第6話 はじめての朝

 翌朝、鳥の声で目が覚めた。

 チュンチュンチュン、なんていう可愛らしいものじゃない。


 キャーキャキャッキャッ、クエーー!


 というけたたましい声が、いくつも頭上を飛んでいったからビックリして飛び起きてしまった。


 一瞬、自分がどこにいるのかわからずキョロキョロしていると、既に起きて身支度を済ませていたサブリナ様が黒いものを手にやってくる。


「おはよう。よく眠れたかしら?」


「あ。は、はいっ」


 救護テントの端にある空いているベッド、といっても今は患者は誰もいないからどのベッドも空いているんだけど、そこから身を起こすとサブリナ様が手に持っていた黒いものを渡してくれた。


「これ、私の服の洗い替えなのだけれど、よかったら着てみて」


 それは彼女が着ているのと同じ黒いワンピースだった。腰のあたりで結ぶ用の紐もついている。紐の先には、青いガラス玉に白字で花の模様が描かれた装飾がついている。シックな黒ワンピースに、ワンポイントの華やかさが可愛らしい。それからタオルも一枚。


 そういえば、いままでずっと会社にいるときに来ていたパンツスーツのまんまだった。このスーツを着ているとここでは浮いてしまうので、服を借りられて嬉しくなる。


「ありがとうございます!」


 自然と笑顔がこぼれる。ぎゅっとワンピースを抱きしめると、ほのかにポプリのような香りがした。


「さあ。顔を洗ってらっしゃいな。そこを右手に少し行ったところに小さな小川があるわ。それから昨日焚火をしていたところで、朝食を配っているはずよ」


「はいっ。サブリナ様の分ももらってきましょうか?」


 そう尋ねると、


「私は朝は食べないことにしているから、いいのよ。ありがとう。それから」


 彼女はお茶目な笑みを返してくる。


「様付けはいただけないわね? サブリナと、そう呼んでちょうだい?」


 あああ、なんて可愛らしいんだろう、この方。私もこんな風に歳を取りたい。

 でもフランツですら様をつけて呼んでいるのに、居候の私が呼び捨てになんてできない。


「で、では……サブリナ、さん……?」


 ぎりぎりのところでそう妥協してみせると、サブリナ様は腰に手をあてて「仕方ないわね」と少女のような笑みを零すと、くるっときびすを返して文机の方へ戻っていった。


 お借りしたワンピースに着替えると、さっそく言われたとおりにテントを出て右手に進んでいく。少し行くと緩やかな坂になっていて、その下に小川があった。

 スカートの裾が地面につかないように気を付けながら屈んで、小川に指先をつける。


「冷たっ……!」


 森の中は木々に日差しを遮られているからか、指がジンとするほどの冷たさだった。


 これで顔を洗うのはちょっと躊躇われたけれど、ここ以外にほかに水場はないのよね、きっと。意を決して手で少し水をすくうと、ぴちゃぴちゃと顔を濡らす。タオルで顔を拭くと、ふぅっ、すっきりした。ついでに、もう一度水をすくって、今度は口をゆすぐ。うん。さっぱり。


 タオルで口元を拭って救護テントの方へと戻ろうとしたら、向こうから金色の髪をした長身の男性が歩いてくるのが見えた。

 まだ騎士団の人たちの顔はほとんど覚えていないけれど、彼のことはわかる。フランツだ。


 フランツは、朝のさわやかさな空気にぴったりな明るい笑顔で「おはよう」と挨拶してくる。手には数個のパンと、二つのカップをもっていた。


 こちらもタオルを手にぺこっとお辞儀をする。頭を下げつつ、あれ? ここってあっちとは違う世界だよね。ということは文化やシキタリも違うはず。挨拶ってこれでいいんだっけ?と小さな疑問を胸に抱きながら顔をあげると、目の前まで来たフランツは少し困ったような顔をしていた。


「あの、……そんなにへりくだらなくても、いいんだけど」


「そう……なの……? ごめんなさい。まだ、こちらの流儀がよくわからなくて」


 お互いに困った様子で顔を見合わせると、どちらともなく吹き出すように笑い出してしまった。


「あはは。それもそうだよね。ごめんごめん。こっちでは、そういう挨拶は目下の人間が目上の人間にするものだからびっくりした」


「へぇ……そうなんだ」


「ほら。昨日も、テオが俺にしてただろ?」


「テオ?」


 聞き覚えがなかったので首を傾げると、「ああ、そうだ。まだ紹介してなかったね」とフランツは頭を掻く。


「昨日の晩、シチューを持ってきてくれた若い子がいただろ?」


 ん? 記憶を遡ってみると、いたいた。思い出した。焚き火の傍で給仕をしていたやたら可愛らしい男の子だ。さらっとした金色の髪をしていて、美形というより美少年という感じの少年だった。たしかにあの子は最後、フランツにお辞儀をしていた気がする。


「あいつはテオって言って、俺の従騎士なんだ。騎士団に入るとどんな身分の奴でも最初は従騎士から始まるんだよ。そんで、正騎士に付いて数年学んで、正騎士試験に受かれば晴れて正騎士になれるってわけ」


「へぇ……。あ、じゃあ、フランツはあのテオっていう子の面倒を見てるっていうこと?」


「まぁ、立場上はそうなんだけど。……アイツの方が俺より遥かにしっかりしてるから、俺に教えられることなんて剣の稽古くらいだけどね」


 そう言ってフランツは肩をすくめる。しかし彼の口調には、どこか誇らしげな調子が見え隠れしていた。きっと、自慢の弟分なんだろうなぁという気がして、少し微笑ましい気持ちになる。


「朝ご飯もらってきたんだ。適当なとこに座って一緒に食べよう?」


 フランツの提案により、もう一度、小川の近くに戻ると適当な石に腰掛けて並んで朝食をとることになった。

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