大きめの小瓶からトロッとした液体を垂らした。


「それも絵の具?」


「ううん。これは、ハチミツ。粉絵の具はそのままだと紙に色がつかないから、こうやって何か混ぜて、色がつきやすくなるようにするんだ。ハチミツを使うと、透明感のある色になるんだよ。卵を混ぜると、もっとペタッとした質感になる。ほかにも油とかいろいろ使うよ。つけたい色の質感によって、混ぜ物は変えるんだ」


 へぇ……。フランツの手元を見るのは、面白い。まるで魔法の道具でも作っているかのように、彼が何かを加える度に絵の具はどんどんと色を変える。そうやって、塗りたい色を作っていくのね。


 色ができあがると、いよいよ絵筆を手に取って下絵に色をつけていく。彼の絵筆運びには迷いがなく、スッスッとどんどん色がついていった。白黒だった世界がいっきに色づいていく。それはまるで、絵の中の花たちに生命が吹き込まれたかのようだった。


「フランツ、絵描くの本当に上手だよね。子どものころから好きだったの?」


「そうだね。俺の実家……っていっても、俺が子どもの頃育った母親の実家だけどさ。そこが壁画屋やってたから、絵や画材は物心つく前から身近にあったんだ。小さい頃に遊び半分で祖父を手伝うようになってから、いつのまにか自分一人でも描くようになった感じ。クロードから俺の家のことは聞いたんでしょ?」


 この前、ロロアでクロードがフランツの家庭事情を話してくれたときのことを言っているのだということはすぐにわかった。

 やっぱり、聞かれたくないことだったのかなと、申し訳なくなる。


「ごめんなさい。勝手に聞いちゃまずかったよね……」


「え? あ、いや。別にそれはいいんだけど。クロードなら、噂とかじゃなく、正確に俺んちのこと知ってるからむしろ好都合だよ。妙な噂が先に耳に入ってなくてよかった。本当は俺からちゃんと話しておけばよかったんだけど……」


 言いたくないという気持ちはわかる。上手く行っていない家庭状況や自分が望んでいない生育状況なんてあまり他人に知られたくないよね。頭に浮べることすら嫌だと思う。


「……噂? あ、ううん。言いたくないことは、言わなくていいよ。ごめんね」


「だから、いいって。ほら、俺、庶民からいきなり貴族にさせられたわけだろ? そのせいで、俺を育ててくれた祖父母が父親にたかって多額の金を要求したんじゃないかとか。はじめからそれを目当てで、娘をハノーヴァー家のメイドにしたんだろ、とか。いろいろ口さがないことを勝手に言う人はいたから」


「そんな、酷い……」


「仕方ないよ。他人の口に蓋はできないからね」


 フランツは、小さく苦笑して受け流す。ああ、またあの笑みだ。普段はしない、寂しそうな弱い笑み。

 彼のそんな表情を見ていると、胸が痛くなる。でも、彼はすぐにくるっといつもの明るい表情に戻った。


「それよりも、花は摘めた?」


 彼が話題を切り替えたので、私もすぐそちらに話題を移す。心の中のモヤモヤは花畑を通る風の香りにのせて吹き飛ばしてしまおう。

 私は手に持っていた桶を彼に見せた。


「うん。こんなにいっぱい」


「そっか、良かった。でも、少し風も強くなってきたな。そろそろ戻る?」


「フランツの絵の方はもういいの?」


 まだ、色は半分も塗れていない。だけど、フランツはさっさと絵筆をしまい始めていた。


「下絵は描けたから、あとは記憶頼りにでも大丈夫。必要ならまたくるよ。それより、レディたちに風邪でも引かせちゃったら大変だろ?」


 そう話してる間にも、どんどんフランツは画材の片付けをすすめ、あっという間に全てを小さな肩掛け鞄にしまいこんでしまった。さすが、手慣れてる。


 アキちゃんもポプリ作りに必要な花は摘みおわったようなので、一旦、騎士団のキャンプ地へともどることになった。


 帰る道すがらも、私とアキちゃんが手に持った桶の中の硝子草からふわりといい香りが立ち上って、道に素敵な残り香を残していく。豊かな香りに包まれると、なんとも気持ちが華やいで足取りも軽くなる。


 さて。キャンプへ戻ってきたら、早速ポプリ作りを始めることにしたの。

 サブリナ様に借りた大きな布をテーブルに広げると、そこに桶の中身をあける。布の上に、摘んできた硝子草がこんもりと山になった。それから、アキちゃんと一緒に丹念に花の部分だけをとりだした。


 そして、キャンプ地から少し離れたところにある広葉樹の大きな木の下に布ごと二人で運ぶ。ここなら、風通しもいいし、万が一雨が降っても少しの間なら濡れなさそう。木の下に布を開いて置くと、花びらが重ならないように丁寧に広げた。


 よし、これでカラカラになるまで乾かせば準備は完了。もちろん、夜はテントの中に仕舞うよ。朝露がつくと、台無しだからね。そして朝になるとまた広げて乾燥させる。その繰り返し。

 花を広げ終わると、アキちゃんと目があった。自然に笑みが零れて、お互い微笑みあう。ポプリ 、上手く出来るといいなぁ。


 そうそう、アキちゃんに貰った花かんむりは、サブリナ様に許可をもらって救護テントの柱に飾っておくことにしたの。このまま飾っておけば、乾燥が進んでドライフラワーになる。


 テントの入り口の布が開いて外の風が入るたびに、シャランとわずかな音色と仄かな香りが漂うから、ちょっとした生活のアクセントになっていいもの。

 もちろん救護テントに寝泊まりするような急病人や怪我人が来たら外すけれどね。それまではしばらく飾っておこうと思うんだ。

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