第29話 奮起

 偶然の再会。

 久しぶりの明日香ちゃんは、相変わらずだった。


 容姿はもちろんのこと。

 私に対する当たりが強いところまで。

 何から何まで、あの頃の明日香ちゃんのまま。


 今日久しぶりに会ったことで、私が忘れかけていた何かが、胸の内からふつふつと蘇ってくるような感覚さえしたんだ。


 それはさっきも言った、心残り。

 明日香ちゃん1人を残してしまったという後悔。

 せんせーとの生活をしていく中で忘れかけていた、私の記憶。


 明日香ちゃんの顔を思い出す度に胸が痛む。

 今頃どうしているのだろうと、深く考えてしまう。


「はぁ……」


 そのせいで、箸が全然進まない。

 久しぶりのせんせーと食べる夕飯なのに。

 明日香ちゃんのことばかり考えてしまって、心が落ち着かない。


「暗い顔してどうかしたのか?」

「うーん」


 そんな私を心配して、せんせーは私に尋ねた。

 けど、頭の中がぐちゃぐちゃすぎて、なんて返していいやら。


「もしかして、テストの結果が不満だったか?」


 テストの結果。

 そう言えば、今日テスト返されたんだった。

 明日香ちゃんに会ってから、すっかり忘れてたや。


「まあ、それも半分くらいはあるけど」

「ん?」


 テストもあるけど、正直今はそれどころじゃない。

 明日香ちゃんのことが気になって、仕方がないの。


「ねえ、せんせー?」

「ん、どうしたよ」

「せんせーはさ、私のことなんでこんなにも良くしてくれるの?」

「なんでって、そりゃあ……」


 私が尋ねると、せんせーは何故か目を逸らして。


「大切な生徒だからだろ」


 と、少し照れ臭そうに言った。


「そ、そっか。そりゃそうだよね」

「なんなんだよいきなり……」


 今まで何回も聞いてきたけど。

 こうして改めて言われると、なんだか私も照れ臭い。

 ちょっとだけ気まずい空気が、私たちの間に漂った。


(……いけないいけない)


 でも、今は照れてる場合じゃないんだ。

 どうしてもせんせーに確かめておきたいことがある。


「それじゃ、せんせー?」

「こ、今度はどうした?」

「もしさ、私がせんせーの生徒じゃなかったとしたら、前のバイト先で働いていたことを知っても、どうにかしようとは思わなかった?」

「和泉が俺の生徒じゃなかったとしたら?」

「そう、もし私が違う高校の生徒だとしたら」


 そう質問すると、せんせーは顎に手を置いた。

 しばらく考え込むのかな、なんて私が思ってると。


「いや、やっぱり見過ごせないだろ」


 と、迷うことなく即答した。


「じゃあ、それが私以外の高校生でも?」

「例えそれが和泉じゃなくとも、見過ごせないものは見過ごせない」

「その生徒のことを全く知らなくても?」

「知らなくとも、俺の考えは全く一緒だ」


 嘘偽りのない、せんせーの真剣な眼差し。

 相手が誰であろうと、何一つ変わることはない。

 流石はせんせーだと、私は改めてその心の広さを実感した。


「そうだよね。せんせーはせんせーだもんね」


 どこかホッとした気持ちになった。

 私の中にあった不安が、少し消えた気がする。

 やっぱりせんせーは優しくて、すごくカッコいい。


「てか、突然そんなこと聞いてどうかしたのか?」


 だからこそ私は、話してもいいのかもと思えた。

 せんせーなら、きっと明日香ちゃんのことも理解してくれるって。


「実は……」




 * * *




「はっ!? 前の店の同僚に会った?」

「……うん」


 私は意を決して、今日あった出来事をせんせーに話した。


「てことは……その人も風俗嬢ってことか?」

「そ……うだね。そうなっちゃうかな」


 私が肯定すると、せんせーは困ったように頭を抱えた。

 そして何かを悲観したように、突然顔をしかめると。


「待てよ。もしかしてその同僚、高校生だったりしないよな?」

「うーん……」

「マジでか……なんでもっと早く言わなかったんだ……」


 呆れたように肩を落とすせんせー。

 でも私は、別にそのことを隠そうとしてたわけじゃない。


 私がせんせーに明日香ちゃんの事情を告白する。

 そして私の時のように、明日香ちゃんも救い出してもらう。

 こんな感じのことは、この生活が始まる時少し考えたりした。


 でも——。


 きっと明日香ちゃんは、それを望んでいないと思う。

 むしろ私が店を辞めたことで、清々してるんじゃないかな。

 店から自分と同じ高校生が消えて、喜んでるんじゃないかな。


 あの店は接客をすればするほど給料が上がる。

 だから今は、すごく仕事が順調なんじゃないかな。


「ごめんねせんせー。隠してるつもりはなかったの」


 そんな明日香ちゃんを思うと、口には出せなかった。

 今あの子が抱えている気持ち、すごく理解できるから。


「せんせーを頼ってばかりもいられなくてさ」

「そんなこと、和泉が気にする必要ないんだぞ?」

「うん、ありがとう。やっぱりせんせーは優しい」

「なら……」

「でも——」


 今回ばかりは、私がやらなきゃと思う。

 自分の力でなんとかしたいと思うんだ。


「今回は私がなんとかしてみせる」


 余計なお世話なのかもしれない。

 また明日香ちゃんに怒られちゃうかもしれない。


 でも私は決めた。

 一回くらい、余計なお世話をしてやるんだって。


「私があの子を救い出してみせる」

「救い出すって……一体どうやって……」


 子供の私にできることなんて限られてる。

 だからこそせんせーも心配してるんだと思う。


 でも私は、ずっとずっと考え続けてきた。

 明日香ちゃんを、あの暗がりから連れ出す方法を。


 口調が強くて、乱暴に見える明日香ちゃんだけど。

 本当は誰よりも他人想いで、優しい女の子なのを私は知ってる。

 そして、自ら望んで今のバイトをしているわけじゃないことも。


「私に考えがあるの」


 私がせんせーのおかげで変われたように。

 明日香ちゃんを、私の力で変えてあげたい。


「佐伯さんのお店。もう少しバイトの子が欲しいんだって」

「もしかして……その子も佐伯の店で?」

「うん、ぜひ働いて欲しいなって思うの」


 私が大好きな佐伯さんのお店。

 あの店で、ぜひ明日香ちゃんにも働いて欲しい。

 働くことの本当の楽しさを、ぜひ感じて欲しい。


「きっと明日香ちゃんも気に入ってくれるよ」

「でもな……そんなに上手くいくのか?」

「うーん、どうかな。実際ちょっと厳しいかも」


 提案するのはとても簡単。

 だけど明日香ちゃんが、それを聞いてくれるかどうか。


「なら、少しくらい俺を頼っても……」

「ううん、今回は私がなんとかするよ」


 不安は確かにある。

 でも、私はせんせーの言葉に首を振った。


「せんせーには、私のこと見守ってて欲しいの」

「見守る?」

「うん。大切な友達のためにちゃんとやれてるかどうか」


 いつまでもせんせーばかりを頼っていられない。

 今度は私が頑張ってる姿をせんせーに見せなくちゃ。

 明日香ちゃんのためにも、私は一歩踏み出すんだ。


「大切な友達のため……か」


 自分の想いを伝えると。

 せんせーは、顎に手を置きしばらく黙り込んだ。


 そして——。


「よし、わかった。その子のことは和泉に任せる」


 そう、前向きな言葉をかけてくれた。

 私のことを信じてくれたんだ。


「ありがとうせんせー」


 それがたまらなく嬉しくて。

 不安だったはずの気持ちが嘘みたいに晴れて。


 私ならできる。


 って、前向きになることができた。

 安心することができた。


「その子のこと、連れ出してやってくれ」

「うん、任せて!」


 明日香ちゃんのことを何としても助ける。

 私はこの時、胸の内に確かな決意を立てたのだった。

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