第29話 迷子

 きゃーっ! どうしよう!! 迷っちゃったよ! スマホも地図アプリもないから絶対はぐれちゃ駄目だって何度も自分に言い聞かせてたのに!!!


 ドキドキと嫌な鼓動がして、背中に冷たい汗が落ちてくる。


「クロード? テオ! アキちゃん? どこ? いるなら、返事して!」


 声を出してみるけれど、周りの買い物客たちが一瞬驚いてこちらを見るだけで、探している人たちは見当たらない。


 どうしよう。こういうとき、どうすればいい?


 たぶん、いまごろクロード達も私がはぐれたことに気付いて探してくれていると思うんだ。だったら、下手に動かずここに居た方がいいよね。うん。そうしよう。ここにいよう。


 そう決心したときに、背後からざらついた男の声で呼び止められた。


「よぉ。どうしたんだい?」


 クロード!? と期待を込めて振り返ったけれど、そこにいたのは見ず知らずの男だった。にやにやと嫌な笑みを浮べる、薄汚い格好をした若い男。それも、一人じゃなく、三人も。


「お嬢さん、ひとり? みかけない顔だな。暇なら、ちょっと向こうで話でもしないか?」


 男たちはじりじりとこちらに近づいてくる。


「一人じゃないの。ちょっとあっちでツレが買い物してて……ひっ」


 そのとき、背後からも別の男が近寄ってきて、私の髪を触った。


「珍しい髪の色だな。おっと、目も同じ色なのか。こりゃなおさら珍しい。いいじゃねぇかよ。ツレなんか放っておいて、俺たちといいことしようぜ」


 明らかに不穏な様子の男達。そこに一人で囲まれているのに、通りを行き交う人たちはチラチラとこちらを気の毒そうに見るだけ。


助けを求めてそちらを見てもすぐに目を逸らされてしまう。明らかに、厄介ごとに巻き込まれたくないといった様子だった。助けは期待できなさそう。


 どうしよう。どうにかしなきゃ。この人たちに掴まったら、まずい。どこかへ連れ込まれたらお終いだ。


 心臓が早鐘のように打っていた。逃げなきゃ、この人たちから逃げなきゃ。そう思うのに、足がすくんでしまって一歩も動けない。怖くて、悔しくて目に涙まで滲んでくる。


「ほら。こっちこいよ」


 男の一人がいらだたしげな声をあげて、私の腕を掴んできた。そのまま、強い力で引っ張られる。


「い、いやっ!!!」


 抵抗しようと足を踏ん張るのに、力で負けてズルズルと簡単に引きづられてしまった。このままじゃ、どこかに連れ込まれてしまう。

 私は、その男の腕を力一杯噛んだ。


「いてっ! なにすんだ、こいつ!!」


 男がひるんだ隙に逃げようとしたけれど、勢いで地面に膝をついてしまう。立ち上がろうとするのに、足が震えて踏ん張れない。激昂した男が振り上げた拳が見えた。


 殴られる! 思わず身を固くして目を閉じた。

 ……だけど、思ったような衝撃はこなかった。


「ぐへっ」


 とかなんとか妙な声が聞こえ、次にドサッという音がする。


 おそるおそる目を開けると、私に殴りかかろうとしていたあの男が数メートル先でのびていた。白目をむいて手足をだらりとさせ、口をぽっかりと開けている。鼻も変な形にへしゃげてる。気絶しているようだった。


 何が起こったのか、頭がついていかない。

 なんで、ほんの数秒前に私に殴りかかろうとしたあの男が、まるで誰かにノックアウトされたように倒れているんだろう。


 そのとき、視界が遮られる。誰かが私を守るように、男達の間に立った。


「うちの大切な団員に、なんか用か? ゴロツキども」


 見慣れたシャツの大きな背中。金色に輝く髪。そして、よく知っている声。

 でもその声はいつもの優しい響きではなく、強く激しい怒気を孕んでいた。


「彼女にちょっかいかけて、タダで済むと思うなよ?」


 フランツだった。

 彼の気迫に、他のゴロツキたちはすっかり怯えた様子で逃げ出そうとした。そこに凜とした声が響く。


小氷塊アイス・ロック!」


 すると、逃げようとしていたゴロツキたち全員の頭上にバスケットボールほどの半透明な塊が現れて、ゴンゴンとその頭の上に落下した。ゴロツキたちはその衝撃で、ばたばたと地面に倒れる。その向こうから、息を弾ませて姿を現したのはクロードだった。


「やっと見つけた。……すまない。気がついたら見失っていた」


 その後ろから、不安そうにしているテオとアキちゃんも見える。やっぱり、探してくれていたんだ。みんなに心配をかけてしまったことを申し訳なく感じたけれど、心臓はまだ恐怖でばくばくしていた。足も震えもまだ止まらない。


 そこに、フランツが地面に膝をついて、こちらを心配そうに覗きこんできた。


「怪我とか、してない?」


 優しいその言葉に、彼の眼差しに、まだ溶けきれていない恐怖がじわっと涙になって目に滲む。


「フランツ……」


 そう、なんとか口にするのが精一杯だった。助けてくれた彼にお礼を言いたいのに、胸の中に沢山のものが詰まりすぎて言葉が出てこない。彼の袖を右手で掴むので精一杯。

 そのまま何度か、しゃくりあげる。


 怖かったよ。心細かったよ。不安だったよ。

 もう、フランツに、みんなに会えないんじゃないかとおもって怖かった。

 だから、いまここに彼がいてくれるのがまるで夢のようにも思える。


 すると、


「何もいわなくていい」


 そう言って、ふわりと彼が私の背に腕を回して優しく抱きしめてくれた。


「大丈夫だよ。何があっても、守るから」


 彼のあたたかさが、凍えていた私の身体を溶かしてくれる。こくんと頷くと、目元に溜まっていた涙が頬を伝った。


「ありがとう。フランツ。それと……ごめんなさい。迷子になって」


 フランツは、もう一度ぎゅっと私を抱きしめてから身体を離した。そして、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。


「無事で、なにより」


 笑った彼は、もういつもの彼だった。

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