第26話 買い物

 千葉県は千葉市。

 美浜区にある、アウトレットモール幕張。


 自宅アパートから電車で1時間ほどの場所にある、この巨大ショッピングモールに、俺と和泉の2人は、休日の午前中から足を運んでいた。


 建物内に一度ひとたび足を踏み入れれば。

 そこはたくさんの買い物客で溢れかえっていた。

 あまりの人の多さに気圧され、俺は思わず足を止める。


「まだ昼前なのにこんなに人がいるのか」

「休日だからこのくらい普通じゃない?」

「そうなのか。東京じゃないのにすごいな」


 東京じゃないのにすごい。

 それは決して千葉をバカにしているわけじゃない。


 俺はただ、人の多さにびっくりしただけであって。

 千葉が田舎とか、これっぽっちも考えたりはしていない。

 本当に。


「せんせーってさ、もしかしてこういう場所苦手?」

「もしかしなくても、俺は人混みが苦手だ」

「やっぱり。なんかそんな感じするもん」


 そんな千葉のアウトレットに圧倒されている俺を見て、何やら和泉は、隣でクスクスと笑いをこぼしていた。


(無理やり俺を連れてきておいて……)


 とは思ったものの。

 昔からよく馬鹿にされてきたので、今更何も言うつもりはない。


 そもそも俺は、好んで外出するようなタイプではないし。

 一緒に出かける相手もいないので、こういった場所は元から不慣れだ。


「てか和泉」

「んー?」

「わざわざこんな場所まで来て、お前は一体何を買うつもりなんだ?」


 そんな俺を連れ出してからには、それ相応の理由がある。

 むしろそれらしい理由が合ってもらわないと、割りに合わないが。


「うーん。まだ内緒かな」

「内緒なのかよ……」


 どうやら、聞いても教えてくれるつもりはないらしい。

 和泉が時たま見せる含みのある顔で、簡単に話を流された。


「とりあえず、いろいろ見て回ろ」

「お、おい……」


 1人そそくさと移動を始める和泉。

 人の流れをかいくぐりながら、キョロキョロと辺りを見渡し歩く。


(少しはこっちの身にもなってくれよ……)


 説明不足故に、一瞬そう思ったりもしたが。

 よくよく考えれば、俺はろくに買い物なんてしない人種だ。

 目的を聞いたところで、おそらくは何の役にも立たないと思う。


(和泉1人に任せた方が、効率良いか)


 色々口出しをするよりも。

 黙ってついて行った方が絶対楽だ。

 ならここは我慢して、和泉に全てを任せるとしよう。


「早くしないと置いてっちゃうよー?」

「あ、ああ」





「なあ和泉」

「んんー」

「いい加減教えてくれないか?」

「教えるってー?」

「お前が何を買いに来たのかをだよ」


 ここへ来てから20分。

 いや、30分ほどは経過しただろうか。


 和泉に連れられるがまま。

 ひたすらショッピングモール内を歩き回っていた俺。


 どれほど歩いても目的の店に着く様子はなく。

 流石に痺れを切らし、先行く和泉にそう尋ねた。


 しかし。

 

「ああー、それはねー、内緒ー」


 当の本人は、時間の流れなど気にもしていないらしく。

 俺が露骨にくたびれながら、後を追いかけてるというのに。

 振り返る素振りすらも見せず、目的の店探しに没頭していた。


「そろそろ歩き疲れて来たんだが……」

「うーん。もう少しだからー」


 なんて言ってはいるものの。

 このセリフを聞くのは、もうこれで3回目。


 その割には一向に着く気配がないので。

 付いていくしかない俺としては、すこぶる不安だ。


(買う物決まってないなんてことはないよな……)


 終いには、そんな懸念まで浮かんで来て。

 時間が経てば経つほど、俺の体力も失われていった。


「和泉。まだなのか」

「うーん。もう少しで着くからー」

「はぁ……」


 本日4回目のもう少しに、俺は思わずため息する。

 本当にこのまま和泉に任せて、目的の店には着くのだろうか。

 そもそも和泉が探している店が、このモールに存在するのだろうか。


「なあ、いず……」

「あっ!」


 我慢ならず、再度和泉に尋ねようとした瞬間。

 先を行っていた和泉が、ようやくここで立ち止まった。


「せんせー、このお店見てもいい?」

「お、おう」


 と思ったら。

 そそくさと、あるお店に入っていく。

 どうやらやっと、目的の店を見つけたようだ。


「せんせーも早く」

「俺も行かなきゃダメか?」

「もう、当たり前でしょ?」


 歩き疲れた俺を、和泉はほいほいと手招きしてくる。

 正直休憩が欲しいところだが、仕方なくその招きに乗った。


 一面ガラス張りの入り口をくぐり抜けると。

 店内に広がっていたのは、見事なまでの眼鏡畑だった。


「お前、眼鏡なんてするのか?」

「ううん。私は両目とも視力良いよ」

「だったらなんでこんなところに……」


 目が悪く無いのに、眼鏡屋に来た。

 その和泉の行動原理がよく理解できないのだが。


「おっ」


 店の中を進んでみると。

 奥の方に長椅子がいくつか置いてあるのが見えた。


 しかも運がいいことに、今は誰も座ってはいない。

 これは今のうちに、少しでも休んで置いた方が良さそうだ。


「よっこいしょ……っと」


 店を見て回る和泉に構わず。

 俺は真っ直ぐに長椅子へと向かった。

 そして一度は腰を下ろしてみたのだが。


(やっぱり、俺も少し見て回るか)


 せっかくここまで来たのに、何もしないのは勿体無い。

 そう思い、一度は腰掛けた椅子からすぐさま立ち上がった。


 特に眼鏡に興味があるわけでもないが。

 眼鏡屋に来る機会なんてまず無いので、少し見てみようと思う。


「色々あるんだな」


 シンプルなデザインから、少し変則的なデザインまで。

 様々な種類、色、値段の物が、棚にびっしりと並べられていた。


 その光景が何だかとても新鮮に感じられて。

 目が悪く無いのにもかかわらず、一つ欲しくなってしまうほどだ。


(とりあえずなんか掛けてみるか)


 試着だけならいいかなと、目についた眼鏡を手に取っては。

 恐る恐る着用して、すぐ近くにあった鏡の前へと移動する。


 すると——。


「うわっ……」


 そのあまりの似合わなさに、我ながら絶句した。


「俺が掛けるとこうなるのか……」


 おそらくこれは……アレだ。

 この眼鏡が似合わないとか、そういう次元の話ではなく。

 シンプルに俺は、眼鏡が壊滅的に似合わない人間なんだと思う。


 例えるとするなら。

 3年間ずっと坊主だった野球部が、部活を引退して急に髪をフサフサにして夏休み明けの学校に来る感じと似ている。


(目が良くてほんとよかった……)


 心の底から安堵し。

 俺は試着した眼鏡を元の場所に戻した。

 

「もし目が悪くなったらコンタクトだな」

 

 眼鏡の前でそんな失礼なセリフを残して。

 俺は体力を回復するため、今一度長椅子に戻ろうとした。


 すると。


「えいっ」


 俺が振り返った瞬間。

 またしても、顔に慣れない感覚がまとわりついた。

 何事かと思い手を触れれば、そこには固い感触が。


「うーん」


 丸く囲われた青い線。

 何やらその中で、和泉が難しい顔を浮かべている。


「なんかちょっと違うなー」

「何だよ急に……」

「ん、せんせーに似合うかと思って」


 付けられた物を手に取ると。

 さっき俺が試着した眼鏡とは、また別なデザインの眼鏡だった。


「俺に眼鏡は似合わないっての……」

「あーもう。まだ取っちゃダメだってばっ!」


 こっちの気を知る由も無い和泉。

 俺から眼鏡を奪っては、無理くり俺に眼鏡を付け直す。


「んー」


 そして眼鏡付きの俺の周りを、2周ほどぐるりと回り。

 何回か眼鏡を外したり、また付けたりしながら、具合を確かめている。


「うーん。やっぱりなんかちがーう」


 だが、あまりお気に召さなかったようで。

 不満そうな表情を浮かべては、ようやく俺から眼鏡を外す。


「うん。せんせーは眼鏡似合わない人だ」

「だからさっきもそう言っただろう……」


 おまけにそんなわかりきった事実まで言われる始末。

 自覚はあっても、こうして誰かに言葉にされると、少し悲しかった。


(てか何なんだよ一体……)


 突然眼鏡屋に連れて来られたと思ったら。

 無理やり眼鏡を試着させられるし。

 おまけに眼鏡似合わないことディスられるし。

 正直和泉が何をしたいのか、全く理解できない。


「それじゃ次のお店いこー」


 なんて言って、早々に退店するあたり。

 別に和泉はこの店が目的で、このモールまで来たわけじゃないのだろう。


 おそらくはチラッと立ち寄った程度。

 少し気になったから、入ってみただけというところか。


「せんせー何してるの。早く行くよー」

「はぁ……」


 店の外からチラリと顔を覗かせ、手招きする和泉。

 そんな和泉に言われるがまま、俺は早足で店を出る。


 一体この子は何をしたいのか。


 その疑問が浮かんでは、和泉の笑顔に誤魔化される。

 果たして次は、どんなお店に連れて行かれるのだろう。


 すこぶる不安ではあるが。

 こんな活き活きとした和泉を見るのは、久しぶりな気がした。


(まあ、たまには良いか)

 

 そんな気持ちを抱いたのも、きっとそのせいだろう。

 結局俺は、和泉が見せる素朴な笑顔に、すこぶる弱いのだ。




 * * *




 眼鏡屋を後にした俺たち。

 次に連れて来られたのは、オシャレな帽子屋だった。


「せんせー、これ被ってみて」


 そこでも変わらず試着を促される俺。

 和泉に帽子を渡されては、何も言わずとりあえずは被る。


 そして和泉が納得しなければ、また違う帽子を渡される。

 ひたすらそれの繰り返しだった。


「んー、違うお店行こっか」


 ひとしきり試着したところで。

 和泉は颯爽とお店から出て行ってしまう。

 その背中に、俺は素直な疑問をぶつけてみた。


「何も買わないのか?」

「うん。ここじゃないかな」


 すると和泉は、そう言って俺を手招く。

 先ほどの眼鏡屋といい、この子は一体何がしたのか。

 さっぱり理解できないが、俺は黙って付いていくしかなかった。


 その後も、服屋で洋服を試着したり。

 アクセサリー店で装飾品を見てみたり。

 それはもう、色々なお店をハシゴして回った。


 しかし、購入した物は何一つ無く。

 気づけば時計の針は、12時半をとっくに回り。

 30歳を目前に控える俺は、すこぶるバテバテだった。


「……つ、疲れた」


 かれこれ2時間以上歩き回ってる気がする。

 運動不足からか、もうすでに足はパンパンだし。

 お昼時ということもあって、お腹もペコペコだ。


「な、なあ和泉。少し休憩を」

「あっ!」


 少し休憩をくれないか。

 残り少ない力で、そう訴えかけようとしたところ。

 突然和泉は、何かを思い出したかのように立ち止まった。


「そういえばせんせー」


 そして振り返っては、俺に何かを言いかける。


(もうお店は勘弁してくれ……)


 心のどこかでそう願いながら。

 何を言われるのかと身構えていると。


「せんせーのボールペンさ」

「……へっ?」


 予想外の単語に、素っ頓狂な声が漏れる。


「確かもうインクなかったよね?」

「ボールペンのインク……ああー」


 言われてみれば。

 昨日テストの試作をしてた途中に無くなったんだった。


「それがどうかしたのか?」

「ほら、新しいの欲しいでしょ?」

「まあ確かに。無いままだと困るな」


 今日家に帰ったら、仕事の続きがあるし。

 長い目で見ても、ボールペンが無いのは何かと不便だ。


 ちょうど外出しているから。

 帰りにでもコンビニで買って帰ろう。


「それじゃ後でコンビニに……」


 後でコンビニに寄ってもいいか。

 和泉にそう尋ねてようとしたところ。


「せんせー、こっちこっち!」


 突然腕を掴まれ、和泉は走り出した。

 その表情は先ほどとは打って変わって明るい。

 ずっと悩んでいた何かが、解決したような面持ちだった。


「おまっ、急に何を……」

「すごく良いお店があるの!」


 それだけを告げて、和泉は前を向く。

 俺は腕を引かれるまま、彼女について行くしかなかった。





 和泉に無理くり連れて来られたお店。

 息を切らしながらも、店内を見渡すと。

 どうやらここは、とある文房具店のようだった。


 しかし、どうやら庶民的な店とは少し違い。

 質の良い高級な文房具がたくさん揃っている店のようだ。


「せんせー、これとかどう?」


 そんな文房具店の中でも。

 主に筆記具がたくさん並んでいる場所。

 そこで和泉は、とあるペンを一つ俺に差し出してきた。


「持ってみた感じとか、感想教えて」


 俺は言われるがまま、それを受け取る。

 そして普段通り、ペンを握ってみたところ。


「おっ、かなり良いな、これ」


 その持ち心地の良さに、思わず本音が漏れた。


 黒くてツヤツヤした木製のペン。

 デザインからして、非常に高級感が感じられる見た目だ。


 それに加えて細いわけでもなく。

 かと言って太すぎるわけでもなく。

 手にしっかりとフィットする、何とも絶妙な持ち加減だった。


「でもこれ、俺に持たせてどうするんだ?」


 そんな感動さえも覚える素晴らしいペンなのだが。

 和泉はこれを俺に持たせて、一体どうするつもりなのだろう。

 あいにく俺には、こんな良品を買って帰る気はさらさら無いが。


「ボールペンなら、コンビニとかのでも十分……」


 コンビニとかのでも十分使える。

 そう言いかけ、俺はペンを元あった場所へと戻そうとすると。


「せんせー」


 和泉の手が、戻そうとする俺の手を阻んだ。


「せんせーは、このペンどう思った?」

「そりゃまあ。使い心地は良いと思うぞ?」

「色とかは? 違う色が良いとかあったりする?」

「い、いや。むしろこの色が一番上品で良いと思う」

「そっか。なら」


 すると和泉は、俺の手からペンを取って。


「これはせんせーにプレゼントするね!」

 

 と、それを掲げて、笑顔で言ったのだ。


「プレゼント……?」


 俺が聞き返すと、和泉は迷わず頷いてみせる。


「実はさ。この前初めてのお給料を貰っちゃって」

「お、おお、ついに初給料か。それは良かったな」

「うん、それでさ。その初給料を何に使おうかずっと考えてたの」

「何に使うかって……貯金するんじゃないのか?」


 俺が尋ねると、和泉は首を横に振る。


「それも考えたけど。やっぱり何かプレゼントしたいなって」


 そして再びペンを掲げてみせては。


「せんせーには、たくさんお世話になってるから」


 ニコッと、満面の笑みを浮かべた。

 その何者にも染まらない純粋な笑顔を見た瞬間。

 今まで抱えていた疑問が、全て解決したような気がした。


「もしかして和泉……」


 和泉が俺をこんな場所に連れてきたわけ。

 なぜあれほどまでに、俺に試着をさせたがったのか。

 その理由が今、ようやくわかった。


「俺のために色々探してくれてたのか」


 ああでもない、こうでもない。

 そう言いながら、色んな店を渡り歩いた。


 俺はそんな和泉の後ろを、ただついて歩くだけ。

 途中からマネキン人形にでもなった気分だった。

 正直もう勘弁してくれと、心のどこかで思ったりもした。


 しかし。


 それは全て、和泉が俺のためにしてくれていたこと。

 俺に似合う物を、必死になって探してくれていたのだ。


「ほんとはもっと早く言うつもりだったんだけどね。やっぱりせんせーの驚く顔が見たいなーって思っちゃって」

「驚く顔って……はぁ、なるほどな。そういうことだったか」

「嫌だったならごめん。でもせっかくあげるなら、せんせーに一番似合う物をあげたいと思ったから……」


 きっとこの子は、この子なりに考えたのだろう。

 考えていたからこそ、一生懸命になりすぎていたのだ。

 俺はそれに気づけず、ずっと疑念を抱いてしまっていた。


(まったく……この子は)


 不器用というか何というか。

 いつも俺に対して気を遣ってくれる。


 プレゼントをもらえるだけでも十分なのに。

 それ以上のものを、和泉はいつも俺にくれるのだ。


「何言ってんだ。嫌なわけないだろ」


 そんな幸せなこと、嫌と思うわけがない。

 だって和泉は、俺の大切な生徒なのだから。


「こうしてプレゼントしてくれるだけでも、俺は幸せだ」

「……本当?」

「ああ、本当だ」


 俺は迷わず頷いた。

 すると不安げだった和泉の表情には笑顔が。


「今日、来て良かったと思う?」

「もちろん。俺を連れ出してくれてありがとうな、和泉」


 和泉がいなかったら。

 こんな充実した休日を送ることはできなかった。

 そう思うと、今日起きたことの全てが、特別に感じられる気がする。


「またいつか。一緒に来よう」

「うんっ!」


 自分がこの子を守らなければならない。

 この子の気持ちを理解してあげなければならない。

 そう思っていたはずの相手から、こうしてプレゼントをもらう。


 それが少し不思議で。

 同時に実感もさせられた。


 俺の思っていたそれ以上に。

 和泉の心は変わってきているのだと。


 俺が和泉を心配しているように、

 和泉もまた、俺のことを気にかけてくれているのだと。


 今までずっと気がつかなかったその事実が。

 今こうして、形となって俺たちの前に現れた。

 それがこのプレゼントなのだと俺は思う。

 

 寄り添って来た教え子からの贈り物。

 教師として、これほどまでに喜ばしいことは他にない。


 きっと和泉もそれを知って、この機会を設けてくれたのだろう。

 さっきは露骨に疲れたような態度を取って、申し訳なかったな。


「それじゃ私、これ包んでもらってくるね!」

「ああ、ありがとな」


 こうして笑顔で声を交わすことのできる環境。

 きっといつか終わってしまうとわかっていても。

 和泉とのこの時間は、いつまでも大切にしていたい。


 それはもちろん、和泉の笑顔を守るためでもあり。

 今俺の中にあるたった一つの安らぎを守るためでもある。


 この子が立派に高校を卒業する日まで。

 俺は精一杯、自分の役目を果たして行こうと思う。

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