第21話

善次郎さんが猫だなんて想像もしていなかった俺はこれからどうするばいいのか分からなくなった。人型であるならば少しばかり話が出来ると思っていたが猫となればそうはいかない。そもそも屋根から降りてきてくれるだろうか?

しかし心配など必要ないと言うように黒猫は屋根から降りてきて地面に着く。俺は黒猫が逃げないよう恐る恐る近づいてみる。幸い大人しい猫のようで全く逃げる素振りを見せない。とりあえず黒猫をゆっくり抱き上げ、猫又の元へ連れて行く。


「猫又……。」


これが善次郎さんだ、と言いかけた時声が聞こえた。


『おや?君、僕が猫又だと分かるのですか?』


「え?」


俺の手元から今聞きなれない少し高めの男性の声が聞こえた。しかし手元には黒猫しかいない。

猫が喋るわけないよな……?

まさかと思っているとまた声が聞こえた。


『君、聞いていますか?』


黒猫は今度は俺の方へ顔を向け、話すように口が開くのが分かった。つまり……。


「ね、猫が喋った!?」


驚きで思わず手を離してしまう。しかし黒猫は何事もないように身軽に体を翻し静かに地面に着地する。そして黒猫は高い塀へと登り、こちらを見つめた。


『どこの誰か知らないがこんばんは。僕はここで「クロ」と呼ばれて飼われている猫又という妖怪です。何か御用の様だったので屋根から降りてみました。』


猫又という妖怪なのか。猫又というのは妖怪の名称だったのかと今初めて知った。


「こ、これはどうも……吉野夏彦と言います……。こっちはクモとヘビ。それからえーっと。」


こっちが猫又、と説明しようとしたが相手も猫又と名乗っているのでごっちゃになってしまいそうだ。なんて説明しようかあぐねているとクロが目を細めじっと猫又を見つめる。そして猫又に向かって口を開いた。


『ミケ……なのか?』


『その声は……善次郎……?』


ミケと呼ばれた猫又は塀の上にいる現在はクロと呼ばれている善次郎さんに近づく。手を述べ善次郎さんに優しく触れる。


『ああそうだ、善次郎だ。久方ぶりだな。ミケ。』


『善次郎…………善次郎……!』


ミケは歓喜の声をあげた。と思ったら次には怒りのこもった声で善次郎さんに対して罵声を浴びせていた。


『この大馬鹿者め!易々と妖怪に殺られおって!何がすぐに迎えに来るだ!?この軟弱者が!私は何百年待たされたと思っているんだ!私も連れて行けばこんなことにはならなかったはずなのに!私も……。連れて行けば……。』


そこまで言うとミケは泣き崩れてしまった。きっとまた自分が共に行けなかったことを悔やんでいるのだろう。善次郎さんはそれを聞いて目を伏せ、そしてぽつりぽつりと言葉をこぼす。


『……ミケ……すまなかった……。あの妖怪とはほぼ相討ちになってしまってな……。それで迎えに行くことが出来なかった……。他の僕に使えていた妖怪も全滅してしまうほどに強かった。だから……お前を置いていったのは正解だと思っている。』


ミケは涙しながらも吠えるように返す。


『正解なわけあるか!大馬鹿者!その時は私も一緒に死にたかった!私はお前が……善次郎のことが好きだったんだ!だから一緒に死ねるならそれで良かった!』


その言葉に善次郎さんは驚いた様に目を見開く。


『お前は……僕を好いていたのか……?』


『ああそうだ!悪いのか!妖怪が人間を好きになっては!』


『いや……何も悪くない。……少しばかり驚いてしまってね。』


善次郎さんは塀からミケの肩に飛び移るとミケに頬ずりをする。


『な、なんだ!どうしたのだ善次郎!?』


今度はミケの方が驚き、声を上げる。善次郎さんは未だ頬ずりをしていると思えばミケの涙を拭ってやっていた。そして愛おしそうにミケを見つめる。


『……ミケ。』


『な、なんだ!?』


『僕もだ。僕もお前と同じ気持ちだ。お前のことを好いていたんだ。だからお前に死んで欲しくなかったんだ。是が非でもね。』


『……!そ、そうなのか……?』


ミケは意外そうな顔をして頬を赤く染める。


『ああ、だから天国でお願いしてこの街で猫に生まれ変わらせてもらったんだよ。来世はミケと伴侶になりたいと思ってね。』


『……!』


『ミケ、すぐに迎えに行けなくてすまなかった。本当はもっと早く迎えに行ければ良かった。だが私は生まれた頃からここの家に飼われていてね。その時はまだただの子猫だったものだから。いつか猫又になったら迎えに行こうと思ったんだ。』


「え、生まれた時から猫又だったんじゃ……?」


俺は疑問に思い質問してみた。


『夏彦さん、猫又というのは寿命が20年以上生きている猫がなれるものなのです。だからそれまではただの猫なのですよ。』


「そうなんですか。」


俺に話終わるとまたミケの方へ向き、話を続ける。


『ミケ、本当に申し訳なかった。』


『べ、別にもう気にしてないさ。そんなに私のことを思っていてくれたんなら許してやろうじゃないか。これからはずっと一緒にいてくれるのだろう?』


『それは……。』


善次郎さんは俯き、数秒考えるように黙り込んだかと思うと地面へ降りた。そして玄関の前へ寄り、またミケの方へ向きを変える。


『すまないミケ。もう少しだけ待っていてくれないかな?』


『!……な、何故だ善次郎!?伴侶になってくれるのではないのか!?』


『うん、そのつもりだ。』


『なら何故!?』


『実はだね……ここの家主、つまり僕の飼い主は一人暮らしの老人で老い先も短い。その家主は今日も病院で入院しているようでね。退院してはまた入院の繰り返しだ。いつ死ぬかわからないんだ。僕は何十年も世話してくれたここの飼い主に感謝している。何か恩を返したいんだ。だが恩返しをしたくても何もしてあげられない。僕は飼い主にとってはただの猫だから。だからせめて最期の時まで一緒にいてあげるくらいのことはしようと心に決めたんだよ。だから……もう少しだけ待っていてくれないかな……?』


『……。』


『頼む……必ず今度はこちらから迎えにいく。』


ミケは黙ったまま動かない。何かを考えるように俯いている。1分ほど経ったかと思うところでミケは善次郎さんに背を向ける。


『好きにしろ……。全くお前は勝手なやつだよ……。』


『本当にすまない。』


ミケはまた振り返ることなくこう言った。


『善次郎、いつか絶対に迎えに来い!待っているからな!それまでしばしまた別れだ。』


『うん…………またね。』


善次郎さんはまた屋根へ上り俺達を見下ろす。それを1度も見ることもなくミケは玄関先から出て歩き出す。


『お前達、もう要件は済んだ!行くぞ!』


「え?あ、はい!」


ミケはスタスタと俺の前を歩いていく。それに続く様にクモとヘビがついて行く。ミケの顔は全く見えなかったがその背中は少し寂しくも嬉しそうでもあるように見受けられた。

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