第33話 新たな地

 雨が上がってから半日ほど荷馬車に揺られて、ようやく次のキャンプ地に到着した。雨が上がってしまうと、ぐっと気温も高くなる。もうショールはいらないね。ワンピースの袖も、ついめくりたくなってくる。


 今度のキャンプ地は、ヴィラスという土地らしい。


 このあたりも森が多く繁った緑豊かな土地なのだけど、最初に私がグレイトベアーに襲われたウィンブルドの森とは少し植生が違うみたい。


 ウィンブルドの森はどちらかというと針葉樹が多く繁っていたけれど、ここは日本の西の方の山に似た景色。森には沢山の広葉樹が、あおあおとした葉を茂らせていた。きっと、秋になると紅葉がすごいんじゃないかな。そんな時期に来てみたいものだけど、あいにく、西方騎士団がここに立ち寄るのはいつも温かい季節みたい。


 荷ほどきとキャンプ地の設営を終えたら、大焚き火でお湯をもらってきて、外のテーブルでレインの淹れてくれた紅茶を手に一息ついた。


 今日のお茶請けは、前のキャンプ地にいたときに焼いた堅焼きクッキーなの。全粒粉の小麦粉に少量のハチミツを混ぜてねった生地を、フライパンで焼いただけのもの。でも、歯ごたえの良さが小腹を満たしてくれるし、素朴な味わいが紅茶によくあうの。


 沢山作ったんだけど、団員のみんながおいしいおいしいと言ってつまんでいくので、あっという間になくなっちゃった。これはあとでサブリナ様達とお茶したときに食べようって思って、あらかじめハンカチにくるんで取っておいたもの。


 ふふ。紅茶とクッキーの組み合わせって、なんでこんなに幸せな気持ちにしてくれるんだろうね。おいしい。


 なんて満喫していたら、一緒にお茶をしていたサブリナ様とレインがなんとも微笑ましそうに目を細めてこちらを眺めていた。

 レインには、


「カエデは、ほんとうにいつも美味しそうに食べるよね」


 と妙なところを感心されてしまう。

 そんなに美味しそうな表情でクッキー頬張ってたかしら。いかんいかん。アラサー女子としては、もう少し大人な雰囲気を醸し出さなきゃ。


「サブリナさんも、レインもどうぞ」


 はやくしないと、うっかり私が食べ尽くしちゃいそうだもん!


 そんな私の心の訴えが聞こえているかのように、サブリナ様はクスリと笑みを浮べる。


「私たちも頂いてますよ。でも、もっとゆっくり食べていいのよ。今日はもう、それほどやることもないでしょう?」


「……そうなんですよね。ここにいる間は街には行けないんですよね?」


 私の言葉に、サブリナ様は優雅にお茶を飲むと「ええ」と頷いた。


「自由都市『ヴィラス』には、王国関係者は入れないの」


 ここヴィラスと呼ばれる地域を実質的に治めているのは、自由都市『ヴィラス』という都市国家なのだという。でも、このヴィラスは普通の街とは違って、商人ギルドが支配する街。そのため、一応王国の領土内ではあるけれど、かなりの自治が認められているんだって。半独立地域ともいえる街なのだそうだ。


 自治を重んじるためか、王国の支配に対して好意的ではない。そのため、王の直属組織である西方騎士団の面々は、この街には入ることができないんだって。

 このキャンプ地に着いたときに挨拶に行った団長たちも、中には入れてもらえずに壁越しに来訪とキャンプ地設営の旨を告げるのが精一杯だったって言っていた。


 だからここに来る途中に立ち寄った街で、食材は沢山買い込んできたから当分買い物に出る必要はないけれど、その街だってここから馬車で数日かかる距離だから簡単には行けない。

 なので、ここに駐屯するときは手前の地域で必要なものを買っておく必要があるんだって。


 そんなに王国の人に干渉してほしくないなら自分たちで自警団でも作って周辺地域を守ればいいのにって思うけれど、ヴィラスは王国に多額の納税をしているとかでそうもいかないらしい。

 王国と自由都市ヴィラスは、最小限の協力はしつつもお互いに自治は譲らない、微妙なバランスの上にたつ特殊な関係なんだね。


 そんなわけで、今回はキャンプ地から街へ出向くことができないので、時間は結構たっぷりあるの。


「ヴィラスって、どんな街なんでしょうね。商人が沢山いるって聞きましたけど」


「そうね。商人の街だけあってここ西南地方の商業の中心だし、海もそんなに遠くないから外国との貿易の中心にもなっているのよ」


「へぇ……」


 外国かぁ。海の向こうにはどんな国があって、どんな貿易品が入ってくるんだろう。想像するだけでワクワクしてくる。きっと、ヴィラスは異国情緒漂う街なんだろうな。行ってみたいなぁ。入れないけど。


「王国関係者としては入れないけれど、一般人としては他の地方の商人ギルドの許可証があれば入ることはできるのよ。でも、商人でもない私たちは遠征以外でここまで足を伸ばすこと自体、なかなかないわね」


 この世界の交通手段は、馬か徒歩しかない。そうなると、一般人はなかなか遠方まででかけることもないのだろう。旅行も、そう簡単にはできないだろうし。


「でも、いつか行ってみたいです」


 どんな街なんだろう。風光明媚な場所を見るのも好きだけど、人々が暮らしている街を眺めるのも大好きなんだ。ちょっとした路地とか見かけると、ついふらっと入り込んであちこち眺めたくなるもの。また迷子になったら困るからこの世界ではまだ一人歩きはできないけどね。


 そんなことを思いながらクッキーを齧っていたら、サブリナ様が、


「そうだわ。ヴィラスには、硝子草がらすそうが群生している丘があるから行ってみるといいわよ」


 と、そう教えてくれた。


「硝子草……ですか?」


 ガラスでできた草? 言葉の雰囲気から、どんな花なのか想像できないでいたら、サブリナ様は「そうそう」と席を立つと救護テントの中へと入っていく。すぐに出てきた彼女の手には、小さな麻の小袋があった。


 これはたしか、彼女が服を入れている木箱に置いているものだ。

 小袋はとても軽くて、触ると中に入れてあるものがカサカサと音を立てる。


 そして、振ると良い香りがたちのぼった。薔薇のようなしっとりとした甘みの中に、柑橘類のような爽やかな余韻が残る素敵な香りなの。


「これも、硝子草を乾燥させたものなのよ。匂い付けの意味もあるけれど、虫除けの効果もあるの」


 そっか、この小袋に入っているのは硝子草のポプリだったんだ。


「私も、作ってみます! このポプリ!」


「ええ。硝子草の咲く丘はここから歩いてちょっとの所だから、誰か一緒につれていくといいわ」


「はいっ」


 このポプリ、欲しかったんだ! 私もサブリナ様みたいに洗った衣服にポプリの小袋を挟み込んで香りをつけてみよう。うまく出来たら、サブリナ様にもポプリをプレゼントするんだ。


 午後からの楽しい予定ができて、紅茶とクッキーがますます美味しくなった。

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