第13話 ひとときの休息

 マンティコアとかいう魔物は、おじいちゃんみたいな人っぽい顔をしていて、大きなヒヒのような身体をした中型の魔物なのだそうだ。でも、人に近い外見をしているだけあって知能が高く、集団で襲ってくると厄介な相手なんだって。


 そんな外見の魔物が襲いかかってくるなんて、想像しただけで夜、眠れなくなりそう……。


 そのマンティコアの群れから奇襲をうけ、西方せいほう騎士団の騎士さんたちに沢山の怪我人が出た。


 サブリナ様の救護テントにも、重傷人が何人も運ばれてきている。

 いまにも死んでしまうんじゃないかと思うほどの重い傷ですら癒やしてしまうのだから、フランツはじめ騎士団の人たちがサブリナ様を敬意を持って接している気持ちがよくわかった。彼女は、まさしくこの騎士団の守り神……いや、守りの女神なのね。


 あのあと他のヒーラーさんが診ていた、重傷とまではいかないけれどしっかりと休ませた方がいい怪我人たちも救護テントで様子を見ることになったので、がらっがらだった簡易ベッドはすべて埋まっている。彼らのお世話で、サブリナ様をはじめヒーラーの皆さんは忙しそう。


 私はもちろんヒーラーの力なんて持っていない。ただ、それでも何か力になりたくて、汚れた包帯やシーツを小川に洗いに行ったり、薬草を探したりと細々した手伝いをしていた。


 そのたびに、サブリナ様は笑顔で「ありがとう」って言ってくださる。ご年齢的にもずっと働きづめなのは相当に身体の負担になっているにちがいないのに、そんな素振りは微塵もみせないで誰に対しても温かな眼差しを送り、気遣い、癒やしてくれる。なんて、素敵で…………そして、すごい人なんだろう。


 昼の薬湯を救護テントの怪我人たちに飲ませ終わって、私はカゴに使い終わったコップを入れると、サブリナ様に声をかけた。


「コップ、洗ってきちゃいますね」


「ありがとう。悪いわね」


「いーえ。……それよりも、ちょっとでも休んでくださいね」


 マンティコアに襲われてから、もう三日。サブリナ様の顔にも疲れが滲んでいる。


「ええ。ありがとう。そうね。みんなだいぶ良くなってきたから、少し休ませてもらおうかしら」


「ぜひ、そうなさってください」


 文机の椅子に腰掛けたサブリナ様に見送られて救護テントを出ると、小川の方へと足を向けた。


 西方騎士団は、この森にくると毎年ここでキャンプを張っているみたい。近くには小さいながらも小川がながれ、炊事が行われている焚き火の近くには簡易的なものだけれど井戸も作られている。だから、水には困らない。


 井戸水は飲用と調理専用で、洗い物は小川の水でしなきゃいけないルールなんだって。小川までくると、スカートが濡れないように注意してしゃがんで、傍においたカゴからコップを手に取り、小川の水につける。


 冷たい……! 指先がじんとするくらいの冷たさ。だけど、それを我慢して、コップを一つずつ小川の水で洗っていく。


 全部洗い終わったら、またカゴに入れて救護テントに戻ってきた。そして、救護テントのそばにある大きな岩の上に、乾かすためにコップを並べた。この岩は、シーツを干したり、食器を干したりと何かと便利。


 そうやって一つ一つコップを岩の上に並べていたら、背後に足音が近づいてきた。振り向くとフランツがいた。もう頭にしていた包帯は取れているけれど、耳の辺りにはひっかかれたような傷がかさぶたになっている。


 団長の判断で、怪我人の治療のために、この三日間は魔物討伐はお休みになっている。だから、怪我の軽かった人や怪我をしなかった人は、この三日間を休日みたいにのんびりと思い思いに過ごしているみたい。


 フランツは手に紙の束をもっていて、それをこちらに差し出してくる。


「これ。こないだ、言ってただろ?」


 はて? なんだっけ? と疑問に思ったけれど、少し考えて思い出した。そうだ、三日前に約束したんだった。フランツのお金の管理を手伝ってあげるって。あれから色々なことがあって、すっかり忘れちゃってた。


「そうだ。リーレシアちゃんのためにお金貯めるの手伝ってあげるって言ってたね」


「ああ。でも、今じゃなくていいから。まだバタバタしてるだろうし。とりあえず、忘れないうちにコレを渡しとこうと思っただけなんだ」


「うん。ちょっと待って」


 紙の束を受け取ると、救護テントの中を覗いてみる。テントの中は、シーンと静まりかえっていた。見ると、奥の文机のところでサブリナ様は机に頬杖をついて眠っているようだった。無理もない。相当疲れが溜まってるはずだもの。


 棚の横にハンガーでかけられているサブリナ様のカーディガンを手に取ると、彼女の肩にそっとかけた。


 怪我人たちも、動ける人は散歩にでかけたり剣の素振りをしたりと少しずつ身体を動かし始めている。まだ動けない人もベッドで静かに休んでいた。


 うん。昼ご飯を食べ終わって昼のお薬を配ったばかりだから、夕方までしばらく時間はありそう。できればサブリナ様を空いているベッドに寝かせてさしあげたいけれど、きっと彼女は起こすとまた何か患者のための仕事をはじめてしまうだろう。いまは、少しでも寝かせてあげたいと思い、そのままそっとしておくことにした。


 救護テントを出ると、外で待っていたフランツのところへ向かう。


「いまなら少しだけ時間もとれそう。フランツ。何か書くモノってもってる?」


「ああ、うん。これでいいかな」


 フランツがズボンのポケットから取り出したのは、黒く細長い石のようなものに布を巻き付けて紐で留めたものだった。黒い先の部分を触ってみると、手にも黒い粉がつく。これ、鉛筆みたいなものなのかな。黒炭か何か?


「こうやって使うんだよ」


 フランツは紙の束から一枚とって、コップを干している大岩に当てて支えにすると、その黒いチョークのようなものを使ってサラサラと何かを描きはじめた。


 サッサッと迷いのない手付きで何重にも描かれた線は、やがて紙の上に可愛らしい造形を描き出す。


「うわぁ、可愛い! フランツ、本当に絵が上手いんだね!」


 あっという間に、紙の上に可愛らしいリスの絵ができあがっていた。素朴なデッサンだけれど、リスのふわふわとした尻尾や愛くるしい顔がその線のタッチから浮かびあがってくる。


「えへへ。これは、こうやって使うんだよ。字を書くのにも使えるよ」


 フランツはそのリスの絵の横に何か文字を書き付けてくれたけれど、残念ながら私にはさっぱり理解できない文字だった。どうやら、話し言葉は問題なく理解できているのに、書き言葉は全然理解できないみたい。


 そういえば、救護テントの中の棚に置かれている薬ビンにも、何かよくわからない絵みたいなものが描かれたラベルが貼ってあったなぁ。アレも全部文字だったのね。英語の筆記体のような続き文字に似ていて、どこからどこまでが一つの文字なのかすらよくわからない。


 うーむ。これは、時間のあるときに誰かにしっかり文字を教わらないと、あとあと苦労することになりそう。

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