第4話
俺は昔から幽霊というものが見えていた。
小学校低学年までは見えていたことを認めて生きてきた。幽霊に対して恐怖心なんかは全くなく、むしろ友達のように思って接していた時もあった。
周りの人や親は俺が俺しか見えない存在と戯れていてもきっと小さい子のひとり遊びだろうと構いはしなかった。
しかし現実は厳しい。時が経つにつれ次第に周りの人達は俺が何も無い空間に話しかけたり、見えないものを追いかけたりするのを見て気味悪がり始めた。ついには実の両親でさえ気味悪がるほどになった。
「変な真似事はやめろ」、「嘘をつく子は嫌い」、「次変なことをしたらお前を捨てる」
そんなことを親から言われたが見えるものは見えるのだ。俺はなんとか自分の見える世界を親にだけは分かって欲しかった。何度も何度も親に伝えた。時にはぶたれることもあったがそれでもいつかは分かってくれると信じ、また何度も伝えた。
しかしそれは無意味なことだった。無意味どころかそんな頭のおかしくなった息子を見ていられなくなった父親は俺の元から離れてしまった。
つまりは離婚だ。父親は別れ際に言った。
「お前のせいでお父さんとお母さんは離婚する。全てはお前が悪いんだ。」と。
俺はそう言われてとてつもなくショックを受けた。自分が幽霊などを見ることによって人を傷つけるだなんて思ってもみなかったからだ。
傷つけるつもりじゃ無かった。ただ信じて欲しかっただけなんだ。
そんなことを思ってももう遅かった。
その日以来俺は幽霊の類を見えないと思うようにした。人間必死になればなんでも出来るものでそれから俺の脳みそは幽霊などを見えないものと錯覚するようになった。
そしてこれからは一生そんなものは見ない、誰も傷つけないようにと心に誓った。
誓ったというのに今日という日のせいで台無しだ。白い線のような体の先端にニヤニヤ笑っている面を付けたような悪霊に捕まったせいで。
どれだけ見えないようにしても、見えてないふりをしても本当は見えていることは自分が一番分かっている。
悪霊はなおいっそう俺の体を右へ左へ揺さぶる。
『どうだ怖いか?人間のくせに私を相手にしようなんて思うのが間違いなのだ。』
くそ、ついに声すら聞こえるようになってしまった。
「夏彦!お願い御札を!」
「いやだ!俺は…俺は見たくない!誰も傷つけたくないんだ!」
「何言ってるの!傷つくなんてそんなことあるわけないだろ!ヘビ何とかならない!?」
「ダメだ。変身しても今の霊力では足らなすぎてあそこまででかくはなれない!夏彦!お前が札を貼って除霊しろ!」
「む、無理だ!俺には除霊なんて…。」
『祓うだと?この私を人間が?生意気だな。死ね。』
悪霊がそう言うと俺の体を30メートル程の高さから投げ落とした。
「うあああああああああ!」
「夏彦!」
俺は叫びながら落ちていく。
死ぬ!この高さは死ぬ!
どんどん地面が近づいていき俺は死を覚悟した。死の恐怖に怯え俺はぎゅっと目を瞑った。そして地面に叩き落とされ凄まじい衝撃と痛みを全身に受ける。と、思ったが違った。
目を開けるとなんとクモが下敷きになっていた。ちっ、と悪霊の舌打ちが聞こえる。
「クモ!」
「う、ぐ……」
クモは呼びかけても動かない。どうしよう。
俺はすぐさま悪霊に見えないよう近くにあった手水舎の影までクモを引きずっていく。少ししてから悪霊の方を覗いてみると今度はヘビの相手をしているようだ。だがヘビは捕まることなく悪霊の突進攻撃をひらりひらりと交わしている。今ならクモの面倒を見れそうだ。
「おいクモ!しっかりしろ!」
「だ、大丈夫…。」
「大丈夫じゃないだろ!何やってんだよお前死にたいのかよ!」
「へへへ、これくらいじゃ死なないって…。それに夏彦の事守るって言ったじゃん…?」
クモはいつも通りヘラヘラ笑っているがとても辛そうだ。
ああ、俺はまた他人を傷つけてしまった。罪悪感が押し寄せる。
「ごめん…本当にごめん。俺が変な意地張って御札をはらなかったせいで…。」
「何言ってんのさ…夏彦のせいじゃないだろ?あんな怖い目にあってるのに除霊しろなんて頼んだのが悪かった…。」
そういうとクモは起き上がろうとする。
「おい!まだ起きるなって!」
「いや、お祓いをしなきゃ…。じゃないとヘビまでやられるだろう。」
「でも!」
「夏彦はそこで隠れてて。」
クモは起き上がり悪霊とヘビの方へ行こうとする。
「そんな、そんなのだめだ!」
俺はぐっとクモの腕をつかんだ。
これ以上自分のせいで誰かが傷つくのを見ていられない。自分がなんとかしなくては。
「俺が…俺が行く!」
「夏彦やめなって。もしさっきみたいなことになったらどうするんだよ。それに幽霊を見たがらない夏彦がどうやって退治するの?」
「それは……。」
「ほらどうしようにもないじゃん?夏彦はここで待ってて。」
「俺は…俺は悪霊が見える。大丈夫だ。見える。俺はもう目をそらさない。」
そうだ、もう俺にはあの悪霊が見えている。今更何も取り繕う必要は無い。何より命懸けで助けてくれたクモの為になにかしなくてはと思った。
「それに一つだけアイツを捕まえて祓う策を思いついた。ただクモにも手伝って貰うことにはなるんだけど……。」
「どんな策?」
俺はその策をクモに話した。
*
悪霊はヘビに向かって何度も突進を繰り返す。ヘビは何度も突進を避け体力が尽きてきたのか荒い息を漏らす。
「なんとか避けてはいるがこのままでは祓えない…。このすばしっこさをなんとかしないと…。」
疲労で段々と神社の隅へ追い込まれる蛇を見て悪霊は嘲笑う。
『ははは、そろそろ体力の限界だろう?私に殺される前にこの神社から出て行ったらどうだい?死にたいなら別だが。』
「残念だがこちらも仕事だから諦めるわけにはいかないな。お前は必ず祓う。」
『そうか。ならばこれでもくらいな!』
悪霊が追い込まれたヘビに突進をかまそうとしたその時。
「おいくそ幽霊!こっちを見やがれ!」
俺は大声で悪霊を呼んだ。それに振り向く悪霊。
『なんだい?せっかく後に構ってやろうと思ったのに。そんなに早く死にたいのかい?』
「またその体当たりでか?お前のよっわい体当たりなんかで死ぬかよ。そんなことしてると俺に祓われちまうぞ?」
この策にかかってくれるだろうか。
『ほう、そうかい。じゃあさっきのように吊るしあげて宙から放り投げてやろう!』
かかった。
少し緊張が走ったと思ったら亡霊はあっという間に俺の胴体に尾っぽのような白い体を絡め宙へと持ち上げようとする。
『はははは、どうした?威勢がいいのは口だけかい?まあいい、また落として永遠に口がきけなくするだけだ。』
「……それはどうかな?今だクモ!!」
蜘蛛?と首をかしげ悪霊は辺りを見渡した。そしてその声とともに出てきたのは手のひらサイズの蜘蛛。俺の服の裾から出てきた蜘蛛は俺に巻きついている悪霊の体をつたっていく。そして小さいながらに悪霊の首根っこに噛み付く。しかし悪霊は屁でもない様子である。嘲笑いながら俺の体をまた上へと連れていこうとする。
『おやおや、こんな小さな生き物に手助けしてもらおうってのかい?哀れだねぇ。』
「哀れ?確かにこんな小さきゃな。じゃあでかくなってもらうだけだ!」
『何を言って……ううっ!?』
突然悪霊の唸るような声とともに体が段々と地面へ下がり始める。
『なんだ、か、体が重い……!くそっ!何が起きている!?』
悪霊はなんとか上へと上がろうとするが上手くいかない。それもそのはず。噛み付いてきた蜘蛛、もといクモが段々と巨大化しているのだ。
『くっ!離せ!この蜘蛛め!』
クモを引き剥がそうと暴れもがくが全く離れる様子はない。それどころかクモはどんどん巨大化していき、悪霊の倍以上のでかさになった。あまりの重さに流石に悪霊は地面へと落ちていく。
そして地面へとぐしゃりと落とされ巨大なクモの下敷きにされてしまった。
そこへ心配した様子のヘビが近づいていきた。
「クモ!夏彦!平気か!?」
幸いにも俺は怪我はなく、力尽きた悪霊からも体を開放された。
「ああ、大丈夫だ。」
「俺も大丈夫!それよりヘビ見て見て!悪霊捕まえたよ!」
クモは長く太い脚で悪霊をがっちり押さえつけて嬉しそうに言った。
「じゃあ夏彦、早く御札を貼って!」
「ああ。分かった。」
俺はズボンのポケットから御札を取り出す。悪霊の目の前まで持っていくとそれがなんなのか察したようで悪霊はなんとかクモから逃れようと全力でもがいた。
『来るな!そんなもの貼ってみろ!お前を死ぬまで呪ってやる!死んだ後もな!』
悪霊に呪ってやるとか言われるとなんか迫力ありすぎて怖い。俺が少しためらっているとヘビが言った。
「怖がる必要は無い。どうせハッタリだ。だがもう捕まえたことだしこっちで何とかしてもいいぞ。」
「いや、やるよ。俺がやるって決めたし。」
「そうか、分かった。」
俺は御札を悪霊の額へ近づける。
『いやだ!やめろ!殺してやるぞ!お前を殺してやる!』
悪霊の言葉に耳を貸さずに静かに御札を貼った。
そして「悪霊退散」と唱える。
『いや…だ…うあ…ああああ!』
悪霊の体がボロボロと崩れ、散り散りになる。今まで辺りを覆っていた薄黒い霧のようなものが晴れ、晴れ間が差す。塵になった悪霊の破片が晴れ間に吸い込まれて空に舞っていく。
最期に悪霊は静かに一言、俺に向かって呟いた。
『あ……と、う……。』
その声はとてもか細く、しかし俺にははっきりと聞こえた。
忘れていたが今日はとても清々しいほどの晴天だった事を俺は悪霊の塵が舞っていくのを見て思い出したのだった。
*
ああ、疲れた。本当にそれしか思いつかない。
死闘の末悪霊を退治した俺は今までの緊張が解けたせいかその場から動けなくなってしまった。
「おい大丈夫か?立てるか?」
「ああ。いや、ダメかも。」
ヘビの問いかけに気だるく答えた。
クモの方はというとまた人間の姿に戻り興奮している様子である。
「やったよやったよ!初めての仕事にしては上出来じゃない!?夏彦!やったね!」
「うん、まあ良かったな。ところでさ。」
俺はなんとか重い腰を持ち上げ、よろめきそうになりながら立ち上がり聞いた。
「最後になんか悪霊のやつ変な事言わなかったか?『ありがとう。』なんて。あれだけ嫌がってたのになんなんだろうな。」
『ありがとう。』あれだけ憎まれ口を叩いていたくせに消える寸前、最後の最後に言った言葉。あれになんの意味があるのか俺には見当もつかない。
「もしかしてただの嫌味だったのかな?わかりづらすぎるけど。」
「いや、多分それは本当に感謝して言った言葉だろう。」
ヘビはよろめく俺に肩を貸しながら言った。
「悪霊というのは自発的になりたくてなった奴ばかりじゃない。この世に何かしらの未練があって現世に留まっているうちに良くない気を溜め込んでいって悪霊になるってケースもある。多分そいつもその類だったのだろう。」
「……なんか可哀想だな。なりたくないのに悪霊になるなんて。」
「そうだな。そして多分そいつは心の底では悪霊になりたくなかったんだと思う。だが悪霊になってしまい、それならいっそ成仏したいと望んでいたんだろう。だから最後に自分の思いを叶えてくれたお前に礼を言ったんだろう。お前は悪霊を救ったんだ。」
「救った……あいつを……。」
本当にそうだといいな。だとしたら頑張ったかいもあるってものだ。
俺は今まで幽霊を見たら他人を不幸にするばかりだと思っていた。それを恐れながら生きてきた。だから今回人ではないが少なくとも誰かの役に立てて、誰かを救えて本当に良かったと心から思う。俺は静かに微笑んだ。
「お?何笑ってんのー?もしかしてー、祓い屋の仕事満更でもない感じ!?」
ウキウキしながらクモが質問する。だが答えはノーだ。
「んなわけあるか。こんな命懸けの仕事二度とゴメンだ。」
流石に毎回こんな仕事ばかりじゃ命がいくつあっても足らないってもんだ。次はせめて迷子の猫探すような感覚のもので頼みたい。
「えー、いーじゃん!俺夏彦祓い屋むいてると思うよ?」
「そんなものむいてなくていい。」
「じゃあなんで笑ったのさー!ねーねー!」
「うるさい!もう帰る!」
「クモ、さっさと帰って報告書書くぞ。」
「はいはーい!」
全く、騒がしいやつだ。こんな日々が毎回あると思うと気が思いやられる。
だが今日だけはそんなこと忘れよう。今までの霊を見ないことに集中して生きてきた人生が晴れてかどうかは分からないが終わってしまった俺は何となく清々しい気分でいた。何故だろうか?
霊を見ないことを集中しなくて良くなったから楽になったのか?悪霊という非科学的な敵を滅するなんてファンタジー的なことをやってのけたからなのか?はたまた自分が誰かを救えたという優越感からか?どれかは分からないけども。
とりあえず家に帰ろう。仕事が待っている。
在宅ワークか祓い屋か、どっちの仕事が先かはまだ分からないけどね。
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