第7話 小川のそばで朝ご飯

 さらさらと流れる水音を聞きながらの朝食は、ちょっとしたピクニックみたいだ。


 朝ご飯は昨日のものと同じ堅そうなパンと、ホットミルク。どうやって食べるのかと隣に座ったフランツを横目で観察してみると、彼はパンをちぎってホットミルクに浸してから食べはじめた。なるほどなるほど。やっぱりふやかして柔らかくしてから食べるのか。真似してパンをちぎると、ホットミルクに浸してみる。ひたひたになってから口に入れると、うわぁ、ミルクの味が濃い!


 ちょっと驚いてしまった。なんていうか、少し獣臭さもあるけれど、それ以上にミルクの風味が濃厚で美味しい。何回もパンをちぎって次々に口に入れていたら、ふと視線に気付いた。隣を見ると、フランツは既に食べ終わって目を細めながらこちらを眺めている。なんだか、微笑ましいものを見る目で見られている気がする。


「よかった。食欲あるみたいで」


 こくこくと頷き返す。私、困ったことや辛いことがあっても食欲には影響しないタチなのよね。むしろ、ストレス解消に美味しいモノをどんどん食べたくなっちゃうくらいで。あれ。でも、よく考えると、こんな知らない場所に一人きりで放り出されて、知らない人たちと慣れない暮らしを送ることになったのに、そんなに心細さを感じていないことに今さらながら思い当たる。


 そしてそれはすぐに、サブリナ様があたたかく迎えてくれたことや、こうやってフランツが事あるごとにそばに来てくれるからだと気づいた。二人がいれば、なんとかここでやっていけそうな気がしているのも事実。二人に出会えて、本当にラッキーだったと思う。


「俺たち、ここを拠点にしばらく魔物退治に行くことになるんだ。夜には戻ってくるから、カエデは日中はずっとサブリナ様のそばにいるといいよ。そうすりゃ、好奇心旺盛なここの連中も、あからさまなちょっかいはかけてこないだろうし」


「魔物、退治?」


 ミルクに浸したパンをかじりながら、尋ねてみる。魔物? 魔物って、昨日出たグレイトベアーみたいなもの?


「ああ。俺ら騎士団の主要任務なんだ。魔力を強く帯びた土地には魔力の影響を受けて知性や凶暴性、魔法の能力を持った動物が発生する。それを魔物と言うんだ。こことは別の異世界からやってくるとも言われているけど、真相はよくわからない。とにかくそういう魔物が大量に発生すると村や街が襲われるから、こうやって騎士団が定期的に巡回して魔物退治をしているんだよ。この王国には騎士団は四つあって、それぞれ方角の名称がついてる。俺たちがいるのは、西方騎士団。その名前のとおり、西方を守護する騎士団なのさ」


 フランツはカップに残ったミルクを飲み干すと、立ちあがった。


「ここにはしばらく滞在すると思うよ。そのあとは、一旦近くの街に戻ると思う。そうやってあちこち西方を回って魔物を退治しながら王都に向かうことになるから、王都に着くのは半年後くらいかな。それまでは何か困ったことがあったら何でも言って」


 そう言ってフランツはにっこりと笑った。小さく頷いて返す。彼の笑顔を見ていると、なんだか不安や心配な気持ちが薄れていくから不思議だ。


 ちぎったパンをホットミルクでふやかしながら口に運ぶ。フォークかなにかあればよかったんだけど、手だけで食べるのは案外難しい。うっかりするとミルクが垂れそうになってしまう。


「街かぁ。どんなところなんだろう。ちょっと楽しみ」


 こっちに来てから森の中の景色しか見ていないから、実は別の異世界に来たと言われてもいまのところあまり実感はないんだよね。この森は、ドイツやスイスあたりの高緯度地域の森に似ている。こういう感じの森なら、テレビや写真でみたことがあった。でも、いくら似ててもここは異世界なんだよね。


「街についたら、いろいろ案内するよ。ウィンブルドの街はそんなに見るところもないけど、そのうち行くアクラシオンっていう街は刀鍛冶と銀細工で有名だから面白いかもね。工房通りには、銀細工の工房がたくさんあって見てるだけでも面白いよ」


「銀細工!?」


 その魅惑的な響きに、つい声が弾んでしまう。


「……わかったわかった。真っ先に案内するから。そこまで食いついてくるとは思なかった」


 フランツが苦笑交じりに、どーどーと手で制するような仕草をする。

 だって、アクセサリーとか小物とか好きなんだもの。ウィンドウショッピングやカタログを見るだけでもワクワクして楽しいじゃない。この世界の銀細工ってどんなものなんだろう。繊細な技巧がほどこされたブローチとかなのかな。それとも、質実剛健な銀食器とか? そんな想像を巡らせていたら、フランツがクスクスと声を漏らした。


「リーレシアと同じだな」


「リーレシア?」


 おや? また、始めて聞く名前だぞ。


「うん。俺の腹違いの妹。もうすぐ十歳なんだけど、すっごく可愛いんだ」


 そう言いながらフランツは胸元のポケットから皮のパスケースのようなものを出して見せてくれた。そこには一枚の写真……じゃなくて、写真かと思うくらい精巧に描かれた肖像画が入れられている。


 肖像の人物は幼い少女だった。これがリーレシアちゃんなのね。リーレシアちゃんはもうすぐ十歳と言っていたけれど、肖像画はもう少し前に書かれたもののようだった。金糸のようなふわふわとしたロングヘアーに、フランツと同じ翠色の瞳。椅子にちょこんと座っている様子は、まるでお人形さんのようだ。


「うわぁ! 可愛い!!!」


 心の底から、そんな感嘆の言葉が出てくる。きっと、大人になったら美しいレディになるんだろうなぁ。


「可愛いだろ? 俺の天使なんだ」


 そうはにかむように笑うと、フランツは大事そうに肖像画を胸元に仕舞う。普通、そういうところには奥さんとか恋人の肖像画を入れているもんなんじゃないのかな?とちらっと思うけれど、妹さんの肖像がを入れているということはフランツにはまだ奥さんいないのかな? もしかすると恋人も? なんて事が頭をよぎるものの、昨日今日出会ったばかりの人にそんなことまで聞くのは躊躇われて、結局聞けなかった。


「リーレシアもさ。可愛らしい銀細工とか好きで。今度、アクラシオンの街に行ったときにお誕生日祝いに何か買ってあげたいんだよなぁ」


 フランツは本当に妹さん思いなんだなぁ。

 私も弟がいるけど、お互い成人してからはほとんど会話することもなくなってしまった。もしかしたらもう二度と会うこともできないのかもしれない。そう思うと、もう少しいろいろ話しておけばよかったなと思わなくもない。今さら言っても仕方ないことだけど。


「フランツの家族って、仲いいんだね」


 さらっとそんな言葉が、口をついて出てくる。こちらの男の人がどんな感じなのかあまりよく知らないけれど、フランツはどこかふわっとした温かい雰囲気がある。誰とでも親しくなれて、誰にでも親切にできるような、そんなお日様みたいな温かさ。そう、突然降って湧いたような見ず知らずの私にもこんだけ親切にしてくれるような。


 だから、彼の家族ならきっとみんな温かい人たちなんだろうなって気がしたんだ。

 でも、フランツは私の言葉に、あいまいな苦笑を返してくる。


「……うーん。そうでも、ないけど。たしかにリーレシアとは仲いいよ。彼女は生まれたときから知ってるから。でも、他の家族とはそんなでもないかな。……俺、ハノーヴァー家に引き取られたの十年前くらいだからさ」


「え? あ、そうなんだ……」


 案外、複雑な家庭なのかな? 彼の普段の笑顔からはそぐわないようなその苦笑を眺めながら、そんなことを思う。


「まぁ、そんなことはいいんだけど。今のところ、目下の問題はアクラシオンの街につくまでにリーレシアの誕生日祝いを買うお金が残ってるかどうかなんだよね」


 そう言って、フランツは小さく嘆息した。

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