第30話 コーヒー

 せんせーが私にしてくれたように。

 私も明日香ちゃんの力になりたい。

 なんとかしてあの暗がりから出してあげたい。


 そう思った昨日の夜。

 1日経った今でも、その決意は変わっていない。


 学校で授業をしている時も。

 麻里とお弁当を食べている時も。

 ずっと明日香ちゃんのことを考えてた。


 悩んで悩んで悩み続けたからこそ、なんとかしたいって気持ちが強くなったし、その気持ちが強くなったからこそ、私は今この場所にいる。


「すごく久しぶり……」


 飲屋街の端に佇む、一際派手な看板と外装。

 鮮やかに光るライトで、その陰湿さを包んでいるこの店は、久しぶりに訪れても、何一つ変わることなく私の目に映っていた。


 今思い返しても、あまり実感がわかないあの日々。

 自分が本当にこの場所で働いていたんだと思うと、今まで忘れていたはずの何かが、どこからかフツフツと思い出されそうになる。


 私はここで、色々な人の接客を担当した。

 その経験全てが無駄だとは思わないけれど。

 決して明るいものじゃなかったのは、確かだった。


 得るものよりも失うものの方が多い。

 自分自身を押し殺して、人のために尽くす。

 そんな職場だったと、私は今になって思う。


 だからこそ明日香ちゃんを連れ出したい。

 働くことの本当の楽しさを教えてあげたい。


「……大丈夫」


 心の準備はもうできてる。

 何を言われても、私はめげない。


 素直な私の想いを、明日香ちゃんに伝えるんだ。

 ちゃんと伝わるまで、私は何度でもぶつかってやる。


「よしっ」


 パチンッ! と、両手で頬を叩く。

 ピリッとした痛みで、意識が覚醒された気がする。


(大丈夫、大丈夫)


 そう心の中で呟いては。

 明日香ちゃんが来るその時を、私はじっと待ち続けた。





「み、美羽……」


 その声が聞こえたのは、しばらくしてからのこと。

 もしかしたら今日は、バイトに入ってないのかもしれない。

 そう思い始めていた私の元に、明日香ちゃんはやって来た。


「何してるのさ、こんなとこで……」


 学校終わりにまっすぐここに来た。

 そのことがわかる、見慣れた制服姿。


 まさかあんたがここにいるなんて。

 そんな表情を浮かべた明日香ちゃんは、私の目の前で足を止めた。


 驚いているのか、その姿にいつものような余裕はない。

 何か言って来る気配もないし、私を拒絶しようともしない。


 だから——。


「明日香ちゃん、話があるの」


 私は、意を決してそう切り出した。

 今ならいける気がするって、思ったから。


 でも——。


「は……は、あんたが私に話?」


 明日香ちゃんの態度はすぐに変わった。


「あいにく、私はあんたにする話なんてないよ」

「鬱陶しいとは思う。でも少しだけ聞いて欲しいの」

「うっさい。あんたの話なんてこれっぽっちも聞きたくない」


 余裕がなかったはずの表情には、刺々しさが。

 強い口調でものを言う様は、もう普段の明日香ちゃんだ。

 

 聞く耳を全く持たない。

 というよりも、私と言葉を交わしたくない。

 明日香ちゃんからは、そんな空気が感じ取れた。


「辞めた身で、店の前うろつくなし」


 極め付けにはそう言い残し。

 明日香ちゃんは、私の前を無言で通過する。


 そのあまりの迫力に、私は気圧された。

 気を抜けば、不安に飲み込まれそうだった。


 やっぱり私じゃ無理かもしれない。


 一瞬だが、そう思ったりもした。

 ”諦める”という言葉が脳をちらついた。


 でも——。


「まだ、話は終わってないよ」


 私の身体は動いた。

 通り過ぎようとする明日香ちゃんの腕を、グッと掴んだ。


「明日香ちゃんに、伝えたいことがあるの」

「だ、だから私は、あんたの話なんて……」


 逃れようとする明日香ちゃんを、絶対に離しはしない。

 右手でグッと腕を掴んだまま、真剣な眼差しをぶつける。


「この近くにね、美味しい喫茶店があるの」

「そ、それがどうしたのよ」

「今日、そこで私とお茶でもしよう」

「ふ、ふざけないで。私は忙しいの」


 それは知ってる。

 私とお茶なんてしたくないことも。

 全部知った上で、こうしてお願いしてるんだよ。


「そもそも、あんたとお茶なんて……」


 あんたとお茶なんてしたくない。

 そう言いかけた明日香ちゃんの手に、私は”あるもの”を渡した。


「何よ……この紙」


 ここへ来る前、あらかじめ用意してきたそれ。

 タイミングを見ていつか渡そうと思っていた。


「お店の場所、知らないと来れないでしょ?」


 普段私が使ってる、小さなメモ用紙1枚。

 そこには、佐伯さんのお店の住所を書いた。


 あのお店で2人で話をしたい。

 そしたら絶対明日香ちゃんの気持ちも変わる。

 そう信じて、私はこの場所に来た。


「このお店、すごく美味しいから」

「だからって、あんたとお茶なんて真っ平御免」


 でも。

 そう簡単に明日香ちゃんは頷かない。


 グチャッ。


 紙が握り潰される音が虚しくも響く。

 開かれた明日香ちゃんの手には、小さくなったメモ用紙が。


「さっきも言ったでしょ。あんたと話すことなんてない」


 私を睨みつけながら、そう言い捨てた明日香ちゃん。

 伝えたかった想いは、結局のところ受け入れてはもらえず。

 小さくなったメモ用紙を片手に、お店の中へと入って行った。


「明日香ちゃん! 私、待ってるから!」


 その背中に声はかけてみたけれど。

 この様子だと、目的達成はまだまだ遠い。

 今日だって、私のところに来てくれるかどうか。


「……でも、諦めちゃダメだよね」


 そうだよ。

 まだ全然諦める時じゃない。


 せんせーに『任せる』って言われたから。

 私は何があっても、明日香ちゃんのことを連れ出してみせる。




 * * *




 どのくらい時間が経ったかな。

 もう随分と、ここにいる気がする。


 最初に頼んだホットコーヒーはアイスコーヒーに。

 さっきまでいたはずのお客さんたちは、もう誰1人いない。


 時計を見ると、いつの間にか9時半を回っていて。

 お店の閉店時間まで、もうほとんど時間は残されていなかった。


「やっぱりそうだよね……」


 こうなることは、最初からわかってたけど。

 改めて何もできなかったと思うと、正直悔しい。

 せめて一度だけでも、2人で話すことができたら。


「おーい、そろそろ店閉めるぞー」

「……あ、はい。すみません長居しちゃって」


 佐伯さんに声をかけられ、私の思考は途絶えた。


「別にいいさ。それよりも明日のバイトよろしくな」

「はい。よろしくお願いします」


 残っていたコーヒーをグビッと一気に飲み干して。

 カップを片手にカウンターの中へと急いだ。


「締め作業、私も手伝いますよ?」

「いいっていいって。給料出てないんだし」

「それじゃ、自分のカップくらいは自分で洗いますね」

「なんか悪いね。気を遣わせちまって」

「いえいえ。いつもお世話になってるんで」


 カップ一つ洗うことくらいなんてことない。

 でもそこから生まれる会話には、とても価値がある気がする。

 

 あのバイトでは感じることのできなかった気持ち。

 それを明日香ちゃんにも、ぜひ感じて欲しいって思う。


「佐伯さん、コーヒーご馳走様でした」

「おう、お粗末様」


 結局何も進展がないまま、1日が過ぎ去った。

 この先どうなるかわからないけど、私はまだ諦めない。

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うちの高校の生徒が風俗嬢だった話 じゃけのそん @jackson0827

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