第24話 初給料

 アルバイトをするのは、今日でもう6回目。

 仕事にも随分と慣れて、スムーズに働けるようになってきた。


 コーヒーを入れたり。

 簡単なおつまみを作ったりと。

 どんどん任される仕事も増えてきた。


 新しいことを教わる度に、凄くワクワクするし。

 上手くできて褒められる度に、仕事のやりがいを感じられる。


 それがとても楽しくて。

 ああ、この店で働けてよかった。

 って、素直にそう思うことができて。


 毎日うちに帰るのが、とても楽しみになった。

 せんせーにバイトの話をすると、喜んでくれるから。

 私もそんなせんせーを見て、もっと頑張ろうって思えるんだ。


(いいのかな。私、こんなに幸せで)


 どれもこれも、せんせーのおかげ。

 せんせーがいたから、今の私がいる。


 もしあの時、せんせーに出会わなかったら。


 そう思う度に、私は考える。

 いつかこの恩を、ちゃんと返したいって。


 気にしなくていいって、言われちゃうかもだけど。

 それでも私は、せんせーに感謝の気持ちを伝えたい。


 あなたのおかげで、私は救われましたって。

 はっきりとじゃなくても、それを知って欲しいんだ。





「美羽ちゃん。ちょっといいかい?」


 勤務時間を終え、控え室で帰り支度をしていた私。

 荷物を整理していると、隣にいた佐伯さんに声をかけられた。


「伝え忘れてたことがあって」


 続けてそう前置きしては、茶色い封筒を懐から取り出した。


「ほら、これ」

「これって……」


 渡されるがまま、それを受け取ると。

 佐伯さんの表情に、穏やかな笑みが浮かんだ。


「今日までお疲れさん。ちょっと早いけど、初給料ね」

「初給料!?」


 そう言われ、私は封筒に目を落とす。

 するとそこには、『和泉美羽いずみみはね殿』と、しっかり私の名前が刻まれていた。


「これ、貰ってもいいんですか?」

「もちろんだ。ここまで一生懸命頑張ってくれたからな」


 嬉しいやら申し訳ないやら。

 色々な感情が私の中で入り乱れる。


 お金を貰えるなんて思ってもいなかった。

 それくらいに私は、純粋に今のバイトが楽しかったんだ。


 恐れ多くて、なかなか封を切れない。

 こんなに良くしてもらって、その上給料だなんて。

 ちょっと前の私には、想像もつかない幸せだった。


「とりあえず開けてみ」

「……は、はい」


 佐伯さんに促され、ようやく私も決心する。

 恐る恐る封筒を摘んでは、ペリペリっと粘着部分を剥がした。


 そして中身を確認してみると——。


「さ、3万4000円……!?」

「なんだなんだ? もっと欲しいってか?」

「い、いえそんな。嬉しいです……けど……」

「ん?」


 明るげだった佐伯さんの表情が、戸惑い色に変わる。

 それは多分私の反応が、イマイチ良くなかったから。


 でもそれは、決して金額に不満があるからじゃない。

 むしろ6回でこれだけ貰えるのは、凄く良い方だと思う。


 時給1050円で、1日約6時間。

 休憩も挟みつつだけど、私は確かに働いてきた。


 もちろん最初は、給料のことも考えていたし。

 どれくらい貰えるのかなって、期待もしてた。


 お金を稼いで貯金して、立派に進学するんだって。

 そうやって、自分の中で確かな目標も立てていた。


 でも。


 いつしか私は、純粋に働くのが楽しくなっていた。

 お客さんと会話したり、佐伯さんと笑顔で世間話をしたり。

 そういう時間を貰えるだけで、私は満足しちゃっていたんだと思う。


 だからこうして給料を渡されると、素直に受け取れない。

 申し訳ないと思う気持ちが先行して、素直に喜ぶことができない。


 だって私はもう、十分に幸せな女の子だから。

 これ以上何かを貰うなんて、今の私にはできっこない。


「佐伯さん、このお金は……」

「申し訳なくて受け取れないってか」

「えっ……」


 このお金は受け取れません。

 私がそう口にしようとした瞬間。


 先に気持ちを言い当てられ、私は思わず押し黙った。

 そんな私を見て、佐伯さんは「やれやれ」と頭を抱えていた。


「まったく……瑛太の言った通りだったな」

「せ、せんせーが何か言ってたんですか?」

「ああいや。別に大したことじゃないんだけどな」


 佐伯さんは誤魔化すように笑う。

 そして戸惑う私に、言い聞かせるように言った。


「いいかい美羽ちゃん。給料ってのは、いわばお礼だ」

「お礼……ですか?」

「そう。一生懸命働いてくれた人へのお礼。お礼をちゃんとできないような人間は、あんまり印象良くないだろ?」

「それはまあ……確かに」


 私が頷くと、佐伯さんは続ける。


「ならこの給料の意味もわかるはずだ。俺だって、美羽ちゃんに感謝してるのさ。美羽ちゃんが瑛太に感謝してるのと同じように」

「私に感謝……?」

「そうさ。だって美羽ちゃんがいなかったら、俺はずっと1人で店番することになってたかもしれない。もしそうなったとしたら、いつもみたいな楽しい世間話もできないんだぜ?」

 

 意外だった。

 まさか佐伯さんが、私のことをそんな風に思ってくれてたなんて。

 てっきり友達の教え子くらいにしか思われてないと思ってたから。

 ほんとにびっくりだ。


「だからそれは俺からのお礼。お礼をしたからには、ちゃんと美羽ちゃんに受け取ってもらえないと、俺としても困る」

 

 そうはっきりと断言されてしまい。

 私にはもう、返せる言葉はなかった。


 落ちぶれていた私を見つけてくれたせんせー。

 そしてこんな幸せな環境で働かせてくれる佐伯さん。

 2人に感謝することばかり、ずっと考えていたけれど。


 そうだったんだ。

 感謝したいのは、私だけじゃなかったんだ。

 佐伯さんも……私に感謝してくれてたんだ。


(……嬉しい)


 そう思って、もう一度封筒の中身を確認してみる。

 取り出してみた金額は、やっぱり3万4000円。

 平均以上ではあるけど、すごく高いわけでもない。


 確か前のバイトでは、この5倍以上は貰っていたと思う。

 それも全部学費や家賃のためだったから、何も感じなかったけど。


 でも。


 なぜかこの給料は、とっても特別に思える。

 すごく多いわけじゃないのに、今まで貰ったどの給料よりも嬉しい。

 こんなにも気持ちが高ぶったのは、生まれて初めての経験だった。


「受け取ってくれる気になったかい?」


 そう尋ねられ、私は迷わず頷いた。

 すると佐伯さんは、安堵したように微笑み。


「無駄遣いだけはするなよー? あ、でも美羽ちゃんなら大丈夫か」


 なんて気さくなことを言って、楽しそうに笑っていた。

 そんな佐伯さんにつられて、私も思わず笑ってしまう。


 こうして笑顔でいられるこのお店が好き。

 今日改めて、そう感じることができた気がする。

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