第23話 映画

 つい勢いで言ってしまった。

 本当は仕事終わり、1人で観に行くつもりだったのに。

 気づいたら私は、渡辺先生を映画に誘ってしまっていた。


『もし宜しければ、ご一緒しませんか?』


 今日の昼休みに言ったあのセリフ。

 それを思い出すと、顔から火が吹きそうになる。


 どうしよう、どうしよう……。

 心の準備が、まだ全然整ってない。


 なんて話しかけたらいいのかな。

 何の話をしたら退屈しないかな。

 そもそも渡辺先生って、映画好きなのかな。


 色々な思考がごちゃ混ぜになって。

 今の私は、半分くらいパニック状態。

 渡辺先生とも、まだほとんど会話できてない。


(うぅぅ、誰かぁ……)


 自分から誘っておいて、ほんと情けない。

 映画の時間も、全部渡辺先生に任せちゃったし。

 私はただ、無理やり先生を映画に誘っただけの人だ。


 たまたまお互いに予定がなかったからいいけど。

 もし今日じゃなくて別の日だったら、もっと迷惑かけてた。


 連絡とか私……恥ずかしくて、ちゃんとできる自信ないし。

 それこそ頂いた大切なチケットを、無駄にしちゃってたと思う。


「音無先生。飲み物はどうされますか?」

「は、はいっ。わ、私はアイスティーを」

 

 なんて考えているうちに、列は随分と進み。

 気がつけば私たちは、その先頭に並んでいた。


「ポップコーンは……どうします?」

「わ、渡辺先生にお任せしますよ!」

「それじゃあ……小さいの一つ買いましょうか」

「は、はいっ。良いと思います!」


 そう言うと渡辺先生は、店員さんにアイスティーを一つ、ウーロン茶を一つ、そしてポップコーンのSを一つ注文した。


「なんだか新鮮ですね」

「そ、そうですね」


 お互いに頼んだ物を抱えながら、私たちは劇場に向かう。

 入り口で店員さんにチケットを半分に切ってもらって、案内された3番スクリーンに、恐る恐る足を踏み入れた。


「この時間でも結構観に来てる人いるんですね」

「そ、そうみたいですね」


 渡辺先生の背中を、控えめに追いかけると。

 すでに劇場の席は、たくさんの人で埋まっていた。


 しかもよく見ると、ほとんどが男女2人組。

 多分カップルで、この映画を観に来ているんだと思う。


(もしかして私たちも、そう見えたりするのかな)


 なんて、一瞬考えてしまったけど。

 凄く恥ずかしくなり、私は急いで思考を払った。


「えっと、Fの26、27……あ、ここみたいです」


 そう言われて、私は立ち止まる。

 F26、F27と書かれた席が、私たちの席。

 今からここで、渡辺先生と並んで映画を観ることになる。


「す、すみません。案内までして頂いて」

「いえいえ。このくらいなんてこと」


 それにも関わらず私は、全部渡辺先生に任せっきり。

 先ほど買った飲み物の代金も、ここまでの案内も全て。

 全て渡辺先生が、率先して引き受けてくださった。


(ダメダメだ、私……)


 渡辺先生が優しいからって、ついつい甘えてしまう。

 本当は私が積極的にやらないといけない側なのに。

 いざ先生の前になると、緊張して全然上手くいかない。


「私が奥に行きますから、音無先生はこちらに」

「……は、はい」


 ほら、また。

 また渡辺先生は、私のことを気にかけてくれた。


 今先生が座った席の隣には、別なお客さんがいる。

 逆に私の席の隣には、ひと席だけ空席ができていた。


 先生はそれに気づいたから、奥側の席にしてくれた。

 隣に知らない人がいない方が、落ち着いて映画を楽しめるから。


(ほんと……優しい)


 優しくて、色んな気遣いまでしてくれる。

 そんな渡辺先生の顔を横目で見ると、すごくかっこよくて。

 映画が始まったとしても、ちゃんと集中できるかわからない。


「どうかされましたか?」

「……あっ、いいえ! なんでもありません!」


 ちらりと目が合った瞬間。

 胸の鼓動が、突然加速したのがわかった。


 こんなにも近しい距離に。

 憧れの渡辺先生と2人っきり。


 正確には2人っきりじゃないけれど。

 こうして並んで座っているだけで、私は凄く幸せだった。


(やっぱり私、好きなんだ。渡辺先生のこと)


 こうして一緒にいると改めて実感する。

 優しくて、思いやりのある渡辺先生のことが好き。

 それはもう、気のせいじゃなくて、本当の私の気持ち。


 この気持ちが、先生に届く日は来るのかな——。


 そう考えたりもするけど。

 私は今のままでも、十分幸せに思えた。




 * * *




 映画の内容はとても感動的だった。

 そのおかげで私は、いつしか緊張を忘れて。

 素晴らしいストーリーに、観入ってしまっていた。


 病気で余命が短い最愛の女性。

 彼女のために主人公は精一杯に自分の愛を捧げる。


 同じ時を過ごし、同じものを共有し。

 そして最後は笑って去り逝く彼女を見送った。


 死んでしまった彼女とは、もう声を交わせないけれど。

 一緒にいた記憶は、彼の中にずっとずっと残り続ける。


 そしていつか、再会できたその時に。

 共に過ごした大切な想い出を重ね合いたい。

 そうして2人の別れは、辛くとも、未来に繋がる別れとなった。


 この作品に、私はとても感動させられた。

 辛いのに、苦しいのに、それでも彼女を想う主人公。

 彼女が亡くなる最後のシーンには、思わず涙が零れ落ちたほど。


 もし私がこの主人公の立場だったら。


 そう考えると、なおさら胸が苦しくなった。

 好きな人と離れ離れになるのは、とても辛いことだから。

 いつかそうなる日が来るってわかっていても、認められない。


(渡辺先生ともいつか……)


 嫌な妄想が浮かび、私はすぐに考えるのをやめた。

 教師という仕事に就いた以上、そうなるのは仕方がないけど。

 それでも私は、渡辺先生と離れ離れになるのだけは嫌だった。


 あの映画を観て、今日改めて思ったんだ。

 渡辺先生との出会いを、ただの別れで終わらせたくない。

 後悔の残る別れにだけはしたくないんだって。


 もし叶うのならば、あの2人のように。


 離れ離れになっても、また会える日が来ることを信じて。

 一緒に過ごした思い出や時間を、ずっとずっと大切にして。

 何の悔いもない気持ちで、その時を迎えられるように——。





「音無先生。今日は誘っていただき、ありがとうございました」


 いつものように、笑顔でそう呟く渡辺先生。

 このまま別れてしまって、本当にいいのかな。

 また何もできないままの自分で、本当にいいのかな。


 もしこのまま渡辺先生と離れ離れになったら。

 明日の私は、明後日の私は、後悔しないのかな。


 そうやって、らしくないことを考えてる。

 多分私は、まだ映画の余韻に浸っているんだ。

 あの2人の境遇に、自分自身を重ねてしまってるんだ。


「それじゃ、私はこれで」


 軽くお辞儀をして、渡辺先生は行ってしまう。

 その後ろ姿が、なんだかとても切なく感じられて。

 気づけば私は、その背中を夢中で追いかけていた。


 行かないで。


 そう心で叫びながら、必死に彼を追いかける。

 街行く人をかき分けながら、ひたすら必死に。


「渡辺先生!」


 恥ずかしさは、これぽっちも感じなかった。

 ただ私は、このままじゃいけないって思ったから。

 だからこうして追いかけて、先生の手を掴んだんだ。


「私、先生のこと心から尊敬しています! 1人の教師として、女性として!」


 自分らしくないのはわかってる。

 渡辺先生が驚いてしまう気持ちも。


 でも——。


「こんな気持ちになるのは初めてで。私、上手に伝えられなくて」


 それでも私は伝えたかった。

 伝えたいと、心が叫んでいた。


「もしこのまま先生とお別れになったらと思うと、辛くて仕方がなくて」


 もう後悔はしたくないって。

 このままの関係じゃ嫌だって。

 わがままにも、そう思ってしまっていた。


「勇気を出してみようって。先生に気持ちを伝えようって」


 たとえ映画の余韻でも構わない。

 私はもう、自分の気持ちから逃げない。


「そう思ったから、私は——!」





 その瞬間。

 私の顔に、渡辺先生の手が触れた。


 とても温かくて、優しいその感覚。

 私の目元をなぞるようにして、ゆっくりと肌を伝う。


「……えっ」


 歪んでいた視界が、少しずつ明るんでいく。

 左手にポツリと落ちた、一粒の温かい雫を感じ。

 私は初めて、自分が涙していたことに気づかされた。


「あれ……私……すみません無意識に……」


 どうして自分が泣いているのか。

 どうしてこんなにも気持ちが高ぶっているのか。

 考えても考えても、全く答えが見つからなかった。


 ただ、今私は、渡辺先生に涙を拭われた。

 それだけでいっぱいいっぱいになってしまって。


 掴んだこの手の責任を、どう取ればいいのだろう。

 そう思いながらも、渡辺先生の手を今も握っている。


(私、なんてこと……)


 そうやって一度は手を離そうと思った。


 でも、私が力を抜こうとした瞬間。

 今度は渡辺先生が、ぎゅっと私の手を握ってくれた。


「音無先生」


 そして、涙を浮かべる私にこう呟く。


「涙は卒業式まで、生徒たちのために取っておいてあげてください」


 優しく笑いかけるその姿は、まるで……。

 まるでさっきの映画の主人公の様だと思った。


 別れを惜しむ私を、そっと慰めてくれる。

 それだけで私は、幸せでいっぱいだった。


「それと、私は少なくとも今年度いっぱいは今の学校にいます。なのでもし宜しければ、またいつでも誘ってくださいね」


 そして最後にそう呟いて、渡辺先生は歩き去って行く。

 私はそんな先生を、再び呼び止めることはできなかった。


 残された私はただ、燃え尽きたように立ち尽くしている。

 珍しく感情的になってしまった自分を思い返してみると。

 顔から火が吹き出そうなほどに、恥ずかしさを感じてしまう。


 それでも私がこうして立っていられるのは。

 確かな進歩が、自分の中にあったからだと思う。


 今まで何もできなかった。

 何も伝えらることができなかった。


 そんな私が、今日初めて渡辺先生に想いをぶつけた。

 全然ダメダメだと思っていた自分が、一歩踏み出せた。

 それだけでも、今日の私には意味があったと思えるんだ。


 もう少しだけ頑張ってみよう——。


 そうやって前向きになれる自分がいること。

 心の底から嬉しいことだと思える。


 それもこれも全て、あの映画と。

 そしてこの機会をくれた、渡辺先生のおかげ。


(でもやっぱり恥ずかしい……)


 冷静になればなるほど。

 前向きになればなるほど、自然と恥ずかしさが湧き出てくる。


 やっぱり私は、どんな時でも内気で。

 そしていつになっても、渡辺先生のことが好きなんだと思う。

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